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わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

右を見ろ!ごっこをしていて職人技を見る

2024-01-22 23:28:45 | コトバ・ニッキ
郷土愛はあんまりないけど(おい)、飛行機乗る時はスターフライヤー一択。地元企業だもの、なんとなく応援したいなぁと思って。
昨年は対面での仕事が復活したことや、ツアーがあったこともあって、割とたくさん乗ったので、マイレージもちょっと上のランクになった。ゲートを通る時に「いつもありがとうございます」って言われるのはなかなか気持ちが良いものだ。普段は荷物も少ないのであんまり預けることもないんだけど、PRIORITYのタグがつけられて真っ先に出てくるのも気持ちが良いものだ笑



座席は右の窓側一択。これは朝ドラの影響。はい、そうです、大河内教官の「岩倉学生聞こえるか?右を見ろ」の影響です。
それまでは富士山が見える左側を選ぶことが多かったけど、右を見ろごっこがしたくて右側に座るようになってからお楽しみがある。


後方に座ると着陸後に機内預入荷物を専用カート?コンテナ?に積み直す作業を見ることができて、これがもう素晴らしく美しい手際なのです。片方の車輪と対角線上の角を持って(多分これが一番負荷がかからない持ち方なんでしょうね)、そんなに大きくないコンテナに、サイズも形状もまちまちなスーツケースを次々とテトリスがごとく積み上げていく。滑らせるように。
スタフラに限らず、赤いのも青いのもそう。LCCでも同じように美しい手際と所作なのですよ。


こういう仕事をしたい、と思ったし、こういう仕事をしている人がいるうちは会社も日本も大丈夫なんじゃないかとも思っている。
まぁ、何が言いたいかというと、晃司追いかけてるといろんな発見があるよね、ってことですw
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睦月

2024-01-19 21:10:22 | コトバ・ニッキ

毎月1日のルーティーンはカレンダーをめくって写真を撮って、インスタにアップすること。
写真を撮ってレイアウトを組むところまではやったんだけど、なんだか投稿するのが面倒になっちゃって、そのまま月日が流れて早くも19日。
せっかく撮った写真だもの。こちらに掲載しておきましょう。





左上:ナカハラジュン対話するカレンダー 
人事界隈で知らない人はいないってくらい超有名人、今や大御所感溢れる立教大学中原先生のお言葉を散りばめた非公式黙認グッズ。作り始めてかれこれ10年以上経ちます。昨年からはそらウェルとコラボ。

右上:タナカヤスヒロ奇襲から始まるカレンダー 
「会計の世界史」でお馴染み、会計士田中先生のお言葉を散りばめたこれまた非公式黙認グッズ。作り始めて5年以上は立つような。カレンダーだけではなくて、アクスタも作っちゃったもんね。

左下:イチハラヒロココトバアートカレンダー
中原先生カレンダーを作ろう!と閃いたきっかけ、元ネタとなるカレンダー。晃司ファンのイチハラヒロコさんが紡ぐ言葉は「これ、絶対、晃司に向かって言ってるじゃろ?」ってのがたくさんあってにまにましちゃう。もう20年近く愛用中。

右下:安定の右下。公式のカレンダーです。20年くらい前までは毎年判型が変わっていたけど、ここ10年くらいはずっとこの形。2月1日と8月18日にマークがあるのが嬉しい。


いつもハッシュタグをつけて投稿しているので、こちらでも。
#ナカハラジュン対話するカレンダー
#タナカヤスヒロ奇襲から始まるカレンダー
#イチハラヒロココトバアートカレンダー
#そらウェル
#とにかく動こう
#走り出さなきゃ始まらない
#どんなサブスクが欲しいかな
#ご利益のサブスク最高
#集中力とやる気もサブスクしてほしい
#逃げ切りたい
#逃げ切りましょう
#安定の右下
#歌う晃司に会いたいなぁ
#今年は40周年アニバーサリーイヤー
#また笑顔の再会を
#そして人生はつづく
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提供したいと思っている人、受けたいと思っている人

