友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

記憶が飛んでしまった

2011年10月13日 13時50分22秒 | Weblog
 延べ日数28日、6月末から始めて9月一杯までの3ヶ月に及ぶ長い井戸掘り工事が完了し、昨日は依頼主の好意で『祝いの会』が開かれた。私たちの代表も、依頼主のお母さんに「毎日お世話になりました」と花束を用意して行った。『祝いの会』は昼間で、苔むしる日本庭園を見ながら、焼酎を飲むというものだった。依頼主が「この頃は焼酎にしている」という話から、「完成した暁には皆さんで焼酎パーティーをしませんか」と提案されていたのだ。もともとお酒は大好きな私たちの仲間は「それはいい。やりましょう」とすぐに了解した。そしてその日がやって来たのだった。

 依頼主は私たちよりはるかに若い。先日まで、ヨーロッパへ行っていたというので帰国された時はハンガリーのチョコレートをお土産にいただいた。私たちのような年寄りが仕事相手に多いのか、なかなか話も上手で飽きさせない。初めはビールで乾杯し、それから焼酎の人は焼酎をいただき、ワインのことならソムリエよりも詳しいと自慢する依頼主がワインを出してくださった。ワイングラスを見たら本格的なのがよくわかった。みんなが「この人はワイン好き」と私を指名するので、依頼主はワインの産地や色や香りの話をしながらどんどん注いでくれる。私もいい気持ちになって、大いにサービス精神を発揮して飲み、おしゃべりした。

 そこまでは覚えている。2時までには帰らなくてはならない人がいたので、時計を見た。1時半くらいだった。そろそろ帰る頃になって来たがと周りを見たけれど、まだまだ話は盛り上がっている。記憶はそこでぷっつりと切れている。次に気が付いた時はフトンの中で寝ていた。午後5時を過ぎていた。枕元にはケイタイがある。誰かにメールをしたのだが、それさえも覚えていない。カミさんが帰って来て、「晩御飯はどうするの?」と言うから、「いらない」と答えた。別に頭が痛いとか気分が悪いということはない。しばらくすると、「生の秋刀魚だから、食べて」と言う。秋刀魚を食べて、また寝てしまった。夜の8時過ぎだったから、今朝起きるまで10時間も寝ていたことになる。

 朝になって、昨日はどうやって帰って来たのだろうと、思い出そうとするが何も思い出せない。みんなに迷惑をかけていないかと心配になる。午前8時過ぎるのを待って電話してみる。「いや、いつもと変わらなかったよ。家内なんか、私があなたに送ってもらって帰って来たと言ってましたよ」と言う。そうか、記憶はないけれど、しっかりした足取りで家には着いたのか。それで安心できたのか、断片的に思い出すことが出来た。途中で喫茶店に寄ってコーヒーを飲んだこと。店のママさんにタクシーを呼んでもらって帰ったこと。その運転手さんが私たちの代表の知り合いだったことなどが浮んで来た。それでもつながっていかない。まあ、いいか、誰にも迷惑をかけていないようだから。それにしても、記憶が無くなるまで酔っ払ったのは大学の時以来、始めてこと?いやそれもハッキリしていない?
コメント
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