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これは知っておきたい…シンプルだけど暮らしを便利にしてくれる17のアイデア

2013年05月20日 | 世界びっくりニュース

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お金をかけなくても、生活を快適にしたり充実させることは可能です。

ちょっとした工夫で暮らしを便利にしてくれる、17のアイデアをご紹介します。

1.

引き出しの奥にコンセントがあると…


…閉めたまま充電ができる。

2.

調理具の収納には斜めの仕切り。

3.

穴のあいたケースをリボンホルダーに。

4.

ベッドの横にマガジンラック。

5.

ベッドの上に隠れテレビ。

6.

電話に笑顔を作ってから出ると、明るい口調になって会話がスムーズに行く。

7.

開きにくい袋にはコイン2枚を使う。

8.

飲みかけのビンにはこんなカバー。

9.

USB付きのコンセントプラグ。

10.

掛け布団に扇風機を組み合わせると……。


体験したことのないような秘密基地ができる。


子供にとって。

11.

ビーチには、小物入れが付いた枕。

12.

ハシゴを靴棚にする。

13.

大きな洗濯バサミで菓子袋を留める。

14.

こんな缶ホルダー。

15.

使い捨てのコップを2つに切って、ノートPCの拡声器にする。


スマートフォンにはトイレットペーパーの芯を使う。

16.

ホテルでは、たいていのテレビにUSBコネクタが付いている。(USB変換器を忘れたときなどに)

17.

テニスボールに切り目を付けると、いろんなものをはさめる。

以上17点。試してみたいと思うものはあったでしょうか。

ほんの少しでも暮らしが快適になると、毎日が楽しくなるものですよね。

Great Tricks to Help You Get Through Life Easier

☆勉強になりました!

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かつてアメリカで販売されていた10の危険な薬

2013年05月17日 | 世界びっくりニュース

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 19世紀から20世紀始めにかけて、アメリカでは、病気を治すための薬として、今の常識では考えられない薬物が街のドラッグストアで販売されており、病院にいかずに治療したい人はそれらの薬を買い求めていた。そこには、クロロホルム、コカイン、ヘロイン、メタンフェタミンまでが、咽喉炎や歯痛、咳、不眠、うつなどあらゆる病気の治療薬として提供されていたのだ。これらの薬物は、依存症になったり、時に死に至る危険なものばかりである。現在では、そのほとんどが厳しく制限されているものの、そうなったのはそれほど遠い昔のことではない。


10. 歯痛止めドロップ(コカイン)


 今日では、歯痛を抑えるために小さな子供にコカインを与えるなど、とんでもないことだが、1880年代から20世紀初頭まで、庶民が普通の店で買うことができる薬として売られていた。ジークムント・フロイトは、うつやインポテンツ治療に効果があるとしてコカインの効力を絶賛した。コカコーラが最初に人気が出たのは、成分にコカインが入っていたせいもあったかもしれない。

 当初、多くの薬効のある飲料などにはコカインが含まれていた。長く常用していると、食事や睡眠のパターンが乱れ、妄想や幻覚、深刻なうつやひきこもりになる可能性がある。コカインはアメリカで1920年に禁止されたが、そのときはすでに市場に定着していた。


9.バイエル塩酸ヘロイン(ヘロイン)


 製薬会社バイエルはヘロイン(ジアセチルモルフィン)を開発して、1898年から販売し始めた。今ではヘロインを過剰摂取すると死に至ることがわかっているが、当時は咳止め、モルフィネやコデインのよりずっと良質で安全な鎮痛剤として奨励されていた。ヘロインは効果的な治療薬として広く受け入れられていたのだ。

 当時は、肺炎、結核、ただの風邪ですら、たたりのせいだと思われていて、たくさんの医者に無料のサンプルが渡されていた。しかしすぐに翌年には薬が効かない人々が現れるようになり、それから数年で依存症が報告されるようになった。バイエル社は1913年にヘロインの製造をやめ、アメリカでは1924年に禁止された。


