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毎日のように、古代世界についての新たな発見があるが、その多くは謎めいたままだ。だからこそ我々は遠い過去の遺跡にロマンを思い描く。
大昔の文明を研究するのは、半分ピースの欠けたジグソーパズルを完成させようとしているようなものだと言われる。ときに見つかる新しいピースをなんとかつなぎあわせ、できるだけその実像を明らかにするよう努めてはいるが、どうしても埋められない隙間が必ずできてしまう。
もちろん、誰も見たことがない古代世界に謎はつきもの。それが、古代世界研究をとてもエキサイティングなものにしている。
現代まで残っている遺跡を調べれば調べるほど、答えよりも疑問ばかりがわいてくるが、研究しがいがあるというものだ。そんな謎だらけの世界の遺物を見ていこう。
古代メソポタミア文明の中でも、ミタンニ王国はもっとも謎めいた文明のひとつだ。彼らのことはほとんどわかっていない。エジプト人やアッシリア人のように、わりと知られている民族の情報を介して彼らのことをわずかに知るだけだ。
ミタンニ人は、紀元前1500年から1300年の間の200年間だけ存在していた。現在はなくなってしまったフルリ語という言語を話し、中心地はワシュカニという町だったが、その正確な位置はわかっていない。
最盛期、彼らはエジプト人の最大のライバルだったが、のちにエジプトと手を組んでヒッタイトと戦った。最後の王はシャツアラ2世と言われていて、アッシリアの王シャルマネザー1世との戦いに敗れ、ミタンニはアッシリアの領土になった。
2010年、かつて存在したと言われるミタンニ王国のケムネ宮殿の遺跡が発見された。ここの研究が進めば、とらえどころのないこの国のことがもっとわかるだろうと期待されたが、昨年まで調査することができなかった。
というのも、この遺跡はイラクにあるモスルダムの水中に沈んでいたからだ。2018年に旱魃のためダムの水が干上がり、ケムネ宮殿が初めてその姿をみせた。研究者たちが実際に現場に立ち入ることができ、やっとその秘密の扉に手をかけることができるようになった。
何百年、いや、千年もの間、中国浙江省龍遊郡の村人たちは、近くにあるたくさんの池は底なしだと噂してきた。
992年、村人たちはついにその伝説を検証してみることにした。資金を集めてポンプを購入し、ひとつの池の水を吸い上げて排出したのだ。
その結果わかったのは、その池はただの池ではなかったということだ。地下にあったのは砂岩の洞窟で、広さおよそ3万平方メートルのところに、人工的に作られたと思われる洞窟が全部で24もあった。これまでわかったことは、これが2000年以上も前のものだということだけで、その謎は深まるばかりだ。
この洞窟の起源や目的の記録は一切ないが、当時としては、かなりの大規模なプロジェクトだったはずだ。
専門家によると、この洞窟を作るには99万立方メートルを超える量の岩を堀り出さなくてならず、さらに、壁じゅうにのみでつけられたような均一な平行線は、当時の道具を考えると、非常に手間のかかる大変な作業だったはずだという。これほど大変なことを、誰が、なんのために行ったのか、まったくわかっていない。
古代の象徴的なランドマークのひとつ、巨大なストーンヘンジのことなら誰でも聞いたことがあるだろう。だが、地中海にあるスペインのメノルカ島の巨大遺跡のことは知らないかもしれない。
ここにもタウラ(taula:テーブルの意)と呼ばれる似たような巨大な石の遺跡があるが、その詳細は謎に包まれている。
紀元前2000年からこの島に住み、紀元前123年にローマ人に征服されたタラヨ人によって建てられたものという。初めて発見されたとき、水平のテーブル岩が上に乗った垂直の岩が地面から突き出ていた。
このモノリスの用途については、宗教儀式の場だったという説が一般的だが、それを確認するためのタラヨ信仰の詳細はなにもわかっていない。保存状態の良い、手の込んだ天文考古学遺跡である可能性もある。
