友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

流転

2015年03月14日 17時54分23秒 | Weblog

 カミさんの妹のダンナが亡くなった。私よりも3つ年上で背も高くガッチリした身体の大きな人だった。昨夜、ジョギング中に気持ちが悪くなり、今朝息を引き取った。死因は心臓の大動脈の破裂だった。妹が「お兄さんも気をつけてね」と言う。おそらく太り気味だったので、健康維持のために運動を欠かさなかったのだろう。健康に人一倍気を遣っているのに、急に亡くなった人を私は何人も知っている。

 考えてみれば、長患いにならなくて幸せだった。人が亡くなれば誰かに迷惑をかけることになるが、寝たっきりになれば迷惑どころではすまなくなる。73歳、充分に人生を味合った。私もこんな風に幕を閉じることが出来ればと思うが、後3年少なくとも2年は生きていたい。平成18年から始めた「市民による市民のための市民講座・大和塾」の10年の区切りまでは責任がある。孫たちの成長も見たいけれど、そこまで欲張ると切りがなくなる。

 小学生でも4割近くの子どもがスマートフォンを持ち、中学生になると8割を超えるという。スマートフォンがどうしてこんなに普及してしまったのだろう。確かに電話よりは便利だ。電話では出られない時もあるし、かける時も「いいのかな」と思う。メールを送っておけば、相手は気付いた時に返信してくれる。スマートフォンの場合はさらに使い勝手がよいらしい。私は蚊帳の外だけれど、カミさんや子どもたちは毎日ラインでやり取りしている。恋人同士なら携帯メールで充分伝え合うことが出来るはずだが、複数となるとラインがよいのだろう。

 川崎市の中学1年生の殺人事件もこのラインが深くかかわっている。また、淡路島の殺人事件では容疑者がインターネット上で被害者を中傷していたという。インターネットなど見なければいいと思うし、ラインなどやらなければいいと思うけれど、それは現実を知らない年寄りの発想らしい。そういえば、私たちの若い頃も「太陽族」とか「みゆき族」とか社会の非難を浴びてきた。「新人類」とも言われたりした。

 スマートフォンが今は全盛だが、そのうちにまた新しいものに取って代わるだろう。取って代わるものが出てこなければ、そういう時は人類が滅ぶ時だ。みんな一緒に旅立つのだから、それもいいじゃーないか。

コメント
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