室町時代から始まったと言われる節分祭。京都の鎮守神として崇められた「吉田神社」は、厄払詣の発祥の神社とも言われるところ。この神社の神事の中でも、2月2日から4日の立春に行われる節分祭は、京都の人気の年越しの祭事で、毎年約50万人の参拝者が訪れる盛況ぶり。
初日の2月2日の夜は、昨年ブログでもリポートした鬼やらいの「追儺式」があり、参拝者の数も最多。身動きができないほど賑わいます。
「でも、今年は、朝の節分前日祭と疫神祭に行こう…」と、ミモロは、2日の朝、ちょこっと早起きして、8時過ぎには、「吉田神社」へと到着。
朝は、まだ参拝客も少なめで、夜賑わう参道も、まだ屋台の準備の真っ最中。
ミモロが神社に到着したころには、すでに本宮では、「前日祭」の神事が行われていて、社殿の前では、参拝客がじっと神事を見守っています。
ミモロも、参拝客と一緒に神事が終わるのを外でじっと待つことに。
やがて、本宮での前日祭が終了すると、社殿から、神職に担がれた櫃が、「疫神祭」のため、山の中腹にある大元宮へと向かいます。
櫃を先頭に一列で向かう行列。ミモロもその後に続くことに。
急勾配の参道を上がり、大元宮の中へとしずしずと入る一行。
ミモロたち一般参拝者は、門の外で、神事を身も守ります。
中では、神職が、祝詞や玉串を納めます。
この「疫神祭」は、災いをもたらす疫神に、やすらかに清き地に鎮まってくれるよう祈り奉るために行うもの。
「あれ、門のところに祭壇が運ばれたー。ここで神事が始まるのかな?」と階段の下から中門を見上げるミモロは、不思議そう。
神職が、祝詞を門の外に向かって奉納します。
実は、これが、この神事の特徴で、外にいる万物の禍を納め、奉っているのです。
そして、次に、米を、左、右、中の順で三か所にまき、最後に、お神酒を同じように、三か所に注ぎます。
清められた階段からは、ほのかにお酒の香りが漂って来ます。
大元宮の中での神事も無事終わり、神たちが、再び本宮へと引き上げて行きました。
「さぁ、大元宮へ参拝しよう…」
ミモロは、お米が散らばる階段を上って、中へと進みます。
普段は、中門が閉ざされ、内院が参拝できるのは、毎月1日の元大宮。
独特の八角形の本殿には、天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)をご祭神に、その周囲には、東西諸神社がズラリと社を構えます。
大元宮の中には、天照大神をお祀りする伊勢神宮のように外宮と内宮があります。
両方にしっかり参拝したミモロです。
「あ、厄塚に触らなくちゃ…」とミモロは、本殿前へ。実は、大元宮の中に入った時、参拝者が多くて、厄塚にゆっくり触ることができなかったのです。厄塚は、節分の時に本殿の前に立てられた縄を巻かれた柱で、そこから注連縄が本殿の中へと続いているのです。「これに触ると、厄神や心の鬼を塚に封じ込め、本殿に続く縄で神様に繋がって1年健康でいられるんだって…」と、昨年、神職の方に伺った話を思い出します。
ヒッシと厄塚にしがみつくミモロ。そこまでしがみ付かなくていいのでは?
さて、境内でお目に掛った澤井宮司さん。「吉田神社の神事には、「追儺式」など、古式そのままの神事の形を見ることができるんですよ」と。「でも、鬼って、こわいなぁー」とミモロ。「いいえ、鬼は、決して悪者ではなく、荒ぶる神の一種。鎮めれば、素晴らしいパワーの持ち主です。この神社では、忙しいとき、ネコの手を借りるのではなく、鬼の手を借りたいというほど…」と。「えーミモロの手じゃだめなんだーお手伝いするのに…」とネコのミモロは、ちょっぴり淋しそう。「鬼の字って、魂に似てる…」とミモロ。「そう、鬼という言葉には、深い意味があるんですよ」と。お話を聞いたミモロは、鬼に少し親近感を覚えました。
参拝も終わったミモロは、「福豆買わなくちゃ…」というと、大元宮を出て、福豆売場へと…。
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私も家族で毎年豆まきをします。チョット恥ずかしいのですが、今年は大きな声で 鬼は外 福は内~をやろうと思いました。
ミモロの場合は、それだけじゃ食べたりないので、
もっとたくさん食べちゃいました。