8.キンボール・ホワイト・パイン・アンド・タールの咳止めシロップ(クロロホルム)


 これにはごく少量のクロロホルムが含まれており、風邪や気管支炎の治療薬として販売されていた。1847年始めには、クロロホルムは喘息を緩和する薬、普通の麻酔薬として使われていた。

 エーテルの良質な代替品として絶賛されていたが、心臓や呼吸器官に致命的な影響を引き起こすことがわかった。吸い込んだ後で多くの患者が死亡したため、医者たちはエーテルの使用を復活した。それでもまだ、クロロホルムはうがい薬や軟膏に使われていた。ついに1976年、動物実験で発ガン性があることがわかり、FDA(食品医療品局)が人体に使うのを禁止した。


7.ミセス・ウィンズローの精神安定シロップ(モルヒネ)


 1849年、ミセス・シャーロット・N・ウィンズローは、メイン州であるシロップを販売し始めた。これは炭酸ナトリウムとアンモニア水のような比較的害のない成分を含むシロップだったが、1液量オンスにつき65mgのモルヒネが入っていた。乳歯が生える時期の子供がおとなしくなるというふれこみで宣伝され、ある母親はニューヨークタイムズに、その効果はまるで魔法の薬のようだと投書した。息子に与えると、痛がることもむずかることもなく、すぐに寝入ってしまったというのだ。

 しかし、モルヒネの過剰摂取で、子供たちが永遠の眠りにつく危険性があった。1911年、米国医師会はこのシロップを乳児キラーとして告発したが、イギリスでは1930年まで市場に出回っていた。


6.エルゴアピオール(麦角とアピオール)


 麦などに寄生してできた菌核である麦角と、セロリやパセリなどに含まれる有機化合物であるアピオールでつくられた薬。1900年代始めに生理不順の治療薬として販売されていた。中世の時代から分娩後の出血を抑制したり、時に中絶にも使われていた。かなりの毒性があり、血行不良を引き起こして壊疽を生じさせることもある。麦角は幻覚を起こすこともあり、アピオールは大量に摂取すると、肝臓や腎臓にダメージを与えることがある。


5.ネンブタール(バルビツール酸塩)


 ペントバルビタールとして知られるバルビツール酸塩は、1928年に開発され、1930年にドクター・ジョン・S・ランディによって初めて、ネンブタールの商標名で使用された。不安や恐怖、胸騒ぎなどを和らげる効果があるとされた。

 ペントバルビタールは、FDAに認可された鎮静剤で、発作や不眠治療に使われているが、神経症の子供に座薬として投与する場合は危険なことがある。思考を妨げ、反応が鈍くなるだけでなく、依存症になって過剰摂取すると死を招くことがある。


4.クワルード300(クワルード)


 メタクアロンの商標名で、1962年にアメリカで初めて特許を与えられた、鎮痛剤、筋弛緩剤、不眠治療薬。非バルビツール酸系だが、バルビツールと同じ効果がある。中枢神経系の活動を低下させ、心拍や呼吸数を減らし、手足が麻痺する。常用者は効果がなくなるため、摂取量が増えて死に至る場合がある。60年代後半~70年代にかけて、気晴らしで使用する人が増え、1982年以降、アメリカでは販売されなくなった。


3.シガーズ・デ・ジョイ(タバコ)


 19世紀半ば、ふたりの著名な医師が、喘息治療のための喫煙を勧め始めた。そのうちのひとり、イギリス人のヘンリー・ハイド・ソルター医師は、喘息は神経症や興奮状態が原因で、気管支の筋肉が痙攣して起こると信じていた。

 ソルターは肺から病気の原因を引っ張り出す治療と称して、刺激物をはじめ、クロロホルムやチョウセンアサガオなどの鎮痛剤や、タバコまでさまざまな治療法を行った。今日では喫煙は喘息を悪化させ、発作の引き金となり、まったく逆効果なのはわかっている。


2.アヘンチンキ(アヘン)


