友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

原爆の悲劇

2014年09月18日 19時52分29秒 | Weblog

 広島に原爆が投下された時、爆心地から1キロ以内にいた人たちは灰になってしまった。4キロ以内にいた人たちは爆風で皮膚を焼かれ、「水、水をくれ」と彷徨い、川や海に入り死んでしまった。重症を負いながら生き抜いた人も何人かいた。名演9月例会は、青年劇場による『島』で、広島の高等工業へ進み、被爆した青年をめぐる物語だ。彼はかろうじて生き残った。けれど、原爆の悲劇は死者だけではない、生き残れたことは幸せだったのか、舞台から厳しく問いかけられた。

 主人公の学は母親の懸命の介護のおかげで生き残った。そして、今では故郷の島で中学校の教員として働いている。ある日、小学校の同級生で、学と1、2を競った清水が島に帰ってくる。清水は上の学校へ進むことが出来ずに、島を出て東京で働き、地位を得たようだ。競争相手の学が被爆して教師となったことが残念なようだった。元気でいて、これから先も切磋琢磨していきたかったという友情があった。

 清水は組合運動の闘士なのか左翼なのか、アメリカが朝鮮戦争で再び原爆投下を準備していることに触れて、「原爆を落とされちゃかなわん」と言い、「原爆を受けた人間として、どう思う?」と学を煽る。学は「原爆を受けた人間にもいろいろある。僕は、アメリカは2度と落せんと思う」と言う。意外な答えだった。その理由を「人間の本能というか、本性の中にある、生きようとする本能が、最後はこれが勝利すると思う」と説明する。

 「よく分からん」と言う清水に、学は「みんなは日本の憲法を読んでいない」と答える。この芝居が書かれた頃はまだ、「憲法解釈」で集団的自衛権の行使を容認するような事態が生まれると思ってもみなかったのだろう。「多くの人々がジュータン爆撃に曝され、何時殺されるとも知らずに子どもたちのために働いている。瞬時に殺してしまう操作を握っているものは‥」と清水は戦争の非道さを非難するが、学は「あんたは焦りすぎている。人類は矛盾を克服することで進歩してきた」と言う。

 学は「太陽の原理を解放した人間の知恵をどう信頼するかだ。僕は、最後に絶対人間が勝利すると思う。幸福に生きたいと願う人間の意志を絶対に信じる」と言う。『島』の初演は1957年とある。57年前は左翼演劇グループも「核には良いものと悪いものがある」と考えていたようだ。朝日新聞もそうだけれど、思い込みくらい恐いものはない。悲しいけれど、それが現在の問題でもある。

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