この花は何というのだろう。知らない間に芽を出して、たまたまかなり大きくなっていたので、植木鉢に移しておいた。すると、どんどん大きくなってきたので、一回り大きな鉢に植え替えた。背丈は1メートルを越え、8月の末から黄色い花が咲き始め、今ではもう実をつけている。花はエンドウのようで、実もエンドウに近い。その実を見て、思い出した。何年か前に、可児の花フェスタへ出かけた時、バラの苗を買った店の店員さんが「面白い音がするでしょう」と言って、エンドウの実のようなものを振って聞かせてくれた。
なかなか澄んだいい音だった。「春に植えれば、実をつけますよ」と言われ、いただいた。翌年は花が咲いたのかも知れないが、これほど大きくはならなかったので余り印象に残っていなかった。それからは毎年、どこかで芽を出していたのに、私が雑草として抜いていたのか、それとも何年か経ているが、運よく発芽できたのだろうか。生命の不思議というか、自然の営みの力を感じる。1坪農園で野菜を育てている友人が「1日違っても野菜はうまく育たない」と言うけれど、そんなものかも知れない。
中学からの友だちが「ブログが3000日目になった」と書いていた。彼は几帳面で、一度も休むことなく続けている。以前は「友だち以上恋人未満」の男女の話を書いていたけれど、男が病気であることがわかり、みっともない姿を見せたくないという男気から潔く交際を打ち切っていた。老いらくの恋の悲しいさだめである。昔、中学時代の友だちと飲んでいた時、「友だち以上恋人未満」の彼女に欲望は感じなかったのかと冷やかしたことがあった。答えは「ない」であったけれど、誰もそれを信じていないようだった。
花は実をつければ枯れても、子孫を残すけれど、人の一生は死で終る。「花の命は短くて」とあるように、たったひと時しか咲かない花もある。そういう花に比べれば、人生は長いし、何度も挑戦することが出来る。