ケンタウルス座を模して建てられたものと言う説もある。ドイツの考古学者ヴァルダマー・フェンは、月の周期を追うのに使われたのではないかと主張している。いずれにしても、この巨大遺跡の真実は謎のままだ。
ヨルダンの南部150キロに渡って続く古代の壁。最初に記録されたのは1948年だが、航空写真を使って正確に調査されたのは最近のことである。
壁の構造にはさまざまなタイプがあることがわかった。ある場所には、小規模な壁がメインの壁の並びから枝分かれしていたり、また壁が並行に二重になっているところもある。
壁の高さは、建設当時はわずか90センチから150センチほどで、石をただ積み重ねただけの粗削りな造りだった。しかし、壁が非常に長いことを考えると、その建設は途方もない労力で、その背後には明確な目的があったはずだ。
とはいえ、その目的はいまだはっきりわからない。ずっと、ローマ時代に防壁として建てられたと思われてきたが、この概念は現在否定されている。
ローマ時代以前の陶器の名残が見つかっているため、この壁はナバテア(ヨルダン前の古代アラブ人王国)時代のものと思われた。
さらに、この壁は防壁として機能するにしては、小規模で脆弱な造りで、途切れている部分が多すぎるとのこと。むしろ、農耕と牧羊地域の境をはっきりさせるための境界壁ではないかという。
だが、これらはただの根拠ある推測にすぎない。カット・シェビブは、遊牧の民ベドウィンの言う"昔の人の作品"のひとつで、いまだ謎だらけだ。
イスラエルにあるガリラヤ湖の水中に、古代のものらしいミステリアスななにかが潜んでいる。
直径70メートルもある巨大な丸い構造物で、ケルンのようだが、これは無数の玄武岩が円錐状に積み上げられて作られている。総重量は6万トンにもなるようだ。
初めて発見されたのは、2003年のこと。研究者グループがソナーを使って湖底を調べていたところ、偶然に見つかった。だが、これがいつの時代のものか、どうやって作ったのか、なんのためのものか、いまだによくわかっていない。
少なくとも、2000年前以上は前のもので、近隣のほかの巨大建造物を基準にすると、4000年以上前のものだという説が有力だ。
最初から水中に建設された古代の漁場だったという説もあれば、地上に作られた儀式用建造物、あるいは大規模墓地が沈んだものという説もある。
この調査が進めば、明確が答えが得られるだろう。まだ水中に沈んだままの古代建造物がほかにもあって、発見されるのを待っているのではないかという思いにかられる。
マルタ島は、地中海の小さな島国だが、およそ8000年にさかのぼる歴史が豊富だ。さらに、この島にはかつてあった古代文明の遺跡が多い。中でも、ハル・サフリエニの地下墓地ほど好奇心をそそられ、同時に当惑させられる遺跡はない。
それは、マルタ島の首都ヴァレッタからおよそ5キロのところ、地下に通路がはりめぐらされ、壁龕が点在する約6000年前の石灰岩の洞窟だ。それ以来、何千年もの間に掘り進められ、神殿や葬儀場として使われてきた。
発掘が始まってから数十年の間に、7000体以上の遺骨が発見された。一番の見どころは、神託の部屋だ。およそ5メートルの小さな長方形の部屋だが、壁に特殊な壁龕が彫られ、それがえも言えぬ音響効果を生み出す。
この部屋の中で声を出すと音が増幅され、全体に響き渡る。そのため、この部屋はデルポイの神託のように、お告げを行うための部屋だったのかもしれない。
このような特殊な音響効果が施された神託の部屋は、人体に強い影響を与えたと考える研究者もいる。この部屋で男性の低く太い声が唱えられると、その強烈な反響音が骨の髄まで響き、幻覚をみたりすることもあったのではという。
いにしえの時代、愛する者の遺体に祈り捧げている間に、この世のものとは思えない感覚を生むようなことが、確かにあったのかもしれない。
インカ帝国以前、今日のペルーの地は、モチェと呼ばれる謎めいた文化の本拠地だったという。
