久し振りによく働いた。今日は半田で井戸掘りだった。依頼主はちょっと変わった人で、森の中に白いドーム型の建物を造り、その周囲には樹木の間にブランコやハンモックがあり、テーブルとイスが置かれた不思議な空間がある。おとぎの国のようであるが、心安い大人たちのたまり場のようである。小さな池が点在し、見ると池全体をハスの葉が占めている。近くの小学生がザリガニ釣りにやってくると言う。
白いドーム型の建物から何やら歌声が聞こえてくる。歌の好きな人たちが集まってカラオケに興じているようだ。森の中だけに、どんなに歌っても誰からも文句は来ないだろう。大人たちの隠れ場所と言うべきなのかも知れない。ここは人家から遠いので水道がない。みんなが集まって遊ぶにしても水がないのはちょっと困る。それで井戸が欲しいと言うことらしい。
この場所からそんなに遠くないところで井戸を掘った経験から、「表面の土を2メートルほど、ユンボで掘ってくださるとやりやすいのですが」と頼んでおいた。確かに今日、出かけてみると2×3メートル深さ2メートルの穴が掘られていた。周囲から水が染み出してきて、深さ1メートルほどの池になっている。もう少し掘って、水量を多くしたい。それが可能だろうか、とにかくやってみることにした。地表から4メートルほどだから、穴の底から2メートルほど掘った。掘り出した土が泥水となって沈殿し、水中ポンプで汲み出してもすぐに詰まってしまって動かなくなる。
今日はここまでにして土曜日に再度挑戦することにする。井戸には電動ポンプを取り付け、近くの畑に水をやるのかと思ったが、依頼主は「電動ポンプもいいが、手押しポンプも置きたい」と言われる。その理由を聞いてビックリした。電力に依存する生活はそのうち出来なくなる。だから昔のように井戸に頼る生活を強いられるだろう。少なくとも、電力に頼らない生活に向けて準備することが大切だ、と言うのだ。そうか、この不思議な森の空間もそのための準備なのかと、依頼主がやろうとしていることが分かった気がした。
どういうことなのか詳細は分からないけれど、NHKテレビが夜9時からのニュース番組で、大学生が投資ファンドをつくり20億円を集めて雲隠れしてしまったと報じていた。私のところにも時々、投資の話で電話がかかってくる。「儲け話には興味がありませんから」と断っているが、中には「それはウソでしょう。銀行に口座を持っているでしょう。何のためですか?」と議論を吹っかけてくる人もいる。こうなると議論好きな私は「儲けるというのはどういう意味なの?それは人生にとってどれほどの意味があるの?」と聞いてみる。実際、人がどのように考えているのか、知りたいと思うからだ。
20億円を持って雲隠れして、何時捕まるのか、誰かに殺されないか、一緒に逃げている女は裏切らないか、そんなことばかり考えていて、何が幸せなのだろう。これからは物の豊かさではないだろう。今日の依頼主の言うように、自給自足の質素な生活を強いられるだろう。そのための生活づくりをしていこう。そういう人がいるのに、大学生のように、金に執着し、そのために闇の中で生きていかなくてはならない。何もなくても、豊かな緑があり、人の温かさがある、自分で畑を耕し、疲れたらハンモックで昼寝をする、そういう人生もあることを逃げている大学生に教えてあげたい。