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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

フランスとギリシアの選挙

2012年05月09日 21時21分35秒 | Weblog

 フランスの大統領選挙で現職のサルコジ氏が敗れた。当選したのは社会党のフランソワ・オランド氏だが、サルコジ氏のような華やかさはない。「彼で勝てたのだから、華のある候補なら圧勝したかも知れない」と書いていた新聞もあった。フランス語は分からないけれど、オランド氏がオバマ氏のように、人々を引き付ける演説をしているようには感じなかった。

 ギリシアでの国会議員選挙では、中道左派と中道右派が交互に政権を担当してきた。第1党の中道左派の敗北は予想されていたことだが、第2党の中道右派までも議席を減らし、これまで総議席の3分の2を維持してきた連立与党は過半数にも達しなかった。その代わりに、財政危機に対する「緊縮政策に反対」で一致している極左と極右が議席を伸ばした。

 ギリシアの選挙では、「各国から財政支援を受けているのに」という批判がある。我が家のカミさんも「財政再建に反対して、どうするつもりなのか」と言う。外から見ればその通りなのだろうけれど、ギリシアにしてもイタリアにしてもスペインにしても、社会保障は切り下げられ、税金は大きな増税となり、なぜこんなにも借金を背負わなくてはならないのか、国民の多くがそう思っている。

 国民が選んだ政府が膨大な借金を作ってきた結果だとは分かっていても、感情的には「どうしてなんだ」と怒りが先に立つだろう。オランド氏は「緊縮政策ではなく、経済の清張政策を」と主張しているけれど、果たしてそんなことが出来るのかと私は疑問だ。フランスやギリシアばかりでなく、イタリア・スペイン・ポルトガルでも、いやドイツやオランダやベルギーでも、緊縮と増税の政策は国民の支持を受けないだろう。「他人のことより自分のこと。他の国より自分の国」という意識が強くなっているからだ。

 「みんな勝手だから」という面が無いとは言わないし、きっとそうなのだろうけれど、だからこそこれまでのような経済成長によって豊かになろうとする政策は放棄した方がよいと私は思う。これからは、共産党も成し得なかった「不平等な平等社会」に向かうだろう。お金持ちもいれば貧乏人もいる。けれどもその差が小さい社会だ。それなら今と少しも変わらない。そう、そんなに大胆に変わらないけれど、格差が小さい社会になっていくだろう。そして大きな政府よりも小さな政府へと向かうだろう。

 それは人々が望む社会だ。アメリカでもイギリスでも日本でも、働きたくても働けない人々がいる。みんなが少し働いて、みんなが少し豊かになり、みんなが少し楽ができる、そういう社会へ向かう過渡期にあるのだと思う。アメリカンドリームを求める若者たちには不満が残るかも知れないが、富が社会へ還元されていくなら、ドリームも悪くないかも知れない。名誉が残ればそれでいいとみんなが思えば簡単なことだろう。

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トラブル続き

2012年05月08日 19時22分12秒 | Weblog

 昨日と今日、2日連続で神社での井戸掘りに出かけた。朝、8時には現場に到着しているが、実際の作業は専門の業者が行っているので、私たちはただ見守っているだけである。何もせずに見ているだけというのは、楽なようだけれど、かなり疲れる。作業を手伝いたいのだが、足手まといになるばかりであるし、そうかと言って現場監督をするほどの知識も技量もない。傍に寄りすぎては邪魔になるので、幾分遠くから作業の様子を見守るばかりである。

 お昼過ぎからの作業の見守りは、睡魔との闘いで、腰をかけてじっとしていれば、自ずとまぶたが閉じにかかる。これは遺憾と場所を変えたり、仲間と作業の様子などを話すのだが、ひとりになるとやはり眠くて耐えられなくなる。ところが今日はトラブル続きで、ぼんやりしている暇がなかった。最初のトラブルを私は見ていなかったけれど、掘っていく機械の先端に取り付けた器具を穴に落としてしまったという。それを1時間以上もかけて何とか拾い出し、さあこれで掘り進めることが出来ると喜んだのに、今度は掘る重機にトラブルが発生し、万事休すとなった。

 掘っている穴に器具を落とすことは私たちも経験したことがある。井戸掘りが順調に進み、イケイケ気分になってきた時、どうしたわけか気が緩みトラブルを起こしてしまう。一瞬の気の緩みというやつである。さすがに専門の業者だと感心したのは、穴に落とした器具をつまみ出すための器具をその場で作ってしまったことだ。そして確かにその器具はうまく役割を果たすことが出来た。私たちは思わず「バンザイ」と歓声を上げた。大将は恐縮して、車に積んであった缶コーヒーを振舞ってくれた。もし、先端の器具が拾い出せなかったなら、場所を変えて一から出直すことになるところだった。

 掘る重機のトラブルは、油圧系の故障のようで、さすがにその場では直すことは出来ず、作業は明日に延期となった。機械はかなり古いもののようで無理して動かしてきた結果だが、よりによってさあこれからという時に限って故障する。私たちもこれで準備万端整ったという時に限って、大事な1品がなかったということが何度もあった。作業に入る前に、工程とそのための道具や部品を確認しなくてはダメだと約束し合うのだが、「まあええ」と慌てる一言に負けてしまい、結果的には無駄な時間を費やすことになってしまう。専門の業者は重機までがトラブルを起こすとは考えてもいなかったことだろう。