およそ2000年前の文化で、8世紀初頭まで続いたと言われる。滅んだ原因はいまだによくわからない。異常なエルニーニョ現象のせいで、何十年も川の氾濫が続いた後、旱魃に襲われた、大地震、侵略者、社会の変革がこの文明の崩壊をもたらしたとのではないかとさまざまな説がある。
文字の記録がなかったため、モチェ文化の謎は深まるばかりだ。彼らは陶器や金細工の熟練した腕を持っていたのに、モチェ社会になにが起こったのか、ほとんどわかっていない。
建設者としての彼らの技量の証明は、数千年前に建てられ、現在でも残っている石の墳墓だ。これらは2018年に発見されたが、いまだ謎に包まれている。
ワカ・リモン・デ・ウクペ周辺の発掘中、ペルー人考古学者がふたつの儀式用会場跡を発見した。ひとつの部屋には、互いに向き合ったふたつの王座があり、君主が大切な客と会食をした場所だと思われる。
これらの部屋は、宴会のために使われたようだが、残酷な目的にも使われたのかもしれない。遺物の中に人骨が見つかり、これまでの埋葬地や図像などから、モチェ文化は頻繁に人間の生贄を捧げていたことがわかった。この儀式会場は多くの生贄たちが最期を迎えた場所なのかもしれない。
数年前、デンマークの考古学者が、コペンハーゲンからおよそ64キロのスティーヴンスで興味深い発見をした。5500平方メートルに渡る杭で作られたフェンスの遺構だ。
もっと驚きだったのは、これが数千年前に作られたある種、迷宮のようなものだった可能性があることだ。
これまで、楕円形をしていたらしいフェンスの連なりの一部が5つ発見されている。現場から回収された遺物に基づくと、これらはおよそ5000年前のもので、北および中央ヨーロッパにいた新石器時代人フンネルビーカー(ドイツ語:トリヒテルベーケル)文化の遺構ではないかと、研究者たちは推測する。
悩ましいのは、フェンスの奇妙な配置だ。普通、フェンスは防御のためにはるが、この遺構はちょっと違う。杭はそれぞれかなり間隔をあけて打たれていて、簡単に通り抜けることができる。
さらに妙なのは、それぞれの列の入り口は互い違いにずれるように配置されていること。杭の大きさや数もまちまちで、あえてこのようにしてあるのではと推測された。
さまざまな証拠から推測して、この遺構は迷路のようなものではないかというのだが、新石器時代の人がなぜこのようなものを必要としたのか、それは謎のままだ。
イギリス、カンブリア州の丘の上、ハードノット峠にある遺跡は、ローマ時代の要塞跡だ。ハドリアヌス帝の頃に建設され、ローマの駐屯兵のために建てられたいくつかの砦のうちのひとつ。
当時 Mediobogdumとして知られていたこの砦は、それぞれ114メートルの長さの辺をもつ四角い構造物で、各サイドに門があり、厚さ1.8メートルの壁で囲まれている。完全に打ち捨てられるまで、250年以上は使われていたという。
最初、ほかの通常の砦と同じものだと思われていたが、ほんの数年前、ある物理学者がここの設計におもしろい事実を発見した。各門が太陽に合わせて作られていて、とくに夏至と冬至のときの日の出、日没とぴたりと合っているという。
宗教的な目的があったのだろうか? だが、ローマの砦には見られない特徴なので、このハードノット峠が特別だったのか? 多くの疑問の答えはまだない。
トルコ、ウルファから北東へわずか数マイルのところに、謎だらけの古代遺跡がある。直径20メートル、高さ5.5メートルの石の人工遺物で、何千年もの間、積み重ねられ建造されてきた。彫刻が施されている岩もある。
もっとも古い層は、紀元前1万年前にさかのぼる。不思議なのは、新石器時代の人たちがもっていなかったはずの、金細工、陶芸、農耕、町のような文明の基本要素技術で、彫刻が施され、磨かれたらしい柱があったこと。
世界で、大ピラミッドやストーンヘンジ、その他巨大建造物が建設し始められたときは、このギョベクリ・テペはすでに過去のものだった可能性がある。
ギョベクリ・テペは、わたしたちがこれまで人間社会の起源についてわかっていると思っていたことを考え直さなくてはいけない大変革だと、専門家が考えるのも無理もない。