2024-01-14 23:38:12 | コトバ・ニッキ
昨日、心のオアシス基山フューチャーセンターラボで、WSD九州の集まりがあった。集まりっていうほどのものじゃないな、よっしーさんとそろそろ基山で会いたいですよね、とラボcaféやってる日に押しかけた、せっかくだからご一緒しませんか?とWSD九州部会のみなさんに呼びかけた、っていうのが正解。
そうしたらなんと!青森在住のザキさんが金沢での仕事のついで?に遠回りして立ち寄ってくださった。日本地図バグってる笑


基山フューチャーセンターラボ


特にコンテンツもなく、ただまったりと、話したいことを話し、訊きたいことを訊く(聞く)、そんな会だけれども、それがとても心地よい。
久しぶりにザキさんともお会いできて、じゅんこさんとも初めて対面でお会いすることができて、本当に良かった。


じゅんこさんのお仕事に、敷地内にある施設の利用者が交流できるような場の運営があるそうで、なかなか認知されない、立ち寄ってもらえない、という課題をお持ちだった。フューチャーの雰囲気、佇まい、集まる人、、、とても良い刺激を受け、参考にできる部分がたくさんあったようで、わたしたちもあれこれ自由に「こうしたら?」とか「利用者をお客さんとして見るよりも一緒に創っていく仲間にしたらいいよー」と話したりしていた。


そんな会話の中で、自分で発しておきながらとても考え込んでしまったことがある。


場を作りたい人はたくさんいる。けど、場に行きたいと思っている人ってどれだけいるんだろう?
本を出したい、書きたいという人はたくさんいる。けど、本を読まなくなっているし、売れなくなっている。本を読みたいって思う人ってどれだけいるんだろう?
コーチングを学びたい、やりたいって思ってる人はたくさんいる。けど、コーチングを受けたいっていう人がどれだけいるんだろう?(あまり見たことない。知らないだけかもしれないけど)


グラレコもそう。グラレコ学びたい、描きたいって人はたくさんいる。けど、グラレコを必要としている現場ってどれだけあるんだろう?


需要と供給とでも言おうか、やりたい思いは純粋で尊いけれど、届いてはじめて成立するものもあると思う。ちゃんと届いているのか、届ける価値や意味があるのか、独りよがりになっていないか?は自問し続けたい。ついつい、新しい何かを知ったり、新しい学びに出会うと、飛びついて、何かの役にたつ(仕事につながる)んじゃないか?と思ってしまいがちなんだけど、相手はどこにいるのか?(そもそもいるのか?)をちゃんと考えていきたい。
自戒を込めて。





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苦手なもの、苦手な人が多すぎる 

2024-01-13 20:03:21 | コトバ・ニッキ
今日、お友達とやりとりしていて、あらためて思った。
苦手なものや苦手なこと、苦手な人が多すぎる。嫌いっていう感情とはまた違って、一方的に苦手意識を持ってしまって、それに対峙することがしんどかったり、自分のできなさ加減に凹む。精神衛生上あまりよろしくない感情でもある。


特に「人」に対しては、嫌いって思うことはあまりなくて、苦手意識が先にたつ。まぁまぁいい大人なので、苦手な人とでもそれなりに付き合うことはできるけれども、できれば関わりたくない、って思っちゃう。こんなに苦手なことが多くて、特に人に対して感じるっていうのはちょっとどこか欠落しているんじゃないかとすら思ってしまう。


人事界隈にいると、人のことが大好き!人の可能性を感じられるこの仕事が大好き!って人が多くて、もちろんわたしだって人の可能性や成長(という言葉にもちょっと苦手意識があるのですが)に関わることができるのは嬉しいし、幸せなことだと思っているけれど、でも、人が大好き!!とは言い切れないんだよな。やっぱりどこか欠落しているのかな。そんなわたしが人に関わる仕事してていいのかな、と思うこともしばしば。


苦手なことややりたくないことはたくさんあるのに、やりたいことってない。そりゃー、小さなやりたいこと、やってみたいことはたくさんありますよ。旅行に行きたい、温泉行きたい、何が欲しい、あれが食べたい、、、そんな即物的なやりたいことはたくさんあるけど、夢とか成し遂げたいこととか使命みたいなことってほんとにない。やりたいことを仕事に、なんて言われる時代にシューカツしてなくてほんとよかった、って思うくらい、子どもの頃から「将来の夢」を語ることが苦手だった。将来の夢ってほど大きなことじゃなくても、何歳で結婚して、何歳で子どもを産んで、的なおよそ子どもらしい人生設計すら考えたことがなかった。先のことが考えられないし、あれやりたい!と衝動に突き動かされて何かをやる、ってことはなかった。


