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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ドラゴンズの優勝と落合監督の采配

2011年10月19日 22時00分56秒 | Weblog
 中日ドラゴンズが9度目のセリーグ優勝を果し、監督の落合博満さんが胴上げされていた。私は全く野球を見る目がなかった。確か、ドラゴンズが不振に陥っていた時、ベンチの中は寒々としているというようなことを書いた気がする。落合監督と選手の間に意思疎通がないのではないかといい加減な観察だった。落合監督は8年間で4回リーグ優勝しているばかりか、初めて連覇を実現した。それは確かに凄いことなのだろう。「選手がよくやってくれた」と落合監督は選手を讃えていた。その目は潤んでいた。なのに、白々しい響きを感じたのはどうしてなのだろう。

 今日の中日新聞を読んでいて、何となくわかった気がした。「普通のチームの監督は、この選手をレギュラーにすると決めたら、ずっと使い続ける。若い選手は調子が悪くなっても使い続けないと育たない」と言う元中日監督の中利夫さんの言葉が載っていた。「若い選手の力は、ベテランのように計算ができない。だから落合監督は不調に陥れば素早く見切りをつけ、リスクを負うことはしなかった」と記事は落合流を紹介している。落合監督は「自分(落合)を越えろ」と選手に檄を飛ばしたそうだけれど、「誰もいなかった」と嘆いて(?)いた。

 落合監督のこうした選手の使い方は、「強いチーム」で「よい結果」を作り出しているにもかかわらず、日本人には人気がないようだ。日本人が求めている指導者像は、「強い」だけでなく、「人情味がある」ことなのだ。理攻めで賢すぎる(?)人は冷たいと嫌われる。そう言いながら、血を分けた親や兄弟をも殺害してしまった織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の出世物語が大好きな日本人だから、日本シリーズで優勝すれば、落合監督の評価はコロリと変わってしまうのかも知れない。私は義理人情に酔ってしまう方なので、落合監督のような勝つための冷静な采配が出来ない。自分でも冷たいなと思うくらいのことをしてしまうけれど、どうしても完全に出来なくて甘いところがある。

 テレビで中国のどこかの都市の繁華街で、幼い子どもが車に轢かれたのに、見て見ぬ振りで通り過ぎる人たちの動画が話題になっている。中国では余りにも人が多いから、他人のことなど思いやる余裕がないと私も中国を旅した時にそう思った。自動車がスピードを上げて走っている通りを自転車や人が堂々と横断している。信号はあっても無視して渡ってくる。子どもが血を流して倒れているのに、かかわればその後も制約されるので無視しているのだろう。中国は共産党政権であっても、生活の基準は個人主義だ。他人への思いやりなどは存在しない。自分と自分の家族を守ることで精一杯なのだ。

 資本主義社会では個人は労働を提供するものでしかないから、個人と個人のかかわりは極めて薄い。中日ドラゴンズでは勝つために個々の選手に努力を求めても、チーム全体で頑張ろうという連帯感は必要とされなかったのだろうか。他者への思いやりはスポーツには存在させてはならないのだろうか。落合監督の退任が発表された以後、選手は猛烈に発奮したけれど、選手から「監督のために勝つ」などの言葉は聞かれなかったそうだ。スポーツをやっていて、楽しいんだろうか、そんな気がした。
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