友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

持論を披露する開放された時間

2017年09月11日 17時49分13秒 | Weblog

  1週間に1回か、10日に1度くらいの割合で電話があり、近くの喫茶店で1時間ほど話す人がいる。もっぱら私は聞き役で、相手の言うことに相槌を打ったり、時に疑問を呈したりする。彼とは私が地域新聞を作っていた頃からの知り合いだが、こんな風に会うようになったのは最近のことだ。年齢は私よりも1回りは上だろう。どうして私を気に入ってもらえたのか、聞いたことはないが、話が合うからだろう。

 1985年、何の縁故もないこの地で月2回の新聞を創刊した。地域を知るためにとにかく歩き、出会った人とおしゃべりして、人と人のつながりを見つけ出していった。親戚関係が分かったり、同級生だったり、地元の人なら知っていることから知識を蓄積していった。だから、彼が名前を口にすれば、その家が思い出され、家族のことも話ができる。それに彼は歴史が好きで、私を同類だと決めつけている。

 郷土の英傑についてはある程度知っているし、この街にかかわる歴史上の人物は新聞づくりのためにも学習してきた。突然、彼が「家康が天下を治めることができたのはなぜかね」と聞く。「幼年期の過ごし方が、信長や秀吉と違うからではないですか」と私は答え、「家康は駿府の今川義元のところに人質に出されたけれど、預けられた寺で中国の古典についてもしっかり勉強していたと思います。先のことを見る目も大事だけど、古い時代の教訓を身に付けいた差ではないですか」と話した。

 来年の大河ドラマが西郷隆盛ということから、明治維新の話になった。なぜ薩長が討幕の主力となったのか、なぜ殿様が前面に出なくて身分の低い武士が指導権を握ったのか、維新によって近代化への道が開かれたと美化するが、それは結果論であって、実際は関ケ原の戦いと同じ権力争いでは、そんなとりとめのない巷の歴史談義がコーヒーを飲みながら続く。私は面白がって、私の持論を披露する、開放された時間でもある。

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