この遺跡を発見・研究したドイツの考古学者クラウス・シュミットは、世界最古の神殿ではないかと考えた。放浪していた狩猟採集民族の部族が初めてこの遺跡に集結し、宗教的儀式を行ったのかもしれないという。
数年前、死後に保存され、彫刻を施された痕跡のある頭蓋骨の一部が発見された。ここで行われた死者の儀式の一部として、捧げられた頭蓋骨ではないかと思われる。
つい最近、ギョベクリ・テペには高度な幾何学的知識が使用されているとする研究が発表になったが、まだまだここには多くの謎が残されている。
先史時代の部族が10~20トンもする巨大な石灰岩の塊を動してなにかを作るのには、特別な理由が必要なはずだ。
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References:Mysterious Ruins From Around the World - Toptenz.net/
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Charles03/iStock
毎日のように、古代世界についての新たな発見があるが、その多くは謎めいたままだ。だからこそ我々は遠い過去の遺跡にロマンを思い描く。
大昔の文明を研究するのは、半分ピースの欠けたジグソーパズルを完成させようとしているようなものだと言われる。ときに見つかる新しいピースをなんとかつなぎあわせ、できるだけその実像を明らかにするよう努めてはいるが、どうしても埋められない隙間が必ずできてしまう。
もちろん、誰も見たことがない古代世界に謎はつきもの。それが、古代世界研究をとてもエキサイティングなものにしている。
現代まで残っている遺跡を調べれば調べるほど、答えよりも疑問ばかりがわいてくるが、研究しがいがあるというものだ。そんな謎だらけの世界の遺物を見ていこう。
10. ケムネ宮殿(イラク)
Ancient city discovered in northern Iraq
古代メソポタミア文明の中でも、ミタンニ王国はもっとも謎めいた文明のひとつだ。彼らのことはほとんどわかっていない。エジプト人やアッシリア人のように、わりと知られている民族の情報を介して彼らのことをわずかに知るだけだ。
ミタンニ人は、紀元前1500年から1300年の間の200年間だけ存在していた。現在はなくなってしまったフルリ語という言語を話し、中心地はワシュカニという町だったが、その正確な位置はわかっていない。
最盛期、彼らはエジプト人の最大のライバルだったが、のちにエジプトと手を組んでヒッタイトと戦った。最後の王はシャツアラ2世と言われていて、アッシリアの王シャルマネザー1世との戦いに敗れ、ミタンニはアッシリアの領土になった。
2010年、かつて存在したと言われるミタンニ王国のケムネ宮殿の遺跡が発見された。ここの研究が進めば、とらえどころのないこの国のことがもっとわかるだろうと期待されたが、昨年まで調査することができなかった。
というのも、この遺跡はイラクにあるモスルダムの水中に沈んでいたからだ。2018年に旱魃のためダムの水が干上がり、ケムネ宮殿が初めてその姿をみせた。研究者たちが実際に現場に立ち入ることができ、やっとその秘密の扉に手をかけることができるようになった。
9. 龍遊石窟(中国)
image by:Zhangzhugang / Creative Commons
何百年、いや、千年もの間、中国浙江省龍遊郡の村人たちは、近くにあるたくさんの池は底なしだと噂してきた。
992年、村人たちはついにその伝説を検証してみることにした。資金を集めてポンプを購入し、ひとつの池の水を吸い上げて排出したのだ。
その結果わかったのは、その池はただの池ではなかったということだ。地下にあったのは砂岩の洞窟で、広さおよそ3万平方メートルのところに、人工的に作られたと思われる洞窟が全部で24もあった。これまでわかったことは、これが2000年以上も前のものだということだけで、その謎は深まるばかりだ。