へ?結構アクティブに活動してるじゃん、と言われるだろうけど、自分の意思で自由になる時間とお金があって、さらには長く生きてるといろんな情報が入ってきて、時間とお金と情報が重なり合ったことをやってる、って感覚なんだな。


やりたいことが次から次に溢れてくる人が羨ましい。けど、そうはなれないし、多分、そうしようと思ってもできないんだろうな。やったらきっとパンクする。


やりたくないことを遠ざけていったら何も残らないかもしれないし、苦手なことから逃げてていいのか?と思う自分もいるけれど、無理しなくていいんじゃない?ともう一人のわたしが言うので、無理せずやりたくないことを遠ざけて、そして、いつの日か「やりたい!」って思うことが出てくるのを楽しみにしておこう。

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心の眼カメラに収めたい〜記録するってなんだろうね

2024-01-12 22:05:45 | コトバ・ニッキ
空の写真を撮り続けると幸福度が上がる、通称「そらウェル」なる活動(研究)をしていてなんですが、わたしはあんまり写真を撮らない。空の写真は2022年4月1日から欠かさず撮り続けているけれど。


最近、ライブ中に「ここからは写真オッケー!」なコーナーが設けられていることが多くて、ハッシュタグをつけて投稿することでいいプロモーションになるんだろうし、好きな人の写真を撮ることができる!ってめちゃくちゃ嬉しいことだよね。わたしも何度か撮ったことあるし。
けど、この写真オッケータイムが始まると、みんなスマホの画面越しにしかステージを見なくなっちゃう。それってなんだかなぁ、って気持ちもある。その場、その時にしか感じられないことを体感できるのがライブであって、スマホの画面越しに見ちゃうのもったいなくない?って。


空の写真もそうなんだけど、どうしたって、肉眼で見た時に感じる「うわー、きれい!」「すごい!」風景も写真にしてしまうとなんだか違うんだよね。あれ?もっとダイナミックな色合いじゃなかった?とか、もっと大きくなかった?とか。もちろん逆もあって、写真の方が「すごい!」構図になっていることもある。なんというか、生で、自分自身の感性でもって感じたことと、撮られた写真がなんだか違って見えることが少なくない。


残しておきたくて、見返したくて撮っている写真なのに、感じた時と同じ状態ではないってのがなんだかとっても残念だし、それだったら、その場を全力で味わって、脳内で再生するようなそんな記録、記憶をしたいなぁ、と思うんだよね。もちろん記憶は薄れていくし、上書きされて事実とはちょっと異なっていくこともあると思うけど、それでも、その場でしか感じられないことを優先したいなぁ。


SNSがこれだけ発展して、広まってからは、自分の記録というよりもむしろ人に見せるために写真を撮る、っていうのも大いにある。わたしもそんな目的で撮っている写真はたくさんある。遙か先の未来に、そうやって撮られた写真によって世相や歴史が紐解かれるってこともあるだろう。絵や写真のおかげでわたしたちは歴史を知ることができているわけだし。


それこそ最近は撮るの忘れちゃう、っていうのもあるけど、体験したこと、感じたこと、これ残しておきたい!って思うことは心の眼カメラに残しておきたい、って思ってる。あとは文章で。しばらく経って読み返したり、思い返した時にはきっと事実とは異なっていることも多いだろうけど、それでいいって思ってる。記録することに一生懸命になるのではなく、その場を味わう、その場にいることに一生懸命でありたい、そんなふうに思ってる。
でも、ついつい「これ、おもしろーい!」なものを見つけるとパシャリとしちゃうんだよね

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お客様の声を聞くアンケートで、答えを強要されてしまった話

2024-01-10 06:50:58 | コトバ・ニッキ
先日、新車を3ヶ月点検に出した。車のことは全くわからないので、前の車の時もおすすめされるがままに整備してもらっていた。軽自動車なのに高級車並みのメンテナンスのおかげで9年乗ってもどこも悪いところもなく、外装も経年による傷はあるもののピカピカ。
今回、ディーラーも変わったので、いろいろと戸惑うことも多く、それでもしつこいくらい「これこれこういうことがあったんですけど、これってどうなんですか?」と確認して、それについてはかなり丁寧に細かく答えてもらったし、整備もしてもらったのでわたしとしては満足して乗っている。


