蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

がんじがらめの日常?

2010-01-28 | 読む人々には興味ない話

例えば、ご近所づきあいが高じて、仲良しさんになる。
相手の家の冷蔵庫の中身まで知っている。
ぞ、ぞ、ぞ、・・・。

恋人。
お互いに束縛し合うのが、ひとつの愛情の証。
うげ。

夫婦。
行動、金銭、付き合い、仕事、すべてを知ろうとする。
無理。

ただ、リタイアして公認の外出がなくなったら・・・
いちいち説明して、出かける・・・。
まあ、適当にゴマかすこともできるだろうけれど、ゴマかすのも面倒くさい。
かといって、全てを報告・・・やはり、げ、げ、げ、・・・。
全てを把握したい理由は、人それぞれだろうけれど。

知られたくないことって、どんなこと?
そもそも、知られたくないようなことがあること自体が、けしからん?
しかし、いくら身近でも、デリカシーがないこと自体が、けしからん?
実は、人を殺して、この家の床に埋めている・・・なんてヒミツは、だめだけれど。


自分の子供だからといって、こっそり日記を読んだり、そういうこともしたくない。
たとえ、子供でも、プライバシーというものがある。

義母が、義母の姑の日記を(生前)見たら、
あれこれ、よくしてくれる他の嫁のことが書かれていて、気分を害したと言う。
「え? 人の日記なんて、見るべきじゃないですよ」
と、思わず私はツッコんでしまった。

先月、お正月前に、義母宅で、迎春準備をしていて、メモ用紙を張りつける必要があり、
台所中を探したが見つからず、食器棚の下段の引き出しも開けてみた。
そこは、昔、私が、一時期、子供たちと暮らしていた棟の台所なのだが、
その中に、当時の私の日記と、家計簿が、無造作に入れたままになっていた。
もう、はるか昔のもので、自分でも恥ずかしいような内容だが、
家計簿は、項目ごとに、きちんと年統計もしてあった。
(今なら、考えられない)
誰でも関係者は自由に出入りできるサブ台所として、現在は、利用されている。
だから、その気になれば、誰でも、そのオゾマシキ日記と、家計簿を目にすることができる。
そう思うと、ぞ、ぞ、ぞ、・・・とした。

ただ、皆さん、忙しい人ばかりなので、「家政婦は見た」のように、
人の生活やプライバシーを根掘り葉掘り突っついて楽しむ、という俗悪趣味もなさそうだ。
(と、信じたい)
自分でも、パラパラと見ただけで、ぞっとして、パタンと閉じ、また同じ場所に放り込んでおいた。

実家に残したままの、私が中学生の時からマメにつけている日記の山を、
2~3年前、大規模整理をしていた母から手渡してもらったが、
キモチ悪くて、読めない。
今も物置に、封印している。そこは、鬼門になっている。

というわけで、日記など、見るものではない。
書いた後も、日記が一人歩きをする場合があるので、保管には厳重注意をすべき?!

プライシーは、生きていくうえで、必要不可欠なもの。
私にとっては、酸素。
いろんな人を見ていると、窒息せずに、よく生きていると感心する。
家庭にしろ、職場にしろ、なんにしても、適度な空気の入れ替え、換気が必要だ。


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