この洞窟の起源や目的の記録は一切ないが、当時としては、かなりの大規模なプロジェクトだったはずだ。
専門家によると、この洞窟を作るには99万立方メートルを超える量の岩を堀り出さなくてならず、さらに、壁じゅうにのみでつけられたような均一な平行線は、当時の道具を考えると、非常に手間のかかる大変な作業だったはずだという。これほど大変なことを、誰が、なんのために行ったのか、まったくわかっていない。
8. メノルカ島の巨大テーブル(スペイン)
Charles03/iStock
古代の象徴的なランドマークのひとつ、巨大なストーンヘンジのことなら誰でも聞いたことがあるだろう。だが、地中海にあるスペインのメノルカ島の巨大遺跡のことは知らないかもしれない。
ここにもタウラ(taula:テーブルの意)と呼ばれる似たような巨大な石の遺跡があるが、その詳細は謎に包まれている。
紀元前2000年からこの島に住み、紀元前123年にローマ人に征服されたタラヨ人によって建てられたものという。初めて発見されたとき、水平のテーブル岩が上に乗った垂直の岩が地面から突き出ていた。
このモノリスの用途については、宗教儀式の場だったという説が一般的だが、それを確認するためのタラヨ信仰の詳細はなにもわかっていない。保存状態の良い、手の込んだ天文考古学遺跡である可能性もある。
ケンタウルス座を模して建てられたものと言う説もある。ドイツの考古学者ヴァルダマー・フェンは、月の周期を追うのに使われたのではないかと主張している。いずれにしても、この巨大遺跡の真実は謎のままだ。
7. カット・シェビブ(ヨルダン)
The Khatt Shebib — The Mysterious Wall in Jordan
ヨルダンの南部150キロに渡って続く古代の壁。最初に記録されたのは1948年だが、航空写真を使って正確に調査されたのは最近のことである。
壁の構造にはさまざまなタイプがあることがわかった。ある場所には、小規模な壁がメインの壁の並びから枝分かれしていたり、また壁が並行に二重になっているところもある。
壁の高さは、建設当時はわずか90センチから150センチほどで、石をただ積み重ねただけの粗削りな造りだった。しかし、壁が非常に長いことを考えると、その建設は途方もない労力で、その背後には明確な目的があったはずだ。
とはいえ、その目的はいまだはっきりわからない。ずっと、ローマ時代に防壁として建てられたと思われてきたが、この概念は現在否定されている。
ローマ時代以前の陶器の名残が見つかっているため、この壁はナバテア(ヨルダン前の古代アラブ人王国)時代のものと思われた。
さらに、この壁は防壁として機能するにしては、小規模で脆弱な造りで、途切れている部分が多すぎるとのこと。むしろ、農耕と牧羊地域の境をはっきりさせるための境界壁ではないかという。
だが、これらはただの根拠ある推測にすぎない。カット・シェビブは、遊牧の民ベドウィンの言う"昔の人の作品"のひとつで、いまだ謎だらけだ。
6. ガリラヤ湖中のケルン(イスラエル)
Shmuel Marco
イスラエルにあるガリラヤ湖の水中に、古代のものらしいミステリアスななにかが潜んでいる。
直径70メートルもある巨大な丸い構造物で、ケルンのようだが、これは無数の玄武岩が円錐状に積み上げられて作られている。総重量は6万トンにもなるようだ。
初めて発見されたのは、2003年のこと。研究者グループがソナーを使って湖底を調べていたところ、偶然に見つかった。だが、これがいつの時代のものか、どうやって作ったのか、なんのためのものか、いまだによくわかっていない。
少なくとも、2000年前以上は前のもので、近隣のほかの巨大建造物を基準にすると、4000年以上前のものだという説が有力だ。
最初から水中に建設された古代の漁場だったという説もあれば、地上に作られた儀式用建造物、あるいは大規模墓地が沈んだものという説もある。
