友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

文化祭での合唱コンクール

2008年10月31日 21時35分27秒 | Weblog
 中学2年の孫娘の文化祭を見に行ってきた。家族の誰もが見に行けないから、ビデオを撮ってきた欲しいと頼まれたからだ。恥ずかしがり屋の私としては、若いお母さんやお父さんに混じって、カメラを構えるのは気が引ける。だからいやだったけれど、「誰も見られないんだから撮ってきて見せてよ」と言われ仕方なかった。

 文化祭は一日かけて行われた。プログラムを見ると総合的な学習の時間の発表とか生徒会活動の発表とかも行なわれている。3年生の選択音楽と選択体育の発表を見た。選択音楽は和太鼓で、地元の和太鼓クラブの人が指導している。20数人はいたと思うけれど、圧倒的に女の子が多い。選択体育は日ごろは卓球とかテニスとかをやっているそうだが、この日は6人から8人くらいのグループがダンスを行なった。

 ダンスはヒップホップ調のもので、おそらくグループがきちんと揃えばそれなりに見ごたえがあったかもしれないが、どういうわけかグループに1人か2人、何でやらなきゃーいかんのという態度が見え隠れするほどふてくされた子がいて、みんなの足を引っ張っていた。逆にグループの中に1人か2人、かなり様になっている子がいた。お母さんたちの話では、何人かがそうしたダンス教室に通っているそうだ。

 発表したのは全員が女の子だった。お母さんたちは、だぶだぶの体操服ではなく、「ダンスのための衣装でもあればもう少しやる気になったでしょうにね」と話していたけれど、学校はそれを許さないであろう。何か、美しいものと言うよりも美しさに欠けるものという印象だったから、確かにお母さんたちが言うように、それなりの衣装を着ければもっと溌剌とした演舞になったであろう。

 この頃はどこの学校でもクラス対抗の合唱コンクールが行なわれているが、この日のメインも合唱にあったようで、合唱の時間は保護者席が満席になった。かくいう私もその一人で、孫娘がピアノ伴奏をするというので、恥ずかしながら保護者席の一番前の知り合いに席を譲ってもらってカメラを構えた。「3年生になると、ガクットうまくなるんですよ」と話してくれたお母さんがいたが、聞いてみるとそのとおりだった。孫娘たちの2年生は1年生に追いつかれそうだった。

 「今の3年生は比較的おとなしいけれど、2年生は問題児が多いですから」と先ほどのお母さんが教えてくれた。ズボンをお尻まで下げている男の子は2年生の方が3年生よりも多いからなるほどと納得した。孫娘が「男子はちっとも声を出して歌ってくれない」と言っていたこともわかった。2年生は反抗的になる時期だと思うけれど、そうすることにイキがっている連中もいる。はみ出したことをやる子どもたちこそ本当は一番自分を認めて欲しいのだ。

 和太鼓を教えている人が「そういう子は目立ちたいのね。和太鼓に来る子の中にもそういう子はいるけれど、目立ちたがり屋だから褒めてやると一生懸命にやるよ。子どもは絶対ほめなきゃダメだね。褒めてやれば、ますます一生懸命にやるね」と言う。それは子どもだけではない。人は誰も自分を認めて欲しいのだ。褒めて欲しいのだ。けなされて頑張ろうなどと思うような人は一人もいない。

 今朝の新聞に、出向でうつ病になった人の裁判の記事が出ていた。「使い物にならない人はいらない」と上司は叱咤激励したようだが、褒めないような人は上司としては失格である。どうしたら下の者が気持ちよく働くことができるのか、察することができない人は上司にならない方がいい。
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