 10%前後のアヘン散を含むアルコール抽出物で、強烈な麻薬作用があり、痛みを消滅させる効果があるとうたわれて販売されていた薬だ。1676年初頭から、さまざまな不調の治療に用いられ、1800年代には、髄膜炎から生理痛、黄熱病まで、あらゆる治療に使われた。

 乳歯が生えるときのむずかりやお腹の不調、腸の張り、ひきつけなど、幼児にも与えられた。しかし、依存性についての注意点はなく、便秘、かゆみ、呼吸窮迫や瞳孔収縮などが引き起こされる可能性がある。まだ入手可能だが、限定されている。


1.ノロディン(メタンフェタミン)


 うつによく効くメタンフェタミンの商標名で、もっとも恐ろしい薬である。長期に常用すると自殺に結びつく。うつ状態の心の闇をはらい、副作用も比較的少ないとうたっているが、食欲不振、歯軋り、不整脈、不眠、異常血圧、心臓麻痺、卒中などの生理学的な影響についてはなにも注意していない。依存性も強く、もっとも克服しにくい。今日でもADHD(注意欠陥過活動性障害)や肥満の治療に使われることがある。

via:bestmedicaldegrees

☆知らずに使っとったもん、しゃ~ないわなぁ!

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米ホワイトハウスは心霊スポットのメッカだった!?ホワイトハウス内、10の心霊スポット

2013年05月15日 | 世界びっくりニュース

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 アメリカ合衆国大統領の住居兼執務室であるホワイトハウスは、多くの歴史的出来事の現場となり、たくさんの重要な歴史的人物をもてなした場所であるのはご存じのとおり。でもそれだけではなかった。実はアメリカでも有数の幽霊スポットのひとつであるという別の顔も持っているのだそうだ。

 ホワイトハウスでは、多くの官僚やスタッフたちが、不気味な出来事を体験し、得体の知れないものを見たとまことしやかにささやかれている。かのトルーマン大統領も、“この忌まわしい場所は絶対に出る”と妻に手紙を書いている。

 ということで、ホワイトハウスにまつわる10の心霊現象を見ていくことにしよう。

ソース:Top 10 haunted Areas of the Whitehouse

10.屋根裏

 ホワイトハウスの住人で、一番最初に死んだのは、もっとも在任期間が短いことで有名なウィリアム・ヘンリー・ハリソン大統領だ。就任からわずか一ヶ月で肺炎で死んだ。その後ホワイトハウスでは、ハリソンの幽霊が屋根裏にいて、何かはわからないものを探しまわっていると噂が駆け巡り、皆それを信じている。何人かの大統領は、大統領執務室の上の屋根裏から、説明のつかない物音を聞いたと言っている。

 しかも、どうやら出るのはハリソンひとりではないらしい。トルーマン時代の警備員は、“私は、大統領執務室の上の屋根裏から来た、デイヴィッド・バーンズだ”という声を聞いたという。1790年にここにホワイトハウスが建てられることになった時、この土地の所有者だったデイヴィッド・バーンズに、強制的に明け渡させたのだそうだ。



9.ローズガーデン

 大統領の声明が発表されるのに使われる場所のひとつだが、頻繁に霊の出る場所でもあるとされている。もともと、1800年代初頭に、マディソン大統領のファーストレディ、ドリーによってバラが植えられたのが始まりだ。一世紀後、ウィルソン大統領夫人、エレンが庭を掘り起こそうとすると、庭師がマディソンの幽霊が出て、庭を壊すのを妨害したと報告した。それ以来、ホワイトハウスでは、時々不可解なバラの香りがするという。



8.地下室

 ホワイトハウスの地下室には、何か恐ろしいものが潜んでいるという噂が伝えられている。ここには悪魔の猫が住んでいるという。最初は子猫のように小さいのに、近づくと、大きな獣になるという。めったに現れず、国家的な災難の前兆として姿を見せるらしい。1920年代の株式市場の暴落や、ケネディ大統領の暗殺の直前に目撃されたと言われている。



