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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

久しぶりの井戸掘り

2017年05月08日 21時36分21秒 | Weblog

 久しぶりの井戸掘りで疲れた。私がもう少し慎重であったなら事故は起きなかったのに悔やむ。手づくりの道具で4メートルまで順調に掘り進んだ。下にはかなり水も溜まってきている。けれど、もう少し掘り進めたい。今度は水圧を利用する掘り方でやってみようと皆が言い出す。確かに手づくりの道具は重いから、それより簡単な水圧を利用する方法が良いかも知れないと、疲れもあって皆がそう思う。

 午後からは、水を送りだして掘ることにする。5メートルまで掘り進み、さらにもう1本塩ビ管を繋ぎ足し、さらに深く掘ろうと欲が出た。しかし、塩ビ管の繋ぐ手順が悪かった。繋ぐために無理やり下の塩ビ管をさらに地中に押し込んだ。こうして2つの塩ビ管を繋いだが、ここに無理があった。時間も午後4時半を過ぎてしまった。今日は長女の孫2人がカミさんの誕生日祝いに我が家にやって来るので、私は早く終わりたかった。

 繋いだ塩ビ管に水を送り込み、さあー掘るぞという時になったが、一度持ち上げないと塩ビ管内に泥が詰まっているので、塩ビ管が破裂してしまう。みんなで声を揃えて持ち上げようとしたが、全く上がらない。塩ビ管の重さに水の重さが加わり、さらに地中の塩ビ管に圧力が加わって何ともならないのだ。私はみんなで力を合わせて持ち上げてもらい、水圧をかけようとエンジンポンプを加速した。

 「ダメだ。ダメだ」と先輩が言う。「いや、もう一度やって」と声をかけ、さらにエンジンを加速すると、最後につなぎとめた部分が破裂し、上の部分が宙を舞って倒れ落ちた。おかげで先輩のひとりがひっくり返り、その頭に舞い上がった塩ビ管が当たった。舞い落ちた塩ビ管は破損し、新しく作り直さないことには使えない。万事休す。私が焦ったために全く申し訳ないことをした。

 午後6時、作り直すための部品を買いに走る。最後まで付き合うのも、自分が悪かったからで、しかも明日は、大腸カメラ検査のため私は参加できない。悪い時は重なるものだ。明日はぜひ、成功しますようにと祈る。

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「情けは人の為ならず」

2017年05月07日 18時18分04秒 | Weblog

 マンションのツツジが満開だ。今日は風が強い。黄砂なのか、遠くが煙ってみえる。私の左目は花粉症なのか、黄砂のためなのか、痒くて涙が止まらない。鼻水も止まらない。最悪の状態だ。こんな日は考えることも面倒になる。家の外に出れば鼻水は止まるのに、家の中ではクシャミも酷い。先輩は「花粉症になったことはないが、どこで打ったのか分からない傷がある」と腕を見せる。祖父も血が流れているのに傷に気が付かないことがあったが、年寄りは痛みの感覚も薄れてしまうのだろうか。

 私たちが井戸掘りに向けて道具の準備をしていると、同年配と思われる男が軽トラで私たちの前を行き来している。私たちに関心がありそうだ。文句のひとつでも言いたいのだろうか。男が車を止めてやって来た。「あんたたちはこちらの人かね」と言う。私たちはたまたま場所を借りて作業をしているに過ぎないが、場所の持ち主へ苦言でもあるのだろうか。

 「知り合いのところですが、どうされました?」と私が答えると、「この向こうの道端に、鉄板が落ちていて困っている。3人もいれば持ち上げられるんだが‥」と言う。そうか文句ではなく助けが欲しかったのか。「いいですよ。お手伝いしますから、先導してください」と答える。「もうひとつ、冷蔵庫も放ってあるんだが‥」と遠慮がちに言うので、「それも運びましょう」と答える。

 男についていくと、ガード下にまだ真新しい冷蔵庫が放ってある。さらに屋根に使っただろう鉄板の一部が落ちていた。車で運ぶ途中に落したのだろう。知らずに通れば大事故になりかねない。2つを作業場に借りている場所に運ぶ。カミさんに話すと「おせっかいな人ね」と呆れて言う。「困っているのに、知らないと言うの?」と聞いてみる。「どんな人なのかも分からないのに、よくやるわね」と皮肉を込めて言う。

 困っている人がいるのに無視は出来ない。みんなが「やらない」と言っても、私は手を出すだろう。幸いなことにみんなはこういうことに積極的だ。見て見ぬふりなど出来ないのだ。関わりたくないと無視することはしない。そこが若い人と違う「情けは人の為ならず」の世代だ。