で、1ヶ月くらい経った時にですね、営業担当から着信が。訝しがりながら出たら
「先日は点検整備に出していただいてありがとうございました。初回点検なので、アンケート調査が送られてくるんですけど、ちょっとお願いがありまして、、、」と。
なんのことやら、と思って聞いていると


「満足しましたか?」って項目が8以下だと怒られちゃうんです。整備後、お車返却時の清掃状況とかも10じゃないとダメなんです、、、アンケート送られてきたら10で回答してもらえますか?


へ?


この営業担当の評価(人事考課)のために満点をつけること自体はどうってことない。結果的に満足して乗っているのだから、満点でいいんですよ。けど、どうにも引っかかる。


アンケート調査、顧客満足度調査ってそういうことなの?


満足度が高い=営業や代理店の評価につながる、ってことなんだろうけど、それって取る意味あるの?
送られてきたフォームには、「今後もお客様のご要望にお応えできるよう、サービスに関するご意見・ご感想をお聞かせください。 」って書かれている。


満足度が高くてよかったね、ってホッとするために取るアンケートって意味なくない?
ほんのちょっとしたことでも、些細なことでも、気になった点や気づいた点があればそれは改善につながるわけで、それこそが顧客満足につながるし、サービス向上につながるんじゃないの?
強要されなくても満点をつけてましたよ、けど、こうやって根回しして「点数」を獲得することで本来のアンケート調査の目的を見失ってしまっているし、きっとこの営業マンに「満点をつけるように依頼しろ」と指導している人の存在がいるんだろうな、と思ったら、なんだかしょっぱい気分になってしまったのですよ。


立ち上げの時から関わっている学び直しプログラムのアンケートもそうなんだな。満足度8割以上、という評価基準を作ってそれで申請して通ってしまったので、どうやって8割になるか?を考えて設問やスケールを工夫した、という裏話がある。本来取りたかった項目ではなかったけれど、お上と約束してしまった事だから、知りたいことは別の方法で入手することにして、「報告用」としてアンケート項目を設定した。


で、こういうものは時を経れば経るほど、前例主義が横行するので、プログラムが変わっても環境が変わっても(オンライン主体になっても)、アンケート調査の項目もスケールも変えることなく取り続けている。ここ3年くらい毎年、振り返りの会議の場で「アンケートの見直しをぜひ!」と声をあげているけれど、「経年変化を見たい」という大義名分に押しやられてしまってずーっと同じ項目。さすがにこの質問に、この回答項目(スケール)はおかしくないですか?ってのは大声あげてやっと変えてもらったけど。
満足度が9.1だった、とか、昨年より0.2ポイント上がったとか、そういうことに一喜一憂してても講座が良くなるわけでもないし、ニーズに応えられているってわけでもないでしょうよぉ。


(ここ2年くらいは、自分が担当するユニットが終わった時に出す最終課題は、本来取りたかった、聞きたかった項目を盛り込んで設計している。いろんな情報が取れて本当に参考になるんだけど、そうすると通年のプログラムとして他のユニットとの整合性も取れなくなるわけで、それもまた悩ましい)


20年くらい前に、某化粧品メーカーの店舗営業の企画部門にいた頃、それまで絶好調だった売上に翳りが出始めていて、何が原因なのか今ひとつ掴みきれずにいた。翳りが出始めたと言っても、前年比もクリアしていたし、そんなに悪い状況ではなかったんだけど、今のうちに課題を見つけて対処しておかないと取り返しがつかないぞ、と当時の部長の妖怪アンテナがピンと立って、とにかく課題を見つけろ、とミッションが降りてきた。


そんなこと言われても、どうした見つかるのか全くわからない。顧客満足度調査をやっても悪いところ、不満に思っているところは出てこないから、悩みに悩んだ末、いっそ、不満を聞く調査をしたらどうだろうか?と、質問紙を作って、店頭に立ってお買い上げいただいたお客様に聞き取り調査をしたことがあった。確か300件くらいの回答を集めて、集計した記憶がうっすらとある。聞き取り調査をお願いすると、「気に入ってるから使っているのであって、不満なんてないのよ。不満を答えるって難しいわぁ。これからも頑張ってね。」と逆にお褒め、評価をいただくという逆転が起こっていて、不満、それもまだ目に見えていない、ユーザー自身も気づいていない不満を掘り起こすっていうのは本当に難しいんだなぁ、ということを実感した。


