徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:高橋洋一著、『経済政策の“ご意見番”がこっそり教える アベノミクスの逆襲』(PHP研究所)

2016年04月15日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

日本経済、アベノミクス、税政策についての総括的な分析に興味があって、本書高橋洋一著「経済政策の“ご意見番”がこっそり教える アベノミクスの逆襲」(PHP研究所)を手に取ってみました。著者が本人曰く【元財務省のポチ】というところにも興味を引かれました。久々に硬質の経済理論を読んだ、という感じがしました。そこそこ経済学を齧ったことのある人には分かり易く、いい分析書だと思いますが、「経済学も経済数学も難しくてさっぱり分からない」という人向けのものではないかもしれません。私自身、ドイツの大学・大学院で必修科目としてマクロ経済学関連の授業を履修した、つまり「齧った」程度です。しかもドイツで勉強したので、日本語の経済専門用語には明るくありませんし、日本で一般的な経済論というのも私にとっては未知数です。アメリカで主流の経済理論は授業で割と重点的に扱われていて、英語の文献をかなり読まされたことはあるのですが、日本経済・日本語文献はノータッチでした。授業や試験に関係ないので、日本経済関係にかまけている余裕がなかった、というのが本音ですけど。
そういうわけで、大学の勉強から解放された後も日本のことはドイツ的な視点でしか見てこなかったのですが、日本の人が日本経済をどう分析しているのか、今ホットな話題である「アベノミクス失敗」「消費税増税」を考えるにあたって勉強してみようと思いました。この本の他にも関連するテーマのものを何冊か既にピックアップしてあります。そちらも読んだらおいおい書評を書いていこうと思っています。

「アベノミクスの逆襲」の目次は以下の通りです。

序章 朝日新聞社に「掲載拒否」された”アベノミクス批判”批判コラム

第1章 消費税「増税」で、こんなに大損害!

第2章 検証!「増税」を正当化するデタラメな議論

第3章 アベノミクスへの通信簿

第4章 「バブル期」の真実がわかれば、現在の経済が見える

第5章 今こそ「アベノミクスの逆襲」の時

この目次から察することができるように、高橋氏の立場はアベノミクス擁護、そして消費税増税反対です。私はアベノミクスも消費税増税も反対ですので、おのずと高橋氏への感情的な距離感を感じるわけですが、それでも彼の展開する経済理論と分析には整合性があり、一読一聴に値するものであることを認めることは吝かではありません。経済学とあまり縁のない方には不思議に思われるかもしれませんが、経済学においては理論に整合性があることとその理論の「正しさ」とは別物です。なぜなら経済理論は必ず何らかのモデルに基づいており、そのモデルというのは現実を正確に再現したものではなく、簡易化されたもので構築され、大抵の場合は数式として表されます。その数式の中には、「経済は半分心理学」といった事情も考慮されることがあり、それは経営者や消費者の期待値として記号化されたりしますが、それでも現実を写し取れるわけでも、正確な未来予想ができるわけでもありません。つまり理論として矛盾がないということと現実に当てはめた時の正しさは別次元なのです。経済政策は更に別次元です。なぜなら『政策』には倫理的正しさや社会的な合意といったものも考慮されなければならないからです。

高橋氏の経済論には論理的に矛盾のない確固とした経済モデルが基礎となっている、という点だけを取ってもそこら辺の新聞の論評やら、利害だらけのデタラメな議論よりずっと価値のあるものだと私は思います。ただし、高橋氏はそのモデル(例えば『インフレ率が上がれば失業率が下がる』など)を信奉し過ぎているきらいがありますけど。

それはともかく、高橋氏の説を簡単にまとめると次の要点に集約させられる、と私は思います。

  1. アベノミクスの異次元緩和政策は増税前まで経済成長をもたらしていた。
  2. 消費税の8%への増税はアベノミクスの一環ではない(<--事実)
  3. 増税実施後の2014年4-6月期は、その直前の【駆け込み需要】の反動として減少する需要の分を差し引いたとしてもマイナス4.4%も余計に落ち込んでしまった。この余計な落ち込みが「増税効果」。その落ち込みは過去33年で最大であり、「気象変動」などという生易しい要因では説明できない。
  4. 消費税増税は財務省の思惑。予算配分などの関係で、「増税利権」が存在する。だから増税擁護のメディア操作が大規模に行われている。
  5. 金融政策の最終目標は失業率を下げること。金融緩和→予想インフレ率上昇(=実質金利低下)→株高・円安→消費・投資・輸出増→求人増→失業率低下。このプロセスに増税は水を差した。
  6. デフレだからブラック企業が増える。経済は予想インフレ率で動いている。予想インフレ率が上がれば、ブラック企業の頭の悪い経営者は淘汰される。(つまりデフレ脱却できない限り、どんなに法規制しても根本的な解決にならない)
  7. 消費・投資・輸出増加→企業業績向上→賃金上昇→GDP増加
  8. 財政再建を議論するときはプライマリー収支(税収と支出)を見るのが国際的常識。借り入れや借入金にかかる利子の返済はプライマリー収支とは無関係(<--事実)。だから増税擁護に利子云々を言うのはデタラメ。企業業績向上し、賃金も上昇すれば、税収が増え、プライマリ収支も改善するため、財政再建を図ることができる。

