ったく私ったら・・・。
会話しているとき、すぐイッパイ イッパイみたいな感じに
なっちゃうことがあるんです。
書いてもらったとしても、
前から知っていたことも言いそびれて、っていうか頭に浮かんでこなかったり、
また、ポイントがいくつかある場合、大事なポイントを言い忘れたり。
なんで~?
一人になってから
「アッ、ああ言えば良かったのに!」と悔しい思いをするんですよ。
もちっと ゆ~ったり、ドッシリとした
肝っ玉母さんになりたいんだけどねぇ・・・。
ったく私ったら・・・。
会話しているとき、すぐイッパイ イッパイみたいな感じに
なっちゃうことがあるんです。
書いてもらったとしても、
前から知っていたことも言いそびれて、っていうか頭に浮かんでこなかったり、
また、ポイントがいくつかある場合、大事なポイントを言い忘れたり。
なんで~?
一人になってから
「アッ、ああ言えば良かったのに!」と悔しい思いをするんですよ。
もちっと ゆ~ったり、ドッシリとした
肝っ玉母さんになりたいんだけどねぇ・・・。
このごろ 散りゆく紅葉に目をうばわれます。
かめおかゆみこさんのメルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、
今朝のタイトルは「記憶の塗り替え」でした。
全文読んで戴きたいのですが、特にここ。
『つまり、無意識の
うちに、記憶の塗り替え
をしているのですね。』
『その事実さえも、
自分というフィルター
をとおして認識した
ことに過ぎません。
大切なことは、
自分が、そこから
何を受け取ったかと
いうことだと思うのです。』
これ、これ。
で、例によって私の中で、話が飛躍してしまったかも、なんですが・・・、
たとえば、Aさんについて、
何人かから同じような傾向の話を聞かされた場合、
自分の体験したAさんの印象と合わさり、
それらが重なって、
「Aさんて、こういう人」と、断定的な結論のようなものになってしまうことがある。
でも、それって、本当にそうなのかどうか。
話すときの雰囲気などから、
「うん、うん、ホント Aさんて困った人だよねぇ~」などと
同調、増幅してしまうこともあるんですよね。
客観的な事実としては、別の要素があっても、それにはライトを当てずじまいで、
雰囲気でいってしまうことがある。
人のことだけじゃなく、ある役割の人とか、集団とかも。。
私は、それに近いことを最近実感してハッとしたんです。
「事実は、どうなのか」ということを、
素直な目で見、心を寄せて反応したりしていきたい。
今回、そんな風にハッとしたこと、
大きな学びになりました。