友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

四国巡礼と懺悔の旅

2017年11月17日 17時38分26秒 | Weblog

  四国八十八か所を巡るお遍路をしている人がいる。最近はブームで、歩く人がずいぶん多いそうだ。四国の4知事が世界遺産への登録も考えているとも聞く。大和塾で四国巡りをした友人に、講演してもらったこともあるが、私自身はそんなに興味はない。友人はお遍路体験を出版していて、その書き出しが「『じゃ、行ってらっしゃい。気をつけてね』と妻が駆け寄って手をにぎって見送ってくれた」とあったので、ぜひ、話を聞きたいと思った。

 大和塾の塾生の中にも巡礼中の人がいる。話を聞くとずいぶん宿泊施設も整備されていて、民宿もホテル並みのところがあると言う。「お遍路に出なくてはいけないほど、悪いことをしてきたんだろう」と冷やかす人もいる。「きっと懺悔の旅なんだ」と言うのを聞いて、おやっと思った。懺悔はキリスト教の言葉で、罪悪を認めて神の許しを請うことだから、空海が修行したという霊場を巡る旅に使うのはおかしいではないかという疑問だ。

 そうなると「悔い改める旅」というのも当たらない。仏教に「悔い改める」という言葉があるのか知らないが、「悔い改める」もやはりキリスト教の言葉だと思う。キリスト教は絶対な存在である神に対して、罪深い自分が契りを結ぶことで救われる。仏教には絶対的な存在はなく、自分が何者かを問い詰め、悟ることで安らぎを得る。東洋人なかんずく日本人は、島国で育ち、四季折々の移ろいから、無常観を身につけ、「悟り」にたどり着いたと思う。

 昨夜はお酒の席ではあったが、結構レベルの高い話が花開いていた。「トランプ大統領は北朝鮮からの危機を煽って、結局、日本と韓国に武器を購入させた」とか、「トランプ一辺倒の安倍では日本外交は失敗する」などという政治談議も生まれた。一生懸命で生きてきただけに、ジジババは元気で革新的だ。このエネルギーを子や孫に伝えるにはどうしたらよいのだろう。今日、安倍首相が所信表明を行ったが、最後に「憲法改正への論議」を求めていた。安倍首相に「懺悔」は存在しない。


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