どんな結果だったのか全く覚えていないんだけど、いくつかこれがポイントかもね、な事象が見つかって、それを報告しつつ、どんな打ち手が考えられるかレビューをして、すぐさま実行、みたいなスピード感で対応した記憶がうっすらとある。その後もしばらくは店舗展開も、売上も拡大していたか、きっとこの時の課題感や打ち手が効いたんじゃないかと信じている。


アンケート調査ってなんのためにやるんだろうね。少なくともアンケート調査を実施している部門や人の評価のために行っちゃいけない気がするよ。お客様のために、より良い製品やサービスを提供するために、ってどのアンケートでも謳っているわけで、本来の目的はそこにある。だから、点数に一喜一憂するのではなくて、厳しいお言葉をいただけたら、改善のヒントがいただけた!ラッキー!くらい思った方がいいよね。根がM気質なわたしは、ポジティブな評価しかもらえないと逆に不安で、ちゃんと不満が聞けるようなアンケートをしてほしいし、したいって思ってる。いい評価が欲しいだけならアンケート調査なんてしなくていいじゃん。


で、くだんのディーラーのアンケート調査。オトナなわたしは全部満点をつけて回答しておきましたよ。これで営業担当が気持ちよく眠れるならそれで良い。


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犬も褒められると嬉しいらしい、伸びるらしい

2024-01-09 22:27:32 | コトバ・ニッキ
松も明けちゃったのに、今年の抱負らしいことも何ひとつ考えられてないし、年末から持ち越した仕事や課題もまだ片付いてないし(さすがに人様にご迷惑をおかけしそうなものはちゃんと納品したけど)、なんだか全然やる気が湧かないんですが、なぜかブログだけは書き続けているっていうね。ブログにやる気を吸い取られてるのかもしれない。きっとそう(言い訳)。


書きたいことはいくつかあって
・今年の抱負的なこと
・グラレコやってて思ってること
・やりたいことがなくて困ってる
・アンケート調査ってなんのためにやってるの
などなど。「グラレコやってて思ってること」は5回シリーズくらいでちゃんと書きたい。


で、今日はこの後いくつか仕事をしなくちゃならないので、どうでもいい話を書いておく。
(完全に書くことが目的になっていて、何を書くか、どう書くかが置き去りになっている。)


我が家の愛犬真次郎(トイプードル6歳半)は散歩が嫌い。


パピーの頃はそうでもなかったんだけど、いつの頃からか散歩嫌いになってしまって、散歩中は尻尾がくるんと下がっている。上がってるの見たことない。



ほらね。


全く運動しないのも良くないよなぁ、と毎朝散歩に連れ出している。通りを渡って、公園に行って、ぐるっと回って帰ってくる。だいたい2キロ弱くらいの距離。公園には遊歩道があって、いいお散歩コースなはずが半分くらいまで来ると「もう歩けないよぉ」とばかりに抱っこをせがむ。こうなるとテコでも動かないので、仕方なく抱っこしてわたしが散歩する。


再び通りを渡って家に戻るルートに差し掛かると、途端にダッシュ。「早く帰ろうよ」と言わんばかりの猛ダッシュ。このタイミングで近所の人に会うと「あらぁーお散歩楽しそうねぇ」と言われる。すっごい楽しそうに散歩しているように見えるらしい。いやいやいやいや、早く家に帰りたくてダッシュしてるだけですから。


オットと一緒なら多少は歩くかも?と、たまに歩いて駅まで向かうオットと一緒に散歩に出ると、最初の方こそオットの足にまとわりつきながら歩いているけど、ここを曲がれば家に着くよ、って曲がり角に来ると途端に猛ダッシュ。大好きなオットも置き去り。そして、しばらくダッシュした後、思い出したように「ついてきてる?あれ?いない(涙)」と後ろを振り向いたり、戻ったりを繰り返して、「もう歩けないよぉ」と抱っこをせがむ。っていうか、あんたが置き去りにしてダッシュしたんじゃん。


