友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

笑顔で言えただろうか?

2012年12月27日 18時43分28秒 | Weblog

 こちらがどんなにミスしても、「ああ、いいですよ」と笑ってくれる気のいい人がいる。本当に有り難いと思うし、申し訳ないと思う。全く逆に、小さなミスを大きな間違いとばかりに責め立てる人もいる。そのミスが自分の不注意で起きたものなら、非は自分にあるのだから責めに甘んじなくてはならない。けれども、相手の方にミスの原因がありながら、責め立てられるのには腹が立つし怒りさえ感じる。

 NHKの朝の連続ドラマ『純と愛』は、ますます分からなくなってきた。おせっかいな主人公の純は、純粋で前向きだ。ところがこのところ、やることなすこと全てが裏目になってしまう。就職したホテルで客が喜ぶようにと我武者羅に努力するが、結局ホテルは外資にのっとられ、彼女の夢とは程遠い利益優先の経営に変わってしまう。故郷、宮古島で両親が経営していたホテルも今や人の手に渡ってしまった。

 純が必死になればなるほど周囲は傷ついていく。彼女は父親から「こうなったのもみんなお前のせいだ」と非難される。そして自分も「首相がコロコロ変わるのも、みんな私のせいなのだ。私は要らぬことばかりして、結局は何もできない。私なんか生まれてこなければよかった」と落ち込んでいる。自分を責めているうちはそれでもよかったが、今日は純を支え続けてきた愛に向かって、「みんな、あなたのせいよ。あなたが悪いのよ」とまで言ってしまった。

 全てを自分のせいだと考えると、自分を傷つけ追い込みウツになってしまう。自分は何も悪くない、こうなったのはアイツのせいとか社会が悪いとか、他人のせいにすれば攻撃的になる。人はどうしてもっと賢くなれないのだろう。今日は市が行なっている検診に行ってきた。検診そのものは手際よく進んだけれど、受付嬢が「市からの書類がありません」と言う。私はカミさんからもらった書類に全て記入して持ってきた。書類がないとはどういうことなのか合点がいかない。

 受付嬢は「もし、なければ市の方で再発行してもらえますよ」と言う。家に帰って探してみたけれど見つからない。おそらく私が要らないものと思って処分したのだろう。担当の部署に電話で聞いてみると、「再発行できます」と言う。「いつ取りに行けばいいですか?」と聞くと、「今から作りますからすぐ来ていただいてもいいですよ」と親切だ。頂いて病院に戻ると、「もう1枚必要です」と受付嬢は言う。再び担当の部署に出かけてその旨を伝え再発行してもらう。

 市の部署の人も、病院の受付嬢も、気長な人でよかった。どうしてこんな面倒なことをしなくてはならないのかと、勝手に腹を立てていた自分が小さく見える。「ああ、ごめんなさい。ありがとうございました」。私は笑顔で言えただろうかと心配になった。

 今日は今年最後のブログです。新年は1月4日から始める予定です。それでは良いお年をお迎えください。

 

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