今週末はマンションの夏祭りだが、同じ市内の他の町内の夏祭りと重なっているので、このところ何年も参加できないでいる。マンションの役員を引き受けている友だちは、「マンションのことをやらずに、他の祭りに出かけるはおかしい」と非難するが、その町内会からは出店の依頼があったが、マンションの自治会からの話は無かった。依頼もないのに「屋台やらせて」と言ったのでは、自治会としては困るだろう。
マンションの夏祭りは、住民がそれぞれに役目を引き受け、みんなで行うことを原則にしている。私たちに出店を依頼してきた町内会は、まだ歴史が浅かったのか、これからみんなで盛り上げていきたいので、食べ物を扱う屋台がぜひ欲しいということだった。市の夏祭りで私たちが行っているアユの塩焼きや焼きそばを知って、「ここでもやって欲しい」と言う。祭り好きのみんなは「やろう、やろう」と乗り気だった。
みんながそれぞれに自分に合ったところで本領を発揮するので、指示命令はないし、上下関係もない。売上金で反省会という名の旅行や宴会を行っている。反省会では子どもも大人も、男も女も平等に発言する。小さな共同体である。最近は、幼かった子たちが大人になってきて、積極的に発言するようになった。もうそろそろ、年寄りは引退する時期に来ているようだ。
選挙に若い人が行かないのは、「何も変わるわけじゃーないし、特に困っているわけでもないから」という気持ちが強いからだろう。私たちも「政治の話はタブー」と避けて来た。私たちの仲間には頑強な保守もいれば、山本太郎に1票を入れたという変わり者、私のような無政府主義者もいる。だからこそ、論議すれば結構面白い展開が期待されるが、同時に分裂も予想されるので、結局、避けてきたのだ。
大学生になったばかりの頃、「理性は己の醜い部分を隠すためにある」などと発言したことを思い出す。本当に信頼できる仲間なら、言いたいことを言い合ってもよいと理屈では思うけれど、実際に本音がぶつかれば取り返しのつかない事態になるだろう。それはそれと互いを認めることが出来るようになるには、まだ成長が必要な気がする。