友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

奔放な恋に憧れた人々

2012年08月19日 21時30分31秒 | Weblog

 一日中テレビの前にいて、4試合も見続けるとさすがに疲れた気になる。ベスト16からどこが生き残るのか、高校野球の一番面白いところだと思う。私は特別にどこを応援しようとか、どこが好きというものはない。しかし、テレビを見ている自分を振り返ると、どのチームに肩入れしているかは分かる。弱い方というか、突出した選手のいないのに勝ち進んできた、そんなチームを知らず知らずに応援している。いわゆる判官びいきである。これはどうも、日本人に多く見られる傾向らしい。

 判官といえば源義経のこと、兄の頼朝とは異母弟である。義経の母の常盤は絶世の美人であったと言われるが、身分は低かった。これを父の義朝が見初めて妾にして、3人の男の子を産ませたが、義経はその末子である。テレビドラマ『平清盛』でも、常盤は子どもの助命のために清盛の妾になっているから、よほど美貌の持ち主だったのだろう。兄、頼朝に追われ奥州へ逃げなくてはならなかった悲運の義経に対して、愛惜し同情することを判官びいきという。義経は確かに薄命の人とは思うけれど、この悲劇は頼朝と育った環境の違いにあるように思う。

 頼朝は義朝の嫡男として、武家の家で育ち、流された伊豆でも関東武士の生活を見ているが、義経は奥州藤原氏の下での武家しか見ていない。義経は戦上手だったかも知れないが、武士の扱い方はうまくない。どうすれば武士たちが信頼を寄せてくれるか、そのノウハウを学んでいない。だから頼朝に反旗を翻す決意をした時、これは大きなチャンスだったのに義経に従う武将はいなかった。先の見込みのない人には誰も付いていかない。義経を慕う武士がいないことは悲運だけれど、自らが招いたことなのだ。

 テレビドラマ『平清盛』では、清盛が権力を手中にしていくが、その方法はこれまでの貴族が行なってきたことを踏襲している。平氏が不運なのは、天皇、上皇、法皇という天皇家を整理できなかったことではないだろうか。後白河上皇を利用してきたために、天皇家の上に立つことまでは考えられなかったのだろう。義経もまた、都に留まったためなのか、平氏と同様に貴族化していく。このことも武士には面白くなかったと推測できる。

 この平安末期は和歌も盛んで、誰もが知っている『新古今和歌集』の選者、藤原定家もこの時代の人だ。「来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ」は有名だ。プロ中のプロの作品と言える。恋人を待ち焦がれる気持ちを幾つかの掛詞を使って実にうまく表現している。この頃の貴族はこの歌のように恋に夢中だったようだ。恋に恋すると言ってもよいだろう。清盛の妻の時子は、テレビドラマでは『源氏物語』の殿方ような男性が現れることに憧れていたが、この物語は奔放な恋愛物語で、恋は夜這いによって完結すると言ってもいい。

 こんな歌を見つけた。

  会いたくて また会いたくて 電話する 声聞けばなお 会いたくなるのに

  いらいらと 待つだけの愛 さびしいと 告げてみたいと 時には思ふ

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