友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

高校野球を見て兄のことを思い出す

2015年03月24日 19時07分58秒 | Weblog

 昼に、ハガキを投函するために10分ほど外へ出た。身を切るような冷たい風が強く吹いていた。寒さがイヤと言うことでもないが、それ以外はずーと家にいた。高校野球を見ながら、封筒にラベルを貼り、大和塾のチラシを詰め込む単純な作業を黙々とやる。20歳の孫娘が小・中学生の頃は、「こういう作業は好き」など言って手伝ってくれた。議員になる前から、封筒にラベルを貼り、手紙を入れて糊付けをする作業をしてきたからもう20年間もこんなことを続けている。

 ブログを初めて何年になるのだろう。中学からの友だちとの約束で始めたけど、こちらも結構長く続けている。大和塾の先輩が「1日に10人に会い、100ページ本を読み、1000字書く」と言われたことから、ブログは千字を目安にしているが、今日のように外に出ないと見聞きするものがないからネタが見つからない。ひとつの言葉、一つの事件があれば、そこから千字が引き出せるのに、高校野球だけでは何も思いつかない。

 私の兄は背が高く、スポーツも得意だったのか、昭和20年代だったのにスキーの道具を持っていたし、野球も好きで、よくキャッチボールをさせられた。兄にしてみれば女の子のような弟を鍛えるつもりだったのかも知れないが、13歳年下の私が恐がっているのに平気で強い玉を投げてきた。ストレートはグローブで受けても手がはれ上がるほど痛かったし、カーブやドロップは受けることも出来なかった。

 兄が高校生の時、私を連れて進駐軍の将校の家を訪ねたことがあった。白塗りの大きな家を見たのも始めてで、上げてもらった洋式の室内を見てその豪華さに驚いた。白人の女性と英語で話す兄に驚くことはなかったのに、芝生の家には憧れた。英語の教師になりたいと言っていた兄が、どんな会話をしていたのか分からないが、いつもの楽天的な表情で女性を笑わせていた。傍にいる私が緊張で固まっていることには気付いてくれなかった。

 高校野球を見ると兄のことを思い出すが、野球部に在籍していたのだろうか。野球部などまだなかったのではないか。兄はどうしてグローブとバットを持っていたのだろう。

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