京都駅から、歩いて15分ほど。堀川通沿いにある堂々としたりっぱなお寺が「西本願寺」。いつも大勢の参拝者が、全国から訪れる浄土真宗本願寺派の本山です。


「さすが本山、威厳ある堂々とした構えだねー」と。あまりに大きいので、どこから回ったらいいかわからず、まずは、案内所へ。資料などを頂きに行くことに。


「あのーどこに行けばいいんですか?」マップを前に、「重要文化財の阿弥陀堂と御影堂(ごえいどう)にお詣りして、それから国宝の唐門を見学なさってはいかがでしょう」と。


そもそも一般に「西本願寺」と呼ばれますが、正式には、「龍谷山本願寺」といいます。お寺に隣接して、「龍谷大学」があります。
開祖は、鎌倉時代中期に活躍した親鸞聖人です。9歳の時、東山の青蓮院で得度し、出家後、比叡山の延暦寺で、20年、厳しい修行に身を置きます。29歳の時に、師である法然上人の御導きで、阿弥陀如来の本願を信じ、「南無阿弥陀仏」という念仏の教えに帰依します。35歳の時、念仏の弾圧で、越後に流罪に。その後、妻である恵信尼と共に、関東で念仏の教えを広め、晩年、京都に住み、90歳の大往生を迎えることに。
開祖と言われる高僧の中でも、妻帯し、7人もの子供に恵まれたのは、おそらく親鸞聖人だけ。
さて、西本願寺の前身は、文永9年(1272)に、東山 大谷に末娘、覚信尼が建立した親鸞聖人の廟堂で、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉が、現在の堀川六条に寺地を寄進し、伽藍が整えられました。また、慶長7年(1602)に徳川家康が、烏丸七条の土地を寄進し、建立されたのが、真宗大谷派本山の東本願寺です。共に、御本尊は、阿弥陀如来です。
「へえー、西本願寺が豊臣さん、東本願寺が徳川さんの寄進なんだー。なんで西と東があるのかと思ったら、背景に、京都における徳川家の威信を、大勢の浄土真宗門徒に示す必要があったのかも…」と、密かに思うミモロでした。
また、「両方とも、親鸞聖人さんは、見たことない訳ねー」と。多くのお寺は、後に弟子や門徒たちが、開祖を祀るために創建したものが多く、ご本人は、知らぬところ。後の発展におそらく喜ばれていらっしゃることでしょう。
では、さっそく阿弥陀堂から参拝しましょう。


宝暦10年(1760)に再建された、現在の建物は、東西の長さ42メートル(奥行)、南北は45メートルで、高さは25メートル。(重要文化財)中に入ると…
「わー広い~」


次に渡り廊下を通って、南側にある「御影堂(ごえいどう)」へ進みます。


「御影堂」は、



「畳替え大変そう…」とミモロ。年末、多くの門徒の方が、大掃除などにご奉仕にいらっしゃいます。
「御影堂」の内陣の両脇には、吉村孝敬筆の見事な襖絵が。


では、参拝を終えたら、外へと行きましょう。
「エイ!」とミモロが、飛び乗ったのは、


敷地の南側の書院の前にあるのが、国宝の「唐門」。左内側、右外側。「あんまり変わりがないみたい…」


桃山時代の伏見城の遺構と言われ、豪華絢爛な彫刻装飾に彩られた、美しい門。ずっと眺めていたら、夕方になるという、別名「日暮門」(ひぐらしもん)と呼ばれる、素晴らしい門です。「キレイだねー」とミモロも見惚れます。


屋根の東西の脇には、鶴が。よく見ると、阿吽になっています。


「日光の東照宮にも唐門や、日暮門と呼ばれる陽明門があるよねー。豊臣家のこういう豪華絢爛な桃山文化に影響されてるのかも…。そして、豊臣家より大きなものを作ろうという徳川家の思いも感じるねー」と。
まだまだ見学したいけれど、そろそ閉門の時間。「さすが本山って、りっぱだね」とただただ圧倒されたミモロでした。

*「西本願寺」京都市下京区堀川通花屋町下ル 075-371-5181 京都駅から徒歩15分。詳しくは、ホームページから

ブログを見たら、金魚をクリックしてねー。よろしく~ミモロより
滅多に行かないですが、こういう立派なお寺やお城に行くと、時の権力者の偉大な力を見せ付けられますけどね、私は関わった建築家(昔は棟梁ですね)や画家や様々な分野の工芸家・庭師の実力がスゴイと思うの。
素通りじゃなく、たまにはフラッと中にも入らなあかんね。
さすが~という感じ。
そう、ぜひ素通りせず、寄ってみてねー