植木鉢のミカンの木には何匹のアゲハチョウの幼虫がいたのだろう。その多くは幹を伝って地上に下り、さらに植木鉢の縁を乗り越えて、ルーフバルコニーをうねうねと進みどこへともなく消えていった。昨日の朝、植木に水をやっていたら、まだ緑色したサナギがミカンの鉢から5メートルほど離れた植木鉢の、しかも内側の縁で、自分の身体を固定する作業をしていた。今朝、見るとサナギは黒っぽい色に変色していた。それで、ミカンの木をよく観察してみると、幹の黒い色に合わせて2匹のサナギがいるのがわかった。まだ緑色の幼虫も2匹いるが、すでにサナギになれる大きさだ。わざわざ、鉢を下りて他所に行かなくても、ミカンの木にしがみついてサナギになった方が安全だと思うけれど、どうなるのだろう。
NHKテレビの『ダーウィンが来た』を楽しみに見ている。他に見たいものがないこともあるけれど、生き物の世界は不思議なことが多くて面白い。ダーウィンが生き物たちを観察していると、同じ鳥でも同じトカゲでも、生息している島によって形や色が違うことから、どうしてなのかと考えるようになった。こんな風に教えてもらったような気がするし、「自然淘汰」で環境に適応したものが生き残ったと言われ、私もそう思ってきた。しかし、ダーウィンは「進化」とは言わずに、「展開」という言葉を使っていたようだ。時代は急激に変化していた。王制は倒され市民の政治が進められ、科学が発達し産業革命が起こった。人々が「人類は進化した」と受け止めた、いやむしろこれは「進化なのだ」と考えたのだろう。だからダーウィンの学説は自分たちの都合に合わせて利用されたのだろう。
ダーウィンが『進化論』を発表したのは、彼の博愛主義というか平等主義にあったとイギリスの学者が唱えているそうだ。ダーウィンが生きていた頃、まだ白人は黒人を人間とは認めていなかった。人間のために働く人間によく似た動物くらいに見ていた。ダーウィンは白人も黒人も東洋人も根は1つなのだと説明したかったのだと。ダーウィンは人間と他の動物の決定的な違いは、人間には思いやる心があることだと「人間の由来」で述べているそうだ。人はみな、根はおなじなのだ、だから思いやって助け合っていかなくてはならないとダーウィンは考えていたようだ。
『進化論』は資本主義の形成過程で、これを裏付ける学説のごとく利用された。さらに、マルクスもまたダーウィンに傾倒し、資本主義は社会主義から共産主義へと必然的に発展すると述べた。日本の新幹線の形態は「進化計算」で導かれているそうだ。なんだかよくわからないけれど、「進化」がいろんなところで一人歩きをしているようだ。「進化」は絶対善で、「退化」は逆に絶対悪のように思われている。確かに人類は急激に発展して来たけれど、本当にそれがよかったのかはまだわからない。わからないけれども、歴史を逆戻りすることはできないのだから、進む以外に道はない。でも、どこへ進むのか、それはまだ決められるはずだ。
NHKテレビの『ダーウィンが来た』を楽しみに見ている。他に見たいものがないこともあるけれど、生き物の世界は不思議なことが多くて面白い。ダーウィンが生き物たちを観察していると、同じ鳥でも同じトカゲでも、生息している島によって形や色が違うことから、どうしてなのかと考えるようになった。こんな風に教えてもらったような気がするし、「自然淘汰」で環境に適応したものが生き残ったと言われ、私もそう思ってきた。しかし、ダーウィンは「進化」とは言わずに、「展開」という言葉を使っていたようだ。時代は急激に変化していた。王制は倒され市民の政治が進められ、科学が発達し産業革命が起こった。人々が「人類は進化した」と受け止めた、いやむしろこれは「進化なのだ」と考えたのだろう。だからダーウィンの学説は自分たちの都合に合わせて利用されたのだろう。
ダーウィンが『進化論』を発表したのは、彼の博愛主義というか平等主義にあったとイギリスの学者が唱えているそうだ。ダーウィンが生きていた頃、まだ白人は黒人を人間とは認めていなかった。人間のために働く人間によく似た動物くらいに見ていた。ダーウィンは白人も黒人も東洋人も根は1つなのだと説明したかったのだと。ダーウィンは人間と他の動物の決定的な違いは、人間には思いやる心があることだと「人間の由来」で述べているそうだ。人はみな、根はおなじなのだ、だから思いやって助け合っていかなくてはならないとダーウィンは考えていたようだ。
『進化論』は資本主義の形成過程で、これを裏付ける学説のごとく利用された。さらに、マルクスもまたダーウィンに傾倒し、資本主義は社会主義から共産主義へと必然的に発展すると述べた。日本の新幹線の形態は「進化計算」で導かれているそうだ。なんだかよくわからないけれど、「進化」がいろんなところで一人歩きをしているようだ。「進化」は絶対善で、「退化」は逆に絶対悪のように思われている。確かに人類は急激に発展して来たけれど、本当にそれがよかったのかはまだわからない。わからないけれども、歴史を逆戻りすることはできないのだから、進む以外に道はない。でも、どこへ進むのか、それはまだ決められるはずだ。