友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明けましておめでとうございます

2013年01月04日 21時20分18秒 | Weblog

 明けましておめでとうございます。

 新しい年が始まり、既に4日目となった。元旦の朝日を眺めると、どうしてなのか分からないが、清々しい気分になる。例年なら、これから始まる新しい年が良いことの始まりのように、期待で胸も膨らむ。けれど、テレビのCMで、「パパの夢はなあに?」と聞かれて困った父親のように、年老いると夢は出てこない。「とりあえず健康で長生き」などと考えたくもない。

 昨日は私の兄弟とその子どもたちが我が家に集まる恒例の新年会だった。20人近い人数になるので、料理や飲み物はそれぞれ持ち寄る。幼稚園や小学校に通っていた子どもたちも今ではもう社会人になった。今年、お年玉を貰ったのは高校1年と3年、それに3歳の孫娘だけだった。来年はまたひとり少なくなる。社会人になった側は、ちょっと照れくさそうにお年玉を渡していた。

 お年玉は高校生までだから、厳しいのは大学生かも知れない。18歳になれば自立するというのが我が家の鉄則で、社会人となればお年玉を上げる側になる。私の妹が「おばあちゃんもお年玉が欲しい」と冗談で言っていたけれど、年金の収入しかない身となると、確かにそう言いたくなるだろう。この「新年会」もいつまで続けられるだろうか。私が死ねば当然出来ないだろうけれど、社会人となった姪っ子の子どもたちが家庭を持てば、参加しなくなるだろう。すると、元の兄弟だけの会になっていくのだろうか。

 それに、姉の要望に応えて、秋川さんの故郷、四国の西条市へ行った時からヘンだと思っていたけれど、姉は昨日もお漏らしをしてしまった。その自覚がないことが寂しかった。私もいずれああなるのかと悲しかった。姪っ子は「デイサービスは受けないと言ってきかない」と困っていた。昔は「モダンガール」だったのに、昨日の姉は難しい顔をして、じっと座り込んでいた。これからどうなっていくのだろうか、姉自身は最期と感じているのだろうか。「じゃあ、今度はお盆に会いましょう」とみんなが言い合って分かれたけれど、ふっと先のことが心配になる。

 昨日は憲法9条で激論となった。子どもたちは「また、年寄りが騒いでいる」と思ったのか、他の部屋に移動してしまい、文字通り年寄りばかりの論戦となった。「こういう問題こそ、若い人たちが行なって欲しい」とカミさんは嘆いていたけれど、若い人たちは「お酒の席でする話ではないでしょう」といった様子だった。ひとり、現役の大学生だけがジジババの論戦に加わっていたけれど、極めて常識的な発言だった。

 私はいつもの通り、「戦争するより降伏した方がいい」と極論を言うので、「ややこやしくなるので、あなたは黙っていて」とクギを刺されてしまった。私としてはもっとも現実的で理想的な解決策だと思うけれど、賛成者はひとりもいなくて孤独感を味合うことになる。

 そんなこんなで、今年も我が道を行くつもりです。では、よろしくお願い致します。

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