 作業に入る前に点検を怠らないことが、結果的にはスムーズな作業が出来る。この当たり前のことを思い知らされた一日だった。本当に見ているだけは疲れる。学生の時に、デパートの贈答品売り場でアルバイトをしたことがあったけれど、私の担当は「鴨の味噌漬け」で、全く売れなかった。ただ、立っているだけは本当につらい。今日は、そんな昔のことを思い出した。

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お疲れ様でした

2012年05月07日 19時34分33秒 | Weblog

 ゴールデンウィークはいかがでしたか。家族で行楽地へ出かけることが私たちの年代では定番でしたが、その子どもたちは近くて、安くて、手ごろな場所に出かけるようです。私たちも最近では毎日が日曜日のような生活なので、わざわざ混み合う休日を避けて、平日に出かけることが多くなった。しかし、現役世代と一緒に行動するとなると、やはり連休が大切な期間となる。次女夫婦が次女のダンナの両親と私たちを結びつけるために、貴重な4日間を計画してくれたので、素直に受け入れたけれど、次女夫婦には大変な旅行となった。

 何しろ次女夫婦は茨城県に住んでいるので、名古屋に来るには丸一日かかる。2日の夜に茨城を出て、新東名で来た。長時間の車の運転は疲れるから新幹線で名古屋まで来て、我が家の車で姫路の実家まで帰ればいいのではと提案したけれど、慣れない車で長距離は嫌だというので、ふたりで交代しながらやって来た。けれども首都高速は相変わらず込み合っていて、しかも新東名も大渋滞で3日の午後の到着になった。さて、翌日は朝7時に我が家を出て、名神を通って中国道へ入るが、西宮を抜けるまでダラダラと渋滞が続き、ダンナの実家に着いたのはお昼だった。

 さて、今度は目的地である城之崎温泉へ車2台で向かう。大渋滞はなかったけれど、城之崎に近づくとやはり車は多い。それでも夕方4時ごろには宿に到着。次女がしたかったという浴衣で温泉街を散策することも出来た。私は城之崎温泉が、7つの外湯を巡る温泉地だとは知らなかった。温泉街の中央に川があり、両岸に柳の並木続く。おそらく観光用と思われる石橋がいくつもあって、川には鯉が悠々と泳いでいる。そんな街をそれぞれの宿の浴衣を着た人々が行き交う。

 下駄の音もなんとなく心地よい。圧倒的に若い男女が多いけれど、私たちのようなジジババも結構いるし、家族連れも多かった。外湯にはそれぞれ名前が付いて、その建物も凝っている。「御所の湯」など概観はまるで大きなお寺のようだった。洞窟風呂が自慢のところもあれば、中国の名勝である西湖から移植した柳の木下から噴出したという温泉もある。私は外湯は1ヶ所しか行かなかったけれど、朝一番に入った人には「一番風呂札」という木札がもらえる。ダンナの父親は温泉好きだそうで、翌朝の午前6時半から並んでこの「一番風呂札」を手に入れてきた。

 大いに飲んで食べて、そして文字通り裸の付き合いができた。子どもたちのこんな粋な計らいに感謝である。茨城と姫路ではちょっと遠いけれど、名古屋は中間に位置しているし、ダンナの両親も子どもたちもカミさんもゴルフが出来るのだから、温泉だけでなくゴルフも出来ればさらにゆったりと楽しめるだろう。そんな機会も生まれることだろう。若い時に知り合うこともいいけれど、こうして老いてきて知り合うことは深みと味合いが違うようだ。

 翌朝、もう一度温泉街を散策してお土産を買い、お昼は久美浜のレソトランで取った。ここでダンナの両親と別れ、私たちは敦賀に出て、関が原を経て帰ってきた。5日の午後8時前だ。サービスエリアで買い求めてきた食料品を並べて、ビールとワインで食事を取る。6日の朝7時に、次女夫婦は茨城へと帰って行ったが。午後2時過ぎには家に戻ったと連絡があった。長い間、本当にご苦労様でした。そして何よりもありがとう。

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『ハナミズキ』

2012年05月03日 09時27分37秒 | Weblog

 街路樹のツツジが満開になっている。ハナミズキの通りも満開だ。高校3年の孫娘にツツジを指して「満開だね。名前は知ってる?」と聞いてみた。「知らない」と言う。毎年、街路樹や家々の庭で見ているはずのツツジの名前を知れないのかと驚いた。ハナミズキなら知っているだろうと思って聞くと、「サクラ?」と言う。「サクラはもう散ってしまったよ。それに花の形も葉っぱの形も違うでしょう。ハナミズキだよ」と言うと、「ああ、そうか、あの一に青という字を書く人が歌っている」と続ける。「一青窈(ひととよう)は読めないよね」と私。