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クラシックの歌とジャズのギター

2017年05月06日 18時17分08秒 | Weblog

 雨になるとの予報だったので、チューリップの球根を取り出す作業を中止し、これまでに取り出した葉のついたままの球根を雨の当たらない場所に移動させ、ルーフバルコニーの掃除など出来ることに精を出した。そこへカミさんの友だちがやって来て、「バラが凄いわねえ」と見て回ってくれた。確かに今年のバラはつぼみが例年よりも大きい。大学の先生をしている友だちが「バラは肥料がたくさん要る」と言っていたので、昨年の秋にちょっと奮発して肥料を与えた成果だろう。

 午後は大須の喫茶店で行われた長女のダンナの姉のコンサートに出かけた。教育大の音楽科を卒業してもコンサートまで開く人は少ない。これまでのコンサートはクラシック音楽の王道をいくものだったが、今日はちょっと変わっていた。会場が大須の喫茶店というのも初めてだ。ママがが「時々、こういうことをやっています」と言う。店内にはバイオリンを弾く女性の銅像もおかれていた。

 客席は30席の小さな喫茶店だが、ママがひとりでやるにはこれくらいまでだろう。客席はしっかり埋まっていたので、ひとりで接客するのは大変そうだった。会場が小さかったので、声もよく聞こえ、顔もよく見えた。ソプラノとジャズギターの演奏による『古今東西流行歌』を、どのように歌うのか、楽しみだった。クラシックの歌しか取り上げないと思っていたので、違う一面を見ることが出来た。

 いつもは細く高い声でしか歌わないのに、今日は太く低い声で歌う曲目もあり、これもまた彼女の別の才能を見た気がした。歌そのものはクラシックの声楽の歌い方ではあるが、誰でも知っている流行歌を取り上げ、新しい分野に挑戦していることもよく分かった。やっぱり、歌っている時の姿が一番美しい。教え子たちが「美人だよ」と褒めていたのも納得出来る。

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『こどもの日』

2017年05月05日 18時48分03秒 | Weblog

 『こどもの日』は、何をしていたのだろう。祖母が生きていた時は、木型に米粉を押し込み蒸して色つけした「おこしもち」を食べたように思う。母の実家は知多半島だが、こちらでは「ちまき」だった。実家は丘陵地の集落だったが、母の妹の家は海岸にあり、ここでは「かしわ餅」が食べられたと思っている。もう、「おこしもち」を作る家はないし、「ちまき」も「かしわもち」も家庭では作らなくなった。

 母屋から離れた小屋に機織り機があり、祖母はコットンコットンと機織りをしていた。三河木綿という反物を織っていたのだと思う。その小屋の隣りに鶏小屋があり、朝、小屋から卵を取り出して祖父に食べさせていた。時々、祖母は私を連れて映画館に行った。長谷川一夫と市川雷蔵のファンだった。時代劇が好きだったのか、時代劇しか観なかったのかと思うほどだが、話題の『君の名は』はひとりで観に行っていたのだろうか。

 祖母は私を可愛がってくれたが、私は祖父とはウマが合わなかった。祖父が大事にしていた大工道具を持ち出したりして、叱られることが多かった。姉と兄は年子で、姉とは14歳も離れていたので、姉を知った時は「ヨソのおばさん」だった。兄は英語が好きで、英語の雑誌を読んでいた。兄に連れられて名古屋にあったアメリカ軍将校が住んでいる家に行ったこともある。会話が出来たのだから英語力は確かだったと大人になって分かった。

 兄は英語の教師になりたかったが、材木屋の跡継ぎになるため大学進学をあきらめた。徒競走で一番で走っているのに途中で止まり、後から来る子を待つような優しい人だったから、祖父に頼まれて断ることが出来なかったのだろう。いやいやながら材木屋を継ぎ、おだてられて建売業に手を出し、人の好さに付け込まれて保証人を引き受け、結局は破産し夜逃げしてしまった。

 兄の子どもたちと再会したのは、兄が死んでしばらくしてからだ。正月と盆にみんなで会うようにしてきたが、いつまで続けられるかと思う。甥っ子や姪っ子の子どもたちが結婚し子どもが生まれたら、やはり子どもたちとの絆を強めるべきだろう。今年は祖父が建てたお墓も撤去してしまったから、みんなにその跡地を見てもらう。集まりも正月だけにした方がよいのかも知れない。