先日、実家の両親が我が家に来た時のこと。「今日は何も歩いてないから一緒に散歩に行く」と母も真次郎の散歩についてきた。


まぁ、いつものように尻尾はくるんと下がったままだけど、少し歩いては、「ついてきてる?」と言わんばかりに後ろを振り返る。「まぁ、しんちゃん、気にしてくれたの?」と母がいたく感動。確かにくるくる振り返る様は見ているだけでもかわいい。


そして、通りを渡っていつも猛ダッシュが始まるポイントに到達。「多分、いつも通りにダッシュすると思うから、後からゆっくりついてきて」と母に断った瞬間に、猛ダッシュ。
しかし、ここからが違った。しばらくダッシュして、曲がり角に来ると、止まって後ろを振り向く。母の姿を確認すると、「よし、ついてきてるな」とばかりに再び猛然とダッシュ。そしてまた曲がり角に来ると、止まって後ろを振り向く。確認して、そしてダッシュ。これを家に着くまで5、6回繰り返した。これに母がさらに感動。
「いつもお父さんと出かけると、お父さんはどんどん先に行っちゃって振り向いてもくれないけど、しんちゃんはちゃんと待っててくれて偉いねぇ、お父さんとは大違いだわ!」
とまで。真次郎、父を超える(笑)


いつもと違う人から褒められたからか、その日を境に真次郎の完走率100%ですよ。抱っこすることなく最後まで歩く(走る)。
犬も褒められると伸びるんだねぇ。いつもと違う人からのちょっとした一声でこんなに変わるなんて!と今度はわたしが感動してますよ。


とはいえ、散歩が嫌いなことには変わりなく、今日も真次郎の尻尾はくるんと下がったままなのでした。


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受容力。尊敬するよっしーさんのこと。

2024-01-08 20:52:28 | コトバ・ニッキ
昨日、大好きなぴっぴさんのことを書いた。最後に、福岡ライフが楽しく飽きないものになっているのはぴっぴさんとよっしーさんのおかげ。二人に足を向けては寝れないな、って書いたので、今日はよっしーさんのことを書くことにする。


よっしーさんは人、組織に関わる会社をもう30年近く経営されている。よっしーさんもWSDの修了生で、ぴっぴさんとわたしの2年後に修了された。これまた実習のたびに福岡から東京に上京していて、聞けばちょうどお子さんの受験と重なっていたので、一緒に勉強する、って体で通ったらしい。何考えてるの?と怒られたらしいけど笑


よっしーさんは、今はなきIMSでぴっぴさんにナンパされた。え?
カタルタのイベントが開催されていて、その時に偶然会ったんだとか。「あら?この人なんだか同じ匂いがするわ」とぴっぴさんの嗅覚はすごくて、ちょっと話しかけたらWSD同窓生だということが発覚。早速SNSで繋がって、オフィスに遊びにきませんか?なお誘いに便乗して、3人で会ったのが2014年2月の終わり頃のことでした。


その後、WSD九州部会を立ち上げたり、よっしーさんのオフィスでドラムサークル体験をさせてもらったり、オフィスに遊びにきませんか?を真に受けて何度もお邪魔しているうちにキャリアバラエティの運営をご一緒させてもらったり、とぐぐーんと福岡でのワークショップの世界を広げてくれた。KP法の川嶋さんとはよっしーさんが新卒だった頃からのお付き合いだそうで、福岡でのセミナー開催時に事務局のお手伝いをした。その時に傍若無人にも「わたし、こんなの描いてるんです」と当日のセミナーの様子をスケッチブックにグラレコしていたものを川嶋さんにお見せしたら「君、もっと描くといいよ」といろんな方を紹介してくださった。わたしのグラレコ道を開いてくれたのは川嶋さんだったけど、そのきっかけを作ってくださったのはよっしーさんだ。


その後、グラレコ講座を主催してもらったり、女子大で一緒にワークショップデザインの講座(授業)をやったりと、本当にいろんなところでお世話になってきた。お世話になるだけで全く恩返しができていないんだけど。