この調査が進めば、明確が答えが得られるだろう。まだ水中に沈んだままの古代建造物がほかにもあって、発見されるのを待っているのではないかという思いにかられる。
5. ハル・サフリエニの地下墓地(マルタ島)
マルタ島は、地中海の小さな島国だが、およそ8000年にさかのぼる歴史が豊富だ。さらに、この島にはかつてあった古代文明の遺跡が多い。中でも、ハル・サフリエニの地下墓地ほど好奇心をそそられ、同時に当惑させられる遺跡はない。
それは、マルタ島の首都ヴァレッタからおよそ5キロのところ、地下に通路がはりめぐらされ、壁龕が点在する約6000年前の石灰岩の洞窟だ。それ以来、何千年もの間に掘り進められ、神殿や葬儀場として使われてきた。
発掘が始まってから数十年の間に、7000体以上の遺骨が発見された。一番の見どころは、神託の部屋だ。およそ5メートルの小さな長方形の部屋だが、壁に特殊な壁龕が彫られ、それがえも言えぬ音響効果を生み出す。
この部屋の中で声を出すと音が増幅され、全体に響き渡る。そのため、この部屋はデルポイの神託のように、お告げを行うための部屋だったのかもしれない。
このような特殊な音響効果が施された神託の部屋は、人体に強い影響を与えたと考える研究者もいる。この部屋で男性の低く太い声が唱えられると、その強烈な反響音が骨の髄まで響き、幻覚をみたりすることもあったのではという。
いにしえの時代、愛する者の遺体に祈り捧げている間に、この世のものとは思えない感覚を生むようなことが、確かにあったのかもしれない。
4. ワカ・リモン・デ・ウクペ(ペルー)
Explore an Ancient Peruvian Banquet Hall | National Geographic
インカ帝国以前、今日のペルーの地は、モチェと呼ばれる謎めいた文化の本拠地だったという。
およそ2000年前の文化で、8世紀初頭まで続いたと言われる。滅んだ原因はいまだによくわからない。異常なエルニーニョ現象のせいで、何十年も川の氾濫が続いた後、旱魃に襲われた、大地震、侵略者、社会の変革がこの文明の崩壊をもたらしたとのではないかとさまざまな説がある。
文字の記録がなかったため、モチェ文化の謎は深まるばかりだ。彼らは陶器や金細工の熟練した腕を持っていたのに、モチェ社会になにが起こったのか、ほとんどわかっていない。
建設者としての彼らの技量の証明は、数千年前に建てられ、現在でも残っている石の墳墓だ。これらは2018年に発見されたが、いまだ謎に包まれている。
ワカ・リモン・デ・ウクペ周辺の発掘中、ペルー人考古学者がふたつの儀式用会場跡を発見した。ひとつの部屋には、互いに向き合ったふたつの王座があり、君主が大切な客と会食をした場所だと思われる。
これらの部屋は、宴会のために使われたようだが、残酷な目的にも使われたのかもしれない。遺物の中に人骨が見つかり、これまでの埋葬地や図像などから、モチェ文化は頻繁に人間の生贄を捧げていたことがわかった。この儀式会場は多くの生贄たちが最期を迎えた場所なのかもしれない。
3. デンマークの迷宮
image by:Danish Geodata Agency/Pernille Rohde Sloth
数年前、デンマークの考古学者が、コペンハーゲンからおよそ64キロのスティーヴンスで興味深い発見をした。5500平方メートルに渡る杭で作られたフェンスの遺構だ。
もっと驚きだったのは、これが数千年前に作られたある種、迷宮のようなものだった可能性があることだ。
これまで、楕円形をしていたらしいフェンスの連なりの一部が5つ発見されている。現場から回収された遺物に基づくと、これらはおよそ5000年前のもので、北および中央ヨーロッパにいた新石器時代人フンネルビーカー(ドイツ語:トリヒテルベーケル)文化の遺構ではないかと、研究者たちは推測する。
悩ましいのは、フェンスの奇妙な配置だ。普通、フェンスは防御のためにはるが、この遺構はちょっと違う。杭はそれぞれかなり間隔をあけて打たれていて、簡単に通り抜けることができる。