 今日も朝からルーフバルコニーで作業し、14鉢仕上げた。4日間連続で疲れた。

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「国民の休日」

2017年05月04日 18時50分56秒 | Weblog

 祝日と祝日の間の日は「国民の休日」と思っていたら、今日は「みどりの日」という祝日だった。「みどりの日」は4月29日だったように思っていたが、29日は「昭和の日」と名付けられた。日曜日と祝日の間を「国民の休日」と定めるなら、もう少し休みが多くなるのではないか。例えば、今月の6日は土曜日だから余り関係ないかも知れないが、火曜日に祝日が来れば月曜日は休みとなり、土曜日から休めると4連休になる。

 今日はうす曇りだったから、ルーフバルコニーでの作業にはもってこいだった。朝から夕方の風が吹き出すまで、ひたすら目を凝らし、手を動かし、新しい土づくりのためにチューリップの球根を取り除く。考えることは昔のことばかりだ。あれはどうしてそうなったのだろうと、取り返すことの出来ない過去に思いを馳せていた。そんな時、ふと、どうして今日は休みなのだろうと思ってしまった。

 祝日を定めた法律が変わっても、なかなか馴染めないでいる。「成人の日」は1月15日、「敬老の日」は9月15日、「体育の日」は10月10日と覚えていたのに、「ハッピーマンディ―」に変わり、その年によって違うのでしっくりこない。身についたものはなかなか切り替えることが出来ないのだ。こんなに経済成長してきたのだから、もっと「国民の休日」があっても良いと思うけれど、どう過ごすかで苦労している人たちもいる。

 日割りで働いている人は休日が増えると手取りが減るから困ると言う。全体の給与を上げ、誰もが生活に困らないようにするのはやはり政治の役目である。多様な働き方を認めながら、生活に必要な最低賃金を保障する方向へ、向かいつつあるとは思うがまだ遠い。そんな時、まさか憲法改定が先にやって来るとは思わなかったが、安倍首相には「今がチャンス」らしい。しかも、「憲法9条はそのままにして、自衛隊を憲法に定める」とはなんとメチャクチャなやり口だろう。

 憲法を無視して既成事実を積み重ね、その上「戦力は保持しない。国の交戦権は認めない」に続けて、「自衛隊を保持する」と加えることに矛盾も恥じらいもないのだから驚く。無性に腹立たしい気持ちで、朝から夕方まで作業を続けた。今日は小さい鉢が多かったので15鉢まで出来た。

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自信はどこから生まれるの

2017年05月03日 18時45分19秒 | Weblog

 次女一家は弟さんの結婚式のためハワイに出かけた。北朝鮮とアメリカ軍が「一発触発」の時だったから、何事もないことを願った。ハワイの海で遊ぶ孫娘の写真が送られてきたが、「メッチャ寒い。ブルブル」とあった。そして結婚式では、今月7日で3歳になる孫娘がリング運びの大役を仰せつかったが、「失敗し、大泣き。私も大泣き」とある。

 大舞台でどうしてよいのか分からなくなってしまったのか、失敗の中味が何かは分からないが、私も緊張症で、娘はもっと緊張症なのだから当然の結果なのかも知れない。それでも家族のきずなが強まったなら、それはそれで成功だっただろう。両家にとっても幼子が一生懸命に役目を果たそうとする姿は、「幸せのエンジェル」だったのではなかろうか。

 次女は長女とはまるっきり反対で、「石橋を叩いて」も渡らない子だった。いつも姉の後ろに隠れていて、これなら大丈夫という時は得意な顔をしてやってみせたが、新しいことには全く挑戦できない慎重派だった。姉が19歳の時にひとりでアメリカに行ったので、19歳になった次女に「あなたも行ってみるか」と聞くと、「絶対にイヤ」と言った。

 欲がない子だと思ったが、自信がなかったのだ。自信があれば人は意外にも出来ることがある。学校の成績でも特技でも、自信があれば挑戦出来る。次女は小学校の時、身体が大きかったこともあってバスケット部だった。試合のことは知らないが、みんなのリーダーだったのだから、やはり自信に満ちていたのだろう。

 私が小学校に入学して間もない時、国語の時間に先生が「読める人?」と聞いた。その時、ひとりの男の子が「ハイ」と手を上げ、スラスラと読みだした。私の両親は教師だったのに、小学校に上がる前に、読み書きを教えてくれなかった。この時以来、5年生のある時まで、私は自分から手を上げたことが一度もない。

 自信はどこから出てくるのだろう。安倍首相は「2020年には新憲法で」と改憲に意欲を示す。しかし、10年前に比べて改憲を支持する人は減っている。減っていても「やってしまえば出来る」と思っているようだ。改憲に反対するのは高齢者に多く、賛成するのが若い世代に多いのも気になる。