マクロ経済学の教科書的だという印象は5と7に非常に強く表れています。ここで抜けている視点は「タイムスパン」です。マクロ経済学理論の典型的な欠陥とも言えますが、金融政策を変えてから、失業率低下や賃金増加に辿り着くまでうまくいって数年かかり、その間失業者や低所得であえいでいる人たちなどは他の救済政策を取らない限り放置されることになります。人々が経済政策に期待することは「今」あるいは「来年くらい」に自分たちの生活が改善されることであり、数年後うまくすればまともな職にありつける可能性ではありません。

余談ですが、古典的な自由主義経済理論では経済とは長期的な視点で見れば常に需給のバランスの取れた点に回帰するというような見方がありました。「セイの法則」と呼ばれています。それはいわば「見えざる手」によって調整されているようなものだから、政治は経済に介入すべきではないという考え方です。それに対して「経済がバランスが取れるころには私たちはみんなとっくに死んでいる」と反論を唱えた経済学者の一人がケインズ経済学で有名となったイギリスのエコノミスト、ジョン・メイナード・ケインズでした。背景には世界的な経済危機があり、彼は特に失業の原因について研究していました。彼の提唱した経済論の要点はザックリ言えば政治介入、すなわち財政支出によって、消費を増やすことで経済成長を促す、というものです。これはまあ、古典的な経済理論の論争ですが、それぞれの派閥でこれまで理論の進化・発展があったとはいえ、最終的な決着はついてません。ただ、政治的にはいわゆる【新自由主義】と呼ばれる経済理論の系統が優勢です。

アベノミクスにもこの高橋氏の経済論にも政治介入により直接的に消費拡大を促すというケインズ的な要素はありません。サプライサイド、つまり企業の業績向上を政治介入(主に金融政策と企業を儲けさせる公共事業)によって図り、結果的に失業率低下・賃金上昇が達成されると期待しているわけです。ご存知の方も多いかもしれませんが、いわゆる「レーガノミクス」という米大統領ロナルド・レーガンの経済政策の焼き直しです。これは新自由主義の代表的な理論の一つで、「トリクルダウン理論」と呼ばれている理論に基づいています。「金持ちを儲けさせれば貧乏人もおこぼれに与れる」という考え方ですが、それが事実に反することは現在貧富の格差のが過去最高のレベルに拡大していることが示しています。世界中で経済格差が拡大したことがこの新自由主義の【実績】だと言えます。期待された「所得の底上げ」は起こらなかったのです。貧乏人はより貧乏になりました。零れ落ちてくるものがなかった証拠です。

「企業業績向上→賃金上昇」が実際に成立するためには、人手不足、すなわち求職者の売り手市場であることが必要条件です。つまり、「賃金を上げないと必要な人が来てくれない」という状況がない限り、たとえ企業業績が向上したとしても賃金が上昇することはないのです。高橋氏は予想インフレ率が上がり、実質賃金が下がる(名目賃金マイナス予想インフレ率)ことで求人増につながり、それだけで、「賃金を上げないと必要な人が来てくれない」という状況が生じるかのように考えているようですが、それは閉ざされた経済であれば比較的早く実現するかもしれませんが、企業がより賃金レベルの低い海外へ移転できることや、低賃金で満足する外国人労働者の流入を考慮すると、その状況の実現が容易ではないことが分かります。例えば建設業界などでは海外移転は意味がありませんので、人が建設現場に来ることが必要です。外人労働者の受け入れは日本ではまだまだかなり制限されていますので、復興事業とオリンピック事業による需要増加に人手不足で対応できない状況が生じています。ここでは賃金の上昇傾向も見られますが、それが他業種に飛び火することはよほどの関連性がない限りあまり起こりません。そして企業が「人手不足で対応できない」ということは企業業績が向上してないということでもあります。でも賃金上昇はしているわけですから、一概に「企業業績向上→賃金上昇」というプロセスが成立するとは言えません。

つくづく経済理論は制約というかそれが成立するための条件が多いモデルだな、と思いました。そういう意味でこの本は頭の体操にはなりました。

それとは別に、第4章のバブル期の考察は非常に面白かったです。私は不動産バブルが不動産取引の総量規制で弾けてしまったことは知っていましたが、金融関係の事情には明るくありませんでした。株バブルが生じた原因が法の不整備にあり、「営業得金」と言われる財テクが横行したこと、そしてそれが「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」という通達で損失補填付きの財テク事業を禁止することで、株バブルの原因は既に取り除かれていたことなどは知りませんでした。その二つの通達でバブルの原因が取り除かれていたのに、バブルの原因を「カネ余り」と分析した日銀が金融引き締め策を取り、資産バブルを除けば普通だった日本経済に大きな打撃を与えた、とのこと。これは勉強になりました。