友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ドキュメンタリー映画『ファルージャ』

2015年03月01日 18時35分58秒 | Weblog

 ドキュメンタリー映画『ファルージャ』は100人を超す人が観てくれた。劣化ウラン爆弾による後遺症は今も続いている。戦場となったイラクはもとより兵士としてイラクで戦ったアメリカ兵やイギリス兵にもその後遺症は現れている。けれども、それを政府は公にしない。戦場からの帰還兵が精神を患い、多くの自殺者を生み、社会への不適応者になっていることも大きく取り上げられることがない。

 「『ファルージャ』には目を覆いたくなる場面があるので、上映するのはどうかと思う」という意見があったけれど、私が観た限りでは問題にするような残虐な場面はなかった。たしかに、劣化ウランによる先天性の奇形児が映っていたけれど、それは残虐ではなく悲しい悲劇だった。人間の争いがこのような悲劇を生み出している、紛れもないこの事実をむしろしっかりと受け止めるべきだろう。

 イスラム国は敵対する者は殺すというけれど、神はそんなにも愚かだろうか。絶対的な神ならもっと大きな存在ではないのか。イスラム国という戦闘集団が支持を広げているのは、彼らが凶暴なため恐怖で支配していると共に、自分たちが虐げられているあるいは不平等だと感じさせる現実があるからだろう。富める者と貧しい者との格差の広がりは、先進国でも不満を蓄積しているが、国や地域や民族でもそれは同じだろう。

 高校生の時にイクラ戦争が始まり、戦争反対のデモに参加した女性が、社会人となって映像の世界で働くことになり、もう一度イラク戦争を振り返ってまとめたドキュメンタリー映画である。若い女性監督が作品を通した自己検証でもある。私たちは、どこに生きているのか、なぜ生きているのか、何をしなくてはならないのか、映画を観ている私たちもまた問い直すべきだろう。かかわりたくないと他人事にしてしまう気持ちこそ、克服しなければならないことなのだろう。

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