「めったに見られないから見てきたら」と国会議員の秘書の時、先輩の秘書に言われて衆議院の本会議場に出かけた。これで失職だという時に、「バンザイ、バンザイ」ってどういう神経なのだろうと思った。今日もテレビであの光景を見たが、全く昔と変わっていなかった。それにしても、民進党の前原代表の「希望の党から公認を」とは何という[「まさか」の提案だろう。
前原代表は「安倍政権を倒し、2大政党へ向かうため」と言うが、国民が求めているというか、私が求めているのは、政策の違いをはっきり示して欲しいということ。だから、民進党の解党は歓迎だ。憲法につて考えが違うのに、「当選する」ために一緒にいるのは政党ではない。まず、憲法について一致し、安全保障や生活保障などで一致した政策を打ち出して欲しい。
昨日の夕方、長女から連絡があって、急遽7時までに孫娘を学童保育に迎えに行くことになった。7時までには何とか行けたが、一番最後だった。孫娘を連れて長女の勤める病院へ行く。「今日は遅くなりそうなので、ファミレスでこの子に何か食べさせてやって」と言う。その時は「ママは行かないの」と小声で言っていたが、車が動き出したら急に声を抑えて泣き出した。
ママと一緒にいられないことがたまらなく寂しいのだろう。今は母親と同じ看護の道に進んだ上の孫娘も、長女が出勤していく姿を追ってよく泣いた。私の妹も、母が勉強のために名古屋へ出かける日は、駅の改札口まで泣きながらついて行った。女の子にとっては、母親の存在は何物にも代えられないのだろう。
私が議員の時、延長保育を提案したら、現場の保母さんから「この子たちがかわいそうと思わないのですか」と言われたことがある。誰もが自分の価値を発揮できる社会にするためにはどうしたらよいのだろう。子どもたちが犠牲になるような働き方ではなく、誰もが満足できるような社会にするにはどうしたらよいのだろう。
どういう社会、どういう制度、どういうシステム、一挙に実現できなくても、そこに向かって道筋を立てることは出来るはずだ。政党はそれを示してくれる存在でなければならない。