7.二階ホール

 ホワイトハウスの二階は、大統領一家の住まいだ。大統領やその家族たちが、この場所で霊を見たという話はたくさんある。もっとも目撃例が多いのは、エイブラハム・リンカーン大統領の霊で、この二階の廊下がことのほかお気に入りのようだ。エレノア・ルーズベルトを含む、多くの住人たちが、リンカーンの姿を見たり、声を聞いたりしている。トルーマン大統領は、リンカーンが廊下を歩く音や、自分の寝室をノックする音を聞いたという。さらに、ウィリアム・ハワード・タフト大統領は、ファーストレディのアビゲイル・アダムズの幽霊が、宙に浮いて、二階のドアを通り抜けたのを見たらしい。



6.二階の寝室

 ホワイトハウスの二階には、大統領の家族やゲストのための寝室がたくさんある。ここに宿泊したことのある夫婦は、イギリスの兵士が、彼らのベッドに火をつけようとしたと証言した。この兵士は、1812年の戦争中にホワイトハウスに火をつけようとした男だと思われる。さらに、リンドン・B・ジョンソン大統領の娘リンダは、リンカーンの息子ウィリーの幽霊を見たと言っている。ウィリーはリンダが使っていたまさにその部屋で死んだのだ。グローヴァー・クリーヴランドの夫人の叫び声が聞こえるという話もある。彼女はホワイトハウスで出産した初めての女性である。1952年の改装以降、寝室の霊は減少しているという。



5.イエローオーバルルーム

 リンカーン大統領の時代、この部屋は彼の個人図書室で、ホワイトハウスでのお気に入りの部屋のひとつだった。多くのスタッフたちが、リンカーンの霊がこの部屋の窓から外を眺めている姿を目撃している。ファ-ストレディのグレース・クーリッジも、ここでリンカーンを見たという。さらに、この部屋ではデイヴィッド・バーンズの声も聞こえるらしい。リンカーン夫人のメアリ・トッドは、トーマス・ジェファーソンとジョン・タイラー両大統領の幽霊を見たという。



4.北ポーチ

 ホワイトハウスのエントランスには、たくさんの有名な幽霊がいる。正面ドアの外には、よく松明を掲げたイギリスの兵士が、立っているのが目撃されている。昔、死んだホワイトハウスの案内人やドアマンがいまだに職務を果たしている。もっとも変わった幽霊は、アン・スラットだろう。母親のメアリは、リンカーン暗殺に加担した罪で、1865年に絞首刑になっている。アンの幽霊は、母親の釈放を請いながら、ホワイトハウスのドアを叩き、母親が処刑された7月7日には毎年、正面の階段に座っているという。



3.イーストルーム

 ここはアビゲイル・アダムズのお気に入りの場所らしい。ホワイトハウスに住んでいた頃、彼女はこの部屋でよく洗濯物を干していた。この部屋や、この部屋に向かう途中で、両手で洗濯籠を抱えるような仕草をしている彼女の霊をよく見かけるという。タフト大統領時代は、よく目撃されており、最近では2002年に旅行者のグループが見たという。さらに、このあたりで多くの人が、かすかに洗濯石鹸の匂いがするのに気づいている。リンカーンの霊も目撃されるのは、この部屋に彼の遺体が安置されたからだろう。



2.ローズルーム

 ここには、アンドリュー・ジャクソン元大統領の霊がよく現れる。多くのスタッフが、彼の姿を見たり、声を聞いている。ジャクソン大統領が眠った天蓋つきのベッドには、不可解な冷たい箇所があるという。メアリ・トッド・リンカーンは、ジャクソン大統領が悪態をつくのを聞いたと言った。お針子のリリアン・パークスは、回顧録の中でジャクソン大統領の存在を感じたと述べている。そしてやはりここにも、リンカーンの霊は現れる。オランダのヴィルヘルミナ女王がこの寝室に泊まった時、ノックの音にドアを開けると、廊下にリンカーンの幽霊が立っていたという。



