川崎市で中学1年の男子が首を切られて殺害された事件で、18歳の少年が逮捕された。こうした少年や少女の犯行と報じられると、必ず「どういう家庭なのか」「親は何をしていたのか」と話題になる。親であった者なら誰でも「ウチの子どもでなくてよかった」と思うだろう。核家族になって、家族間が疎遠になってしまった。親子でも夫婦でも同じことで、相手の悩みを共有することがない。
フェスティバルで子どもたちが描いた絵を見ていて、絵よりも名前が気になった。「海翔」「織里」「暖愛」「優愛」「美耶」「風翔」「透矢」「彩人」「蒼晴」「蒼依」「涼葉」「元斗」「周斗」「咲人」「彩音」「紳」「来美」「紗良咲」「真愛」「麻唯」など、まだまだ他にもこれは何と読むのだろうという名前が多い。大学生の孫娘に聞くと、「光宙」はぴかちゅう、「姫星」はきてい、「陽翔」ははると、「心桜」はこころ、こういう名前をキラキラネームというと教えてくれた。
高校の国語の先生は読めなかった。小学校の先生に聞くと、「親は世界でひとつしかない名前にしたがるの。それが個性だと思っている」と困惑していた。なるほど、世界にひとつしかない名前なのか。私たちの頃は「名は体を表す」というので、使う漢字の意味を考えたけれど、名前の付け方も変わってきたのか。そういえば昔、我が子に「悪魔」と名前を付けた親がいたが、子どもは自分の名前を誇りに思うとでも考えただろうか。
昨夜で終ったドラマだが、NHKBSで『だから荒野』はそんな最近の家庭を描いていた。鈴木京香さんが演じる主婦は、家に自分の居場所がないことに気付いて家出し、長崎で原爆の語り部をしている家に住み込むことになる。夫婦は他人同士だけれど、親子や兄弟は血がつながっているから、似たところがある。そんな微妙な心の動きを描いていたし、人は誰もが心に傷を負っていること、それを吐露することで分かり合えるとも描いていた。
私たちの頃は、「青年は荒野をめざす」だったけれど、「だから荒野」とは何だろう。荒野は沃野でもあるというセリフもあったけれど、人次第ということなのだろうか。原爆で亡くなった人も、災害で亡くなった人も、事故や病気で亡くなった人も、それぞれに人生がある。人の死に差別はない。個性は誰にも備わったもの、磨いていくのは自分自身である。