よっしーさんのすごいところは、その受容力。
飄々としているようで、すっごく胆力があって、面倒なことや痺れるようなことも一旦受け止めて、飲み込んでくれる。そして、さりげなく、プレッシャーにならないように戻してくれる。よっしーさんにはついつい弱音や愚痴を吐いちゃうんだけど、一緒になってどよーんと落ち込んだり、変に同調したりせずに、いったん受け止め、その上で「本質」をつくような発言をしてくださる。大事なことを忘れないでいたいよね、って視点をいつも授けてくれて、ぐちぐちとネガティブモードになるところをきちんとニュートラルな状態に揺り戻してくれる。


もうねぇ、よっしーさんがいなかったらどれだけわたしの心が荒んでいたことか。幾度も幾度も救われてきた。頼ってばっかり。
同調でも同情でもなく、共感しつつ、でも適度な距離感でいてくれるのがありがたいし、わたしもそういうスタンスで人と向き合いたい。まだまだ修行が足りないなぁ。


ぴっぴさんも、よっしーさんも、この地に来なかったらこんなにも濃くて素敵なお付き合いができなかったわけで、そう考えると、それだけで福岡に来たことはお釣りが出るくらいラッキーなことなんじゃないか、と思えるほど。
これからもお二人には依存しながら生きていくような気がしてならない。もうちょっと自立しなきゃ、いい年なんだから笑 そしていつまでもお二人には足を向けて寝れないのであーる。

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距離感の取り方。大好きなぴっぴさんのこと。

2024-01-07 20:01:07 | コトバ・ニッキ
戦略的に移住する人たちはコミュ力が高くて、行動力があって、新しい土地でも自分に合ったコミュニティを探して(なんなら作って)楽しんでいる。
東京にいた頃は、越境学習といえばひめさんだよね、みたいな言われ方をしてて、それなりに行動力もあって、いろんなコミュニティに顔を出して楽しんでいたけれど、こちらにきてから間も無くの頃はまったくそういった活動もせず(できず)に引きこもっていた。理由はいろいろあるけれど、なんとなーく自分の中で、これまでの自分とは違うフィールド、違う生活、違う生き方をしようと思っていたところがあって、ことさらに行動範囲を広げようとも思わずにいた。


そんなわたしの狭い行動範囲をぐぐーんと広げてくれた恩人がいます。大好きなぴっぴさん。福岡のお隣佐賀県は基山町で、パン教室を主宰されたり、子どもたちとワークショップをされたりしていて、今は基山駅前にある基山フューチャーセンターラボを運営されている。

基山フューチャーセンターラボ


写真はフューチャーの入り口にあるたぬき


ぴっぴさんは青学ワークショップデザイナー育成講座の同期。同期といっても2クラスあって別のクラスだったので、実習などでご一緒する機会は少なかったんだけど、九州から通っている人がいる、というのは存じ上げていた。当時はまだ対面のコースだけだったので、ぴっぴさんは実習のたびに上京されてきていた。すごいバイタリティと覚悟だし、修了後は地元でいろいろな活動をしながら、WSD仲間が九州に増えますように、と願っていたと思う。


WSDを修了してから2年ちょっと経った頃にわたしは福岡に来た。当然、ぴっぴさんの耳にも入っていた。おそらく普通だったら、「ようこそ!会いましょう!一緒にやりましょう!」とすぐにコンタクトを取ろうとされただろう。ずっとずっと同じように学んで実践している仲間の存在を切望していて、一緒に何かできたら素敵だな、って思ってらしたのだから余計に。


けど、ぴっぴさんはご自分からは連絡を取ろうとはされなかった。


ぴっぴさんと再会したのは、福岡にきてから半年近くが経った頃。ぴっぴさんが上京されて、WSD仲間のうらりんやそうちゃんたちと会って「九州で何かやりたいなー」と話されたそうで、そのことがSNSに投稿されていた。なぜかその投稿に反応して「わー!ご一緒したいです」といったコメントを残した。
ちょうど、そのすぐ後に、同じくWSDのザキさんを呼んで対話型鑑賞のワークショップを基山で開催されることになっていて、とてもやわらかくやさしくご案内をいただいた。


当時はあまり一人で出歩くこともなかったので、出かけること自体がちょっと億劫になっていた。けれど、その時はすーっとスイッチが入って、基山に出向いた。


場が素晴らしかったことは言うまでもない。ザキさんの対話型鑑賞も、ぴっぴさんが作られるしつらえも、参加者のお一人お一人への気配り、声かけも何もかもが素晴らしく心地よくて、ワークショップをあれこれ企画、運営していた頃のモードに一気に戻った。何かやりたい。わたしにもできるかもしれない。そんな気持ちが沸々と湧いてきた。


