蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分は悪くない、あの○○が、悪い

2013-08-18 | 日々のこと

どうしても、モノゴトに一生懸命になると、目に見える成果が欲しくなる。
頑張っても頑張っても、いまひとつ、結果が不振、だと、不服になり、責任転嫁したくなる。

「こんなに、わたしは頑張っているのに、うまくいないのは、○○のせい」

この○○は、モノゴトの分野や性質、状況などによっても違うが。

なにしろ、○○のせいにしておくと、ちょっと肩の荷が下りる。
そうなんだ、わたしは頑張っているけれど、○○のせいで、正当な評価を受けられないだけなんだ。
だから、いいんだ。
頑張りと評価は、一致してないけれど、いいんだ。

そこで、「いいんだ」と無理やり納得できる人と、できない人がいる。
無理やり納得しても、ことあるごとに、納得できない気持ちがむくむくと湧き上がってくる。
もぐら叩きゲームのように、出てきては叩き、出てきては叩き、引っ込ませる。
その場しのぎである。

こんな、すっきりしない状態より、根本的解決をしたくなる。
○○のせいだ、○○が悪い、○○をやっつけろ。

学歴とかの場合、やっつけ方としては、自分自身が学力を身につける。
学歴のある人よりも、多くを学ぶ。
こんな優等生的な例を出しても、ほんの数握りの方しか、実践しないだろう。
ふん、学歴なんて、なにさ!と、すっぱいぶどうパターンとなる。
そういう自分が惨めなので、極力、学歴の高い人とは付き合わない、近寄らないという自衛防御策もある。
(あるいは、子供に夢を託し、教育ママになって、いい結果が出る場合と、そうでない場合がある)

これが、学歴に限らず、お金、肩書き、社会的地位、美貌、能力(身体的、頭脳的)、人気、資格、
挙句の果てには、人物運、異性運、運勢、人生・・・どんどん広くなっていく。


この○○が、事象でなく人物の場合は、わかりやすい。
自分が理想としているのに、たどり着けない人物△△を徹底的に否定する。
この否定は、理論上の否定もあれば、実際に、具体的な方法でやっつける場合もあるだろう。
具体的に手を出してやっつけると、犯罪である。
そんな人は、事件簿ぐらいにしか載っていないだろう。
こころの中で、やっつける。
これも、なんだか、浅ましくて見苦しくて、そんなことを空想、想像している自分が、自分でも嫌になることだろう。

では、論理的にやっつけるのは、どうか? 克服するには・・・
つまり、価値観を変えるのだ。

この速攻的・価値観の変換が、じつにお見事な人が、ご近所ママ友Sさんの、ママ友Nさんの、ママ友Kさんにいた。

子供の進学のことである。
受験めざして、K君は母子ともに、頑張っていた。
受験校、進学校がいかに良いか、優秀なコースをたどることは、いかに素晴らしいか、
熱意を込めて、口に泡を飛ばして(かどうかは、知らないが)、
ご近所で、Kさんは、同じ小学校に通う、同学年、同性の子供さんのいる母親Nさんたちに力説していた。
周りは、Nさんをはじめ、受験派ではない親は、アタマから否定されたような気になって、いい気はしなかった。

ある日、Kさんは、ころりと価値観を変えていた。
しゃかりきになって受験させている人を否定した。
受験しない道を声を大にして肯定。
今までのあの熱意は、なんだったの? 
他の人々に向けての、自己選択の肯定の熱弁は、なんだったの?

価値観が180度変わった彼女は、受験組には、なんの価値も見出していないのだから、
自分は、落ちこぼれたわけでも、脱却したわかけでもない。
むしろ受験組は、まるで悪いことしているかのような、選んだ道が間違っているかのような、そんな錯覚さえ起こさせられた。

K君のクラスメートのお母さんで、毎日熱弁を聞かされていたNさんが、そう嘆いておられた。
Nさんは、もともと受験派ではなかったが、Kさんに振り回されたことになる。

「あれだけ、シャカリキになって、自分の道が、いかに良いか、正しいかを熱心に説いていて、
うまくいかなくなると、急に方向転換して、
他を否定しはじめるなんて、その変わり身の早さったら・・・・」

まあ、そういう人もいる。
自分は傷つかない、子供も悪くない、
急ブレーキで方向転換した際に、少々、車体がぶつかった傷を、壁やら塀やらガードレールやら、他の車やら、
あちこちに、付けたにすぎない。

守ったのは、自分のこころ。プライド。
子供も守ったことになる?
(でも、子供も、急に180度転換されて驚いたかも? いや、受験勉強しなくてよくなって、喜んだかも?)

いつまでも、社会や他人のせいにして、ぐじゅぐじゅいっているよりは、マシ?
巻き込まれた人は、少々お気の毒だが、自分の軸をしっかり持っていれば、巻き込まれない。
が、なんの経験もない時には、近所のママ友の影響は受けやすいことだろう。

受験しないと言っておいて、受験するよりは、マシだったかも知れない。
そっちのほうが、深刻に恨まれることに、なりかねない。

 

わたしも、どうしても克服できないコンプレックスがある。
それを克服するのは、価値観の転換しかない。

しかし、すっぱいぶどう、負け惜しみ、負け犬の遠吠えになりかねない。
コンプレックスを抱えながら、いつも自信なく、その道をおどおどヨタヨタ進むより、
いっそ、価値観、考え方をごろっと変えて、明るく堂々と進んだほうが、気持ちいいかも。
ただ、自分のコンプレックスの方向に、まだまだ価値を置いていて、
「ふん、なにさ!そんなもの!無価値だわさ!」とまで、切り替えられない。
自分が負け惜しみで無理しているのが、よくわかるからである。

あと少しすると、なにか、いい方向転換の岐路にまで進むだろうと、明るく期待している。
が、砕けて、ゼロからのやり直しになるのかも知れない。

よおく考えてみると、これは、たんに、わたしの弱気な性格によるものかも知れない。
強気で強引なNさんを見習うぐらいの、強さがあってもいいのかも。

 

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