 今日は朝からルーフバルコニーで作業に励む。今日も9鉢仕上げた。

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何もしたくなかった

2017年05月02日 18時23分32秒 | Weblog

 何もしたくなかった。しかし、しなければ何も変わらない。マスコミは「世界が北朝鮮の動向に注目している」と報じているがウソだ。北朝鮮がミサイルを打ち上げたら、被害が出るのは韓国と日本、それに両国に駐留するアメリカ軍だけだ。武力で平和を達成することは出来ないのに、武力で現状を維持している首脳たちは、安全な場所から兵士に命令を下す。

 何かの間違いから戦争になってしまうことはある。咲き終わったチューリップを眺め、球根を取り出してサルビアを植える準備をしなければと思いながら、戦争にでもなれば無駄な努力になってしまうと思うと、やる気も失せる。アメリカのトランプ大統領が「私が金正恩委員長に会うことが適切と思えば、その時はもちろん喜んで会う」と話していた。

 まずはトランプ大統領と金正恩委員長が会って話すことが一番だろう。休戦協定を破棄して終戦協定を結び、平和条約を締結すれば、とりあえず「一発触発の危機」を回避することが出来る。「あの国はケシカラン」と他国が言うことではない。どういう政府を選ぶかはその国の民に任せる他ない。安倍首相が「憲法改正の機は熟した」と述べている。私は断固反対だが、決めるのは国民である。

 トランプ大統領は金正恩委員長を「なかなかの切れ者」と評価している。「強い」ことに憧れる人は、「強い」ことに執着するようだ。トランプ大統領が「ほとんどの政治家は(金正恩委員長と会談すると)決して口にしない」と言うのも、誰もやったことがないことをやることが嬉しくてたまらないからだろう。

 ひとまず危機が回避されたのだから、また日常に戻って、チューリップの球根を取り出しサルビアを植える準備にかかるしかない。今日は朝から天候もよく、ひたすら作業に勤しむ。夕方、風が吹いてくるまで、ひとり妄想の世界に入り込み、作業を続けた。9鉢出来た。

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仕事の前に道具の点検

2017年05月01日 18時20分40秒 | Weblog

 来週行う井戸掘りに向けて、道具の点検をした。長い間使っていなかったのでサビ付いていた。サビを落として油を塗り、刃はグラインダーで磨いてもらうことにした。何があって何が足りないのかを確認しておかないと、現場に行って作業が出来なくなっては、依頼主から「この人たちで大丈夫か」と思われてしまう。

 井戸掘りの手順についても、先輩から言われて受け身でやってきたので、なんとなく覚えているに過ぎない。何カ所かで井戸掘りをしてきたのに、作業中の写真も完成した写真も数少ない。作業しながら記録を残すのは難しいと今更ながら気が付いた。午前中で作業が終わり、みんなで一緒に昼飯を食べた。すると、新しくメンバーになった後輩のケイタイが鳴った。

 カミさんから「お昼ご飯は食べるの?」という問い合わせだ。どこのカミさんも「食べるなら早く知らせてくれないと作れないからね」と、ダンナのことより食事作りが気になるようだ。カミさんが介護施設に入っている先輩が「心配してくれるだけ幸せですよ。元気なうちに夫婦喧嘩でもいいからいっぱい会話しておくことだね」と言う。

 「朝から晩までひとりで暮らしていると、何にもしたくなくなる」とも言う。「医者から『趣味とか好きなことはないかね?』と言われて、『どうしてですか?』と聞くと、『このままではウツ病であなたまで倒れてしまうよ』と注意され、できるだけ外に出よう、人と接するようにしようと思った。みなさんとやらせてもらい感謝しとる」と先輩は言う。

 今年は地域の役を引き受けたことも先輩を元気にさせた。「隣の奥さんが、『煮物をしたから』と持ってきてくれたりして、ご近所のありがたさに今頃になって感謝している。働いている時は仕事一筋だったし、ご近所のことは女房任せだったから顔もよく知らない程だった」と。「地域で助け合うことが一番いいですよ」と相槌を打つ。ひとりで飲む酒は美味しくないけれど、仲間でワイワイやりながら飲めば楽しさも違う。

 家に帰り、ひとりでルーフバルコニーに出て、咲き終わったチューリップを鉢から取り出し、土の入れ替えの作業にかかる。しばらくすると、風が強くなって土ホコリが目に入って痛い。今日はこれまでと3鉢で終えた。

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