友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ベトナム映画『1735Km』

2008年10月29日 23時54分44秒 | Weblog
 今まで、アジア映画祭を観ていた。ベトナム映画『1735Km』という題名だった。新興国の映画は新鮮でいいなと思う。ハノイなのかホーチミンになのか、しっかり見ていなかったからわからないけれど、とにかくどちらかの街に帰る男女が、列車で偶然に隣り合わせになるところから物語りは始まる。「出会い」とは何か、「結婚」は何か、「運命」は何か、そんなことが伏線になっている。

 二人の出会いは偶然だけれど、そしてまた初めはトンチンな二人であったが、何日間かの旅の間にお互いの心が開いていく、そして結ばれていく。男女の出会いはおそらくそんなものだろう。出会う人は数多いのに、二人が互いを必要と意識し出せば、二人の出会いは偶然から必然へと変わっていく。そうなれば、これは正しく運命でしかない。けれども、何もしなくても意識し出すわけではないし、心が通い合うわけではない。

 二人の間での紆余曲折の中で、深まっていく二人がいれば、別れてしまう二人がいるのだ。互いの心が通じ合うためにはよりいっそうの愛が必要なのだろうし、愛を育てるためには積極性も我慢も必要なのだと思う。映画では、なかなか人を受け入れられなかった男性が、勝ち組の人と結婚することが親のためでもあり自分の将来を保障するものだと現実的に考える女性と、結局は恋に落ちていく。男性は思い切って自分の気持ちを告白するが、女性は受け入れることができない。できないけれど現実的な損得だけの結婚は破棄してしまう。

 ベトナムという社会主義国家でありながら開放政策を取っている若い国家の、しかも若い監督が作った映画だ。純朴な「愛」が、「愛」として複雑であるがより確かな「愛」に向かおうとしている姿を描いていると思った。もちろん、最後には二人が社会人として成功し、再び出会うといったハッピーエンドだけれど、まあこれはお国柄仕方のない結末なのかと思う。

 男性が長々と自分の気持ちを稚拙だけれど誠実に告白し、けれども女性が彼を受け入れず立ち去っていく場面は二通りに描かれている。一つは、女性は去っていくけれどすぐに戻ってきて「心の命じるままにすることにした」と彼と抱き合う。これは空想で、二つめが現実で、女性は戻ってこないが結婚の約束は破棄してしまうというものだ。

 私の教え子から手紙が来て、「どんな人か知りたくて、どんな考え方をするのかほとんどわからないけれど、好意を持ったから興味を持った。けれどそれは、最愛の夫を傷つけることになる。それが一番つらい。先生に叱られたら何も起こらない前に止めることができるかも」とあった。彼女が恋に落ちているなら、どんな言葉も耳に届かないだろう。結局はどうするかは、自分の判断だ。その結果を受け入れることしか、人間は出来ないように思う。
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