友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

スポーツの好きな人たち

2018年07月23日 17時27分07秒 | Weblog

  酷暑!行ったことはないが、「地獄の暑さ」と言いたくなる。今朝、用事で出かけた。車を降りると熱波の中だった。こんな暑さの中で、私の母校の高校は甲子園を目指して奮闘している。私が在籍した頃は、サッカー部は強かったが野球部は目立たなかった。野性的なサッカー部に比べて、成績も優秀で格好いいメンバーだった。いつからベスト8入りするようになったのだろう。

 この暑さの中でも練習をしている。50代の元野球少年が「ボクらの頃は、どんなに暑くても水を飲むことは許されなかった」と言う。暑さに慣れる身体をつくり、辛さに耐える心を養う、そのための指導だっただろう。今から考えれば無茶なことだが、耐える、鍛える、それで強い身体と心をつくり上げることができると当時は本気で考えていた。

 一生懸命に努力することを否定しないが、私自身はそこに価値を見出したことがない。スポーツに真剣に取り組んでいる友人は多くいたが、私は率先して苦しさを受け入れ、打ち勝つ身体と心をつくりたいと思ったことのないナマケモノである。相手に勝ちたいとか相手チームに勝利したいとか、そういう競争することが苦手だ。

 スポーツが好きな人は一生懸命に努力する人が好きだが、私は屁理屈な人間なので、努力するだけで立派とは思わない。何を求めて努力するのか、努力の目的は何か、それを評価の基準にしている。ものすごく例えは悪いが、ヒットラーだって「強いドイツ」を目指して「努力」したし、恐怖政治を執行したスターリンだって「祖国の安泰」を願って「努力」した。

 トップに立つ人は必ず「努力」する。でも、何を目指しているのかで評価すべきだろう。その努力が無駄であったり、時には間違っていたりすることもある。「あんなに一生懸命に頑張っているのに、あんたは何もしていない」と非難されても、私はやっぱり、「努力」だけでは「いい人」とは思わない。これは生き方の違いで、永遠の課題なのだろう。

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