1.リンカーンベッドルーム

 ホワイトハウスのあちこちにリンカーンの幽霊が現れるのなら、自分の寝室に出るのも当然だろう。ウィンストン・チャーチルが、暖炉のそばの幽霊を見てから、ここで寝るのを拒絶したのは有名な話だ(幽霊と出くわした時、チャーチルは風呂からあがって、素っ裸だったという)。セオドア・ルーズベルト大統領、ハーバート・フーヴァー大統領、ドワイト・アイゼンハワー、ジャクリーン・ケネディ、レディバード・ジョンソン、大統領の子どもたちの、スーザン・フォード、モーリーン・レーガンなどがリンカーンの幽霊を目撃している。寝室のライトがひとりでについたり、部屋の中にどうにも説明のつかない寒い場所があるという。



☆アメリカ人の好きそうなネタじゃ!

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大地震で陥没した森林、カインディ湖の水没林(カザフスタン)

2013年05月10日 | 世界びっくりニュース

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 中央アジアの国、カザフスタンのクンギーアラタウ山脈(天山山脈北部の尾根)、サティ村近くにあるカインディ湖。しかし、この湖はずっとそこにあったわけではない。水中から無数の松の木の幹が突き出ているため、ここがかつて森だったことがわかる。いったいここで、何があったのだろう?

 この湖は全長400メートルしかないが、深さは30メートル以上にもなる。1911年のケビン大地震で、大規模な地すべりが起き、峡谷がふさがれて自然のダムができた。その後、水が上がってきて、一帯に生えていたトウヒ(マツ科の常緑樹)の木が水没したのだ。



 水面上には、巨大な幹があちこちに突き出しているのを見渡すことができる。一方、水面下にはまったく違う世界が広がっている。ここは海抜2000メートルの場所で、水がとても冷たいため、水中のトウヒの枝がきれいに残っている。



 水は力を吸い取られてしまうような不思議な色をしている。この湖ができて以来、約100年間、水中に沈殿した石灰や他の鉱物のせいで、こんな奇妙な色合いになったという。しかし、近づいてみると、水は透明に澄みきっている。1930年代に放流されたマスの姿を見ることもできる。











 この湖は観光やダイビングの人気スポットでもある。毎年、カザフスタンやロシアからのたくさんのダイバーがやってきて、勇敢にも氷点下の水中に潜って、木の枝の間を泳ぎまわる。





 この湖は、カザフスタン第二の都市、人口150万、経済と文化の中心地アルマティから130キロしか離れていない。にぎやかなアルマティからそれほど遠くないが、サティ村からの最後の15キロは、手つかずの厳しい大地に苦労して分け入る覚悟をしなければならない。しかし、ここまで旅を続けてきた者にとって、来る価値のある体験になるようだ。

via:kuriositas.

カインディ湖をダイビング
Kayindi


☆カザフスタンの呪泉郷じゃ~!

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無数の手が壁を覆い尽くす、アルゼンチンのラス・マノス洞窟

2013年05月08日 | 世界びっくりニュース

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 アルゼンチンのサンタ・クルス州にあるラス・マノス洞窟は、壁一面に手が描かれているのが印象的だ。ラス・マノスは現地の言葉で「無数の手」を意味する。

 洞窟内に描かれた無数の手形の洞窟壁画はテウェルチェ族の祖先に当たると思われる先住民族によって9000年ほど前から描かれたものと言われている。絵具には鉱物が使われており、それを吹き付けるのに使われた骨製のパイプが見つかっているため、年代が算定が可能となったのだそうだ。

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メインの洞窟の深さは24mで、入り口の幅15m、高さ10mである。洞窟内は上り坂になっており、高さは2mもなくなるほどにどんどん狭まっていく。

これらの手形は、当時の人々が洞窟の壁に手をつき、その周りに塗料を吹き付けながらつくられていった。洞窟には他にも、人や様々な動物などが描かれている。幾何学的造形やジグザグの線刻、太陽を表しているらしい絵や狩りの様子なども描かれている。

La Cueva de las Manos

La Cueva de las Manos

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☆ここだけは、行きたいと思わんなぁ!

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