友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

花はどうして美しいのだろう

2009年03月22日 18時26分56秒 | Weblog
 朝から雨降りである。少し肌寒いような気もする。5月中旬並みの暖かさが続くと、ホンの少し気温が下がっただけでも随分寒く感じるように思ってしまう。3月下旬だというのに、春の花が一斉に咲き始めた。梅はもう散ってしまったと思っていたら、近所の白梅が今を盛りに咲いている。紅梅なのかスモモなのかはっきりわからないが、ピンクの花もよく咲いている。マンサクやユキヤナギも見事に咲いている。

 街路樹にもなっているのはコブシなのかハクモクレンなのか。調べてみると、花の下に小さな葉をつけていればコブシだとわかった。私が子どもの頃にはあまり見かけなかったような気がするが、いつごろからか街中で目に付くようになった。ハクモクレンが満開になるとまるで白い鳥がいっぱい木に止まっているように見える。

 小学校の時の中庭に大きな木蓮が1本あった。小学校5年の教室の南にあったと思う。大きな葉と大きな花びらが記憶にあるが、あれは外側が赤かったから木蓮に間違いない。花の名前などに余り関心がなかったけれど、最近では「あれは何という花なのだろう」と思うことがある。初夏に瀬戸の丘陵地へ行くとニセアカシアの白い花を見かける。アカシアは黄色い花で咲く時期も違うのに、どうしてニセアカシアなどという名がついたのだろう。瀬戸から多治見への丘陵地にはナンジャモンジャという妙な名前の樹木もあるが、花が咲く時は雪を被ったように見える。

 可児の花フェスタ公園のハンカチノキというのも珍しい。本当にハンカチがぶら下がっているようだ。花は、草や樹もそれぞれに、自己主張が強い。受粉をして実をつけるための工夫だろうけれど、そうした智恵はどのようにして生まれたのだろう。厳密に言えば植物に知恵などないのかもしれないが、花の開花やその彩や仕組みにはどうみても智恵が備わっているように思えてならない。神は地上に何かの偶然で生き物を作られた。その偶然から初めに植物が生まれ、そしてまた次に偶然から動物が誕生した。ならば、生き物は共に生きる智恵を有しているのではないのだろうか。

 花はどうして美しいのだろう。男たちは女性の美しさを花にたとえてきたけれど、確かに男である私からすると女性は花のように美しいと思うけれど、女性もまた花を美しいと言うから、美しいと感じる基準のようなものに男女の違いはないのだろう。けれども男を花のように美しいとたとえることはないのはどうしてなのだろう。

 3月28日は『夜桜の宴』を計画している。雨降りでなければよいが‥。するとすぐに晴れ男から「雨はありませんよ」と言われてしまいそうな気がした。いつも前向きにしか決して考えない晴れ男である。花にたとえるなら「サクラ」かな?
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