さらに妙なのは、それぞれの列の入り口は互い違いにずれるように配置されていること。杭の大きさや数もまちまちで、あえてこのようにしてあるのではと推測された。
さまざまな証拠から推測して、この遺構は迷路のようなものではないかというのだが、新石器時代の人がなぜこのようなものを必要としたのか、それは謎のままだ。
2. ハードノット・フォート(イギリス)
image by:Markas1370 / wikimedia commons
イギリス、カンブリア州の丘の上、ハードノット峠にある遺跡は、ローマ時代の要塞跡だ。ハドリアヌス帝の頃に建設され、ローマの駐屯兵のために建てられたいくつかの砦のうちのひとつ。
当時 Mediobogdumとして知られていたこの砦は、それぞれ114メートルの長さの辺をもつ四角い構造物で、各サイドに門があり、厚さ1.8メートルの壁で囲まれている。完全に打ち捨てられるまで、250年以上は使われていたという。
最初、ほかの通常の砦と同じものだと思われていたが、ほんの数年前、ある物理学者がここの設計におもしろい事実を発見した。各門が太陽に合わせて作られていて、とくに夏至と冬至のときの日の出、日没とぴたりと合っているという。
宗教的な目的があったのだろうか? だが、ローマの砦には見られない特徴なので、このハードノット峠が特別だったのか? 多くの疑問の答えはまだない。
1. ギョベクリ・テペ(トルコ)
image by:Cambridge Archaeological Journal
トルコ、ウルファから北東へわずか数マイルのところに、謎だらけの古代遺跡がある。直径20メートル、高さ5.5メートルの石の人工遺物で、何千年もの間、積み重ねられ建造されてきた。彫刻が施されている岩もある。
もっとも古い層は、紀元前1万年前にさかのぼる。不思議なのは、新石器時代の人たちがもっていなかったはずの、金細工、陶芸、農耕、町のような文明の基本要素技術で、彫刻が施され、磨かれたらしい柱があったこと。
世界で、大ピラミッドやストーンヘンジ、その他巨大建造物が建設し始められたときは、このギョベクリ・テペはすでに過去のものだった可能性がある。
ギョベクリ・テペは、わたしたちがこれまで人間社会の起源についてわかっていると思っていたことを考え直さなくてはいけない大変革だと、専門家が考えるのも無理もない。
この遺跡を発見・研究したドイツの考古学者クラウス・シュミットは、世界最古の神殿ではないかと考えた。放浪していた狩猟採集民族の部族が初めてこの遺跡に集結し、宗教的儀式を行ったのかもしれないという。
数年前、死後に保存され、彫刻を施された痕跡のある頭蓋骨の一部が発見された。ここで行われた死者の儀式の一部として、捧げられた頭蓋骨ではないかと思われる。
つい最近、ギョベクリ・テペには高度な幾何学的知識が使用されているとする研究が発表になったが、まだまだここには多くの謎が残されている。
先史時代の部族が10~20トンもする巨大な石灰岩の塊を動してなにかを作るのには、特別な理由が必要なはずだ。
<iframe src="https://richlink.blogsys.jp/embed/778931af-d5a0-31c1-9a45-aeb807c6b165" style="height: 120px; width: 580px; max-width: 100%; vertical-align:top;" scrolling="no" frameborder="0"></iframe>
References:Mysterious Ruins From Around the World - Toptenz.net/
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100種類以上の豊富な商材を、ワンストップで取り扱えるビジネスパートナーが全国で活躍中。
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