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エジプトの知られざるピラミッドにまつわる謎「未解決殺人事件と隠された遺産」

2021年01月22日 | 世界びっくりニュース
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エジプトのピラミッドミステリー
エジプトのピラミッドミステリー / Pixabay

 容赦なく太陽が照りつけるギザ古墳群の下には、古代エジプト文明の魅惑的な廃墟が眠っている。エジプトといえば、謎の多いスフィンクスや壮大な大ピラミッドが頭に浮かぶが、名もない墓やピラミッドがまだまだたくさんある。

 数多くのすばらしい歴史の宝の中で忘れ去られ、ただ時の流れや砂漠の砂の下に自然に"埋もれた"だけでなく、もしかしたら、もっと意味深な謎を秘めたまま、人知れず眠っている可能性もある。

 それらはなんらかの都合の悪い謎を示しそうになったせいで、当局によって文字通り"埋葬"されたのかもしれない。

埋もれたピラミッドとして知られるセケムケトのピラミッド


 埋もれたピラミッドという名は、未完成の階段ピラミッドが地面からわずかに見えるだけでほとんどが砂に埋まっている状態であることからつけられた。

 これは、エジプト第3王朝(紀元前2686~2613年)の2番目のファラオ、セケムケトの墓。セケムケトの前任者ジョセルのために建てられた有名なサッカラの階段ピラミッドのすぐ近くにあり、形もとよく似ている。

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埋もれたピラミッドとして知られるセケムケトのピラミッド

 1951年、エジプト学者のザカリア・ゴネイムがウナス王の墳墓の発掘をしていたとき、べつの建物の壁を見つけ、中心にもうひとつピラミッドが隠されているのを発見した。

 発掘を続けると、玉や化粧道具入れ、壺、セケムケトの名が刻まれた金の宝飾品などの副葬品が見つかった。

 3年後の1954年5月31日、ゴネイムはアラバスターで封印された手つかずの石棺を発見した。蓋の上に飾られた弔いの花輪はそのままで、まったく盗掘されていないことは明らかだった。

 メディアの注目も集まったが、棺の蓋を開けるのにてこずり、発見からたっぷり一ヶ月たってからやっと、政府高官、ジャーナリスト、カメラの前で、棺の中身が披露されることになった。

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石棺のそばで、残された弔いの花輪を指差すザカリア・ゴネイム
image credit: Answers in Genesis 

ザカリア・ゴネイムへの中傷:虚偽の告発と謎の死


 1954年6月26日、ついに棺をあける日がやってきた。ところが、しっかり封印され、1000年もの間、手つかずだったはずなのに、中身は空っぽだった。

 これには世間もがっかりし、ゴネイムを批判する記事まで書かれたが、棺の蓋が開けられとき現場にいた、当時の大統領ナセルは、ゴネイムを擁護し彼の功績を称えた。

 その後、ゴネイムは『埋れた謎のピラミッド』(山本出版、1960年)という本を出版し、アメリカへ講演旅行に出向いたりと、大成功したように見えた。

 ところが、この頃から、どういうわけか、ゴネイムはこの発掘にたずさわったエジプトの役人たちから嫌がらせの標的にされるようになった。

 講演からエジプトに戻るたびに、ゴネイムは繰り返し警察から呼び出されて尋問され、監視下におかれた。明らかな犯罪や不正行為の証拠などなかったのに、彼が貴重な副葬品を国外へ持ち出したのではないかというあらぬ疑いをかけられ、正式に起訴されたのだ。

 ゴネイムの評判は申し分なく、他の高名なエジプト学者、ジーン=フィリップ・ラウアーなども断固として彼を擁護していたにもかかわらず、嫌がらせや尋問はますます激しくなっていた。

 やっとのことでラウアーは、エジプト考古学博物館の中に、ゴネイムが国外に持ち出したとされた遺物が隠されているのを発見したが、この明らかな冤罪が公表されようという矢先、ゴネイムの遺体がナイル川で発見された。この謎めいた事件は、いまだにうやむやのままだ。自殺説、陰謀説が激しく議論された。

 1963年、ラウアーは友人や同僚たちと手を組んで、埋もれたピラミッドの発掘をさらに進めた。すると、さらに地下室やトンネルがあることがわかり、ゴネイムが発見したような副葬品が見つかった。

 動物の骨、壺、宝飾品が出てきたが、やはりミイラは発見されなかった。もっとピラミッド全体をくまなく調べようとしたところ、いきなりこの発掘は中止され、それ以降、調査されていない。

 政府関係者は、セケムケトはこのピラミッドの近くに埋葬されているに違いないと言っている。現在は埋もれたピラミッド周辺は一般公開されているが、地下部分には入ることはできない。

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エジプト考古学博物館に所蔵されている高官セネブと家族の像

キザ墳墓群の発掘調査におけるその他の不思議


 埋もれたピラミッドを発掘する25年前、ゴネイムはクフ王などの相談役だったセネブの墓とされる遺跡の発掘に参加していた。1925年から1926年のことだ。その豪華な墓はセネブが非常に高い地位にいたことを示している。

 エジプト考古学博物館に、セネブとその家族の像が展示されている。セネブの体は妙に小さく、小人症を引き起こす軟骨形成不全症を患っていたとされている。

 数十年後、彼の墓の周辺から、やはり高い地位にあったPereniankh(セネブの父親とされる) 、Djeho、カーヌムホテップといった人たちの像が見つかっているが、みんな体が小さい。

 ファラオたちがドワーフを非常に高い地位につけたという事実は、特に珍しいことではない。ほかの古代文化でも、小さな人たちは高く評価され、多くの王宮で召し抱えられていたからだ。

 しかし、奇妙なのは、盗掘されたのか、墓から彼らのミイラが見つからないことだ。Pereniankhは例外だったが、やはりのちに行方不明になってしまったようだ。

 墓泥棒の目的はたいてい副葬品であって、ミイラそのものではない。遺体をそっくりそのまま盗み出すことがなかったわけではないかもしれないが、破壊された遺体の残骸が周辺に散らばっているということがありそうなものだ。

 それに、Pereniankhの遺体だけはそのままにした説明がつかない。この事実は研究しがいがあり、一般庶民はその結果を待ち望むだろう。

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ザウィト・エル・アリヤーン古墳群に中にある多層ピラミッド

多層ピラミッド:発掘の歴史における多くの矛盾


 前述の埋もれたピラミッドやジョセル王の階段ピラミッドからそれほど遠くない、ザウィト・エル・アリヤーン古墳群の中にも多層ピラミッドの遺跡がある。

 第3王朝の階段ピラミッドによく似ているが、その発掘の歴史は奇妙だ。ジョン・シェイ・ペリングが初めてこのピラミッドを調査したのが1839年のこと。その後、60年近くの間にふたつの別々のチームが断続的に調査を行った。

 イタリアのエジプト学者で建築家のアレッサンドロ・バルサンティら、別のチームによる研究によって、1900年から1910年にかけて再び注目されるようになった。副葬品は見つからず、地下通路についての報告はペリングとバルサンティの見解は分かれた。

 下部構造の公式図が互いに食い違うだけでなく、ピラミッドのごく基本的な点に関しても専門家たちの意見はバラバラだった。

 大半の意見は、対象のファラオが予想外に早く亡くなったため、このピラミッドは未完成だとしているが、違う意見もある。ドイツのエジプト学者ライナー・シュタデルマンは、ピラミッドは完成していたと考えている。

 王の埋葬室と思われる地下の大きな部屋もこれまた謎を呼んだ。というのも、この部屋に続く廊下は狭く、ここを通るのならとても棺を運び入れることができないからだ。

 さらに、この部屋の上には巨大な回廊があったはずなのだが、1910年後半の発掘報告書からは完全に削除されてしまっていて、その記述がない。

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立ち入りが制限されている軍事エリア内にある多層ピラミッド

世界遺産か? 封印され埋もれた多層ピラミッド


 1970年、このあたりの砂漠地域は軍事区域に指定され、発掘調査も一般の立ち入りもできなくなった。もっとも奇妙なのは、このピラミッドのすべて、地下通路や玄室、回廊が意図的に砂で埋められてしまったことだ。

 さらに妙なのは、この軍事区域はエジプト中心部の小さな砂漠地帯にあり、軍事的、戦略的な重要性はとくにないことだ。

 どの国境からもかなり遠く、このエリアで唯一重要なのは、砂の下に埋めてしまったこのピラミッドだけのように思われる。

 グーグルアースで見ても、小さな建物以外、軍事施設らしきものはほとんど見あたらない。一方、何百マイルも離れた、遥かに敵対的紛争の可能性のあるエリアには、観光客や考古学者が群がる遺跡がある。

 1979年、ユネスコが正式に世界遺産物件を登録する制度をたちあげた。"メンフィスとその墓地遺跡─ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯"の定義では、多層ピラミッドと埋もれたピラミッド(そしてこの軍事区域)はまさに指定された世界遺産の中心に入る。

 しかし、覚えておかなくてはならないのは、世界遺産とは、"自然や人間が作った遺跡、地域、構造物で、国際的に極めて重要なもので、特別に保護して保存していかなくてはならないもの"という定義があることだ。

 言うまでもなく、発掘に何年もかかった遺跡を埋めてしまうという、考古学成果を台無しにしてしまう暴挙と同様に、世界遺産が立ち入りが制限された軍事エリアと重なっているのなら、世界遺産の意味をなさない。制限は広大な砂漠のこの狭いエリアのみに適用され、残りは国境に至るまでずっと立ち入ることができるのにだ。


The Discovery of the Unfinished Step Pyramid of Sekhemkhet in Saqqara (Featuring Dr Zahi Hawass)

答えの出ない疑問、秘密と憶測


 なぜ、ゴネイムは25年間も立派な仕事をしたのに、虐げられ、副葬品を密輸したなどとありもしない疑いで起訴されたのだろう?

 もし、ゴネイムが殺されたのなら、その動機はなにか? 彼の著作や講演の中に、なにかお上を怒らせるような内容があったのか?

 埋もれたピラミッドの石棺は本当に空だったのだろうか? 石棺の封印を解くのが一ヶ月も遅れたのは、中身を持ち出してどこかに隠すためだったのではないか?

 多層ピラミッドの下部構造について、複数の考古学チームの意見がこれだけ分かれるのはどういうことだろう?なぜ、何年もかかって発掘した遺跡を砂で埋めてしまったのだろう?


 大切な考古学遺跡が下にあるというのに、なぜ、戦略的価値のない場所に軍事エリアなど作ったのか?

 もちろん、ゴネイムの死は単に自殺だった可能性はある。だが、国の彼に対する異常な敵意を考えると、殺されたとみるほうが自然だ。エジプト学の歴史をみても、弔いの花輪が飾られ、アラバスターで封印された石棺の中身が空だったという事例はない。玄室の存在を言下に否定したのも、エジプト考古学における永遠の謎だ。

 でも、これで終わりではない。2017年、日本の森島邦博 特任助教が率いる名古屋大学の研究チームが最先端技術を活用して、大ピラミッドの中に巨大な空間を発見した。

 隠された部屋が存在することを示す紛れもない証拠を突きつけられても、エジプト学者たちは即座にこの主張を否定した。「隠された埋葬室がある可能性はゼロだ」とブリストル大学のエジプト学者エイドン・ドッドソンはけんもほろろだ。

 明らかにドッドソンの意見には根拠がないが、こうした否定、弾圧、認知的不協和という愚かな態度は、エジプト学の世界においてはよくあることで、その体質は1世紀以上変わっていないという。

References:Egypt’s Buried & Layer Pyramids: Unsolved Homicide & Hidden Heritage | Ancient Origins/

☆何故、エジプトは世界中の人が発掘できるのだろうか?日本も外国人に発掘させろや!!

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