 「じゃあ、この青々と若葉が茂っている街路樹は?」とケヤキを指すが、「知らない」と言う。「あの、棚から花房が垂れているのは?」「ウーン」「あれは藤だよ」「ああ、花が咲けば分かる」と、なんとも寂しいことを言う。高校3年にもなって、こんなに草木の名前を知らないのか。4歳の時から水泳ばかりしてきたけれど、小学校の1年の時には、イギリスにも旅行しているし、上海やグアムにも行っているが、あれはもっと小さい時だったから何も覚えていないかも知れない。

 草木とか小鳥とか昆虫とか、そういうものに関心を持つか否かはかなり個人差がある。いろんなことに興味を抱くようになる小学校の高学年からは、家族旅行に出かけていないし、それでももう少し誰もが知っているような事柄は教えておく必要があった。両親が忙しくて出来ないのであれば、ジジババである私たちの責任だったと思った。高校生になって随分と女らしくなってきた。この子の家では新聞は取っていない。学校での話題についていくために、芸能界のことはケイタイで見ているようだけれど、高校生の関心はそんなことばかりなのだろうか。

 私たちの高校時代とは半世紀の差があるのだから違って当然だけれども、それでも幼い気がする。『ハナミズキ』の歌の意味は分かっているのだろうか。「何か、ちょっと悲しい曲だったよね」と言っていたから、印象としてはキチンと受け止めているようだ。しかし、実は私自身は歌の意味がよく分かっていない。「君と好きな人が百年続きますように」と繰り返されるから、恋人の幸せを祈っているのだろう。彼も恋人が好きなのだが、「僕からの気持ちは重すぎて 一緒に渡るにはきっと船が沈んじゃう」、だから「どうぞお先にゆきなさい」と自分に言い聞かせるのだろう。

 彼は自分の愛が、完璧に彼女を幸せに出来るのか、そういう迷いが自分の中にある、完全でない自分が彼女を愛するより、彼女が好きな人と結ばれる方が彼女にとって幸せになるはずだと考える。愛は考えるものではないのに、考えてしまうところが彼の限界なのだろう。だから「僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと止まりますように」と祈るのだ。夏目漱石の『こころ』は友人を出し抜いて結婚してしまうが、武者小路実篤の『友情』だったか自信がないが、友人のために身を引くようなストーリーだったから、『ハナミズキ』は実篤風なのかも知れない。

 高校3年の孫娘に、「好きな人はいないの?」と聞くと、「いないし、将来、結婚はしない」と言う。結婚はしなくてもいいけれど、好きな人がいないのは困ったものだ。好きになることを恐れているのかとちょっと心配している。さて、明日から6日まではブログを休みます。

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7月28日は『黄土高原の暮らしと民俗』

2012年05月02日 11時05分21秒 | Weblog

 風薫る5月、毎月1日に2ヵ月後の場所取りの抽選が午前8時50分から行われる。8時30分までに出かけて行き、抽選の順番を決める番号を引く。それから50分になるとその番号の若い数字の人から順次、本抽選のクジを引く。私の番号は5番であったが、最後に引いた人は2番だった。「最後に1番とか2番が残ることはよくあるんですよ」と係りは言う。それでもやはり心配で、誰もが早めに抽選会場に駆けつける。どこの施設も利用者が多く、こんな風に抽選で会場を決めている。

 公共の施設以外には設備の整った適当な部屋がないことや、駐車場や交通の便などを考えると、どうしても公共施設が一番都合がいい。そして何よりも料金が安いので助かる。しかし、公共施設は全体には数が足りないようだ。抽選会場に来ている人たちを見ていると、同好の人たちが自分たちで集まって行う場を求めている。数が多いのは健康体操とか美容体操とかいうもので、絵手紙や習字や絵画といった趣味の仲間、ピアノがあるので歌や楽器の練習の場所として探している人たちだ。どこでもいつでも気楽に公共施設が使えるようになるといいなと思う。

 私は望みどおり、7月28日(土)の昼から、80人は入れる小ホールを予約することが出来た。スクリーンはあるので、プロジェクトがあれば何とか映写も出来るし、会場は広いので、そこで写真の展示も出来る。中国の黄土高原に住み着いた女性が人々の暮らしについて話をしてくれるのだが、何といっても彼女が撮った老人たちの写真が素晴しい。ぜひ観て欲しいと思っている。

 同時期にエントランスホールが空いていなかったので、7月18日から22日までの5日間だけではあるが、エントランスホールも予約した。ここで、写真展を行えば前宣伝になると思う。せっかくの機会だから、写真展『黄土高原の暮らしと民俗』をあちこちで展示していきたい。そういう場所があればぜひ連絡して欲しい。葬儀に使う写真を撮って上げたことから、彼女はその村の貴重な人材になったという。その経緯や、あんなにもいい顔をしている人々の暮らしや思いも聴いてみたい。

 大和塾の第26回市民講座『黄土高原の暮らしと民俗』への期待が早くも私の中で高まっている。7月28日(土)午後2時より、北名古屋市文化勤労会館小ホールにて開催するので、たくさんのみなさんにおいでいただきたいと思っている。昨日、ここまで書いて安心したのか、ブログにアップすることを忘れてしまった。ボケている。情けない。

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