そこから、怒涛のように、、、という展開じゃないのがわたしらしいんだけど、ぴっぴさんと再会したことで、ザキさんと出会い、よっしーさんと出会い、よっしーさんのオフィスにお邪魔しているうちにいろんな取り組みやお仕事をご一緒するようになり、女子大で仕事をするようになり、グラレコ描いたり、ワークショップやったり、とどんどんフィールドが広がり、お友達が増えた。


いつだったか、ふと、
ひめが九州に来たことは知っていたけど、タイミングがくればきっと会えると思っていたから、急いで誘わなかった
というようなことをおっしゃっていた。ぴっぴさんのこのゆったりと待ってくれた時間と姿勢に本当に救われたし、感謝しかない。福岡に来て間もなくの頃に「会いましょう!一緒に何かやりましょう!」と前のめりな感じでお誘いいただいていたら、わたしは素直にお受けできなかったかもしれない。生活に慣れることで精一杯だったし、これまでの生活や活動とはいったんお別れしようと思っていたから、お断りしていたかもしれない。ぴっぴさんが静かに待っていてくださったから、今がある、と思っている。


今では、ぴっぴさん成分が足りなくなると基山に会いに行くレベルでぴっぴさんに依存している。いつでも気持ちよく迎え入れてくれて、静かに受け止めてくださる。大袈裟でもなんでもなくぴっぴさんがいたからこその福岡ライフで、楽しく飽きない毎日が送れるのもぴっぴさんのおかげ。これからもよろしくお願いします。もうひとりよっしーさんの存在も大きいな。二人には足を向けては眠れないのであった。





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コミュニケーションって難しいねぇ、考えすぎかもしれないけどね

2024-01-04 22:54:53 | コトバ・ニッキ
仕事始めなので、それに相応しい内容で書こうかなー、やっぱり新年らしく今年の抱負かしら?なんて思っていたんだけど、ちょっとモヤっとすることがあったので、吐き出しておく。


去年の夏までスタッフとしてお手伝いしていたシェアオフィスに、今は入居者として利用している。入居者は個室で執務をして、必要に応じて共有スペースを利用する、という使い方なので、あまり相互交流はない。ま、でもいわゆる雑居ビルに入居してたらお隣の会社とそうは仲良くならないわけで、そう考えれば交流がないのは仕方がないよね。アクセスの良い場所にオフィスを構えるってことはそれだけ出張や外出の多い仕事をしているわけで、オフィスに来る時にはデスクワークを鬼のように片付けてるわけで。


とはいえ、同じ屋根の下、顔を合わせばあいさつはするし、交流できた方がいいに決まってる。ということで、年に2回くらい懇親の場が設けられて、入居者同士の交流を促進している。スタッフがホスト、媒介になって話を盛り上げたり、繋げたりする役割を担っているわけだけど、なんというか、こういう時に良かれと思って(楽しんでもらおうと思って)、自虐ネタを散りばめられるのがちょっと苦手。いや、いいんですよ、100万歩譲ってご本人のことに限定しているのであれば。いや、それも良くないな、いじめの根本原因ってそういうところにあるもんな。


ビジネスの場面で、仕事をネタにされるのはさらに苦手。不景気で経費が削られて大変ですよ、的な営業トークはままあるんだろうし、同類相哀れむとでも言おうかお互いに愚痴を言い合って距離を縮めるってこともあるとは思う。けど、そんなこと言われてどう対応すればいいのか、どんな反応をするのがいいのかわからない。


開業して1年ちょっとなので、まだまだ認知もされていないから入居率はそれほど高くない。むしろ低い。そりゃ、経営的には入居率を上げてオフィスを埋めていかなきゃならないから、まずは知ってもらう、使ってもらう、などの施策も必要だし、営業活動も必要だ。


おそらく掴みとして、自虐的に「ノルマがあって大変なんですー、あと○社。お知り合いがいたら紹介してください」って言ったんだろうし、それほど他意はないのかもしれないけど、ちょっとザワザワした。


紹介して欲しいのであれば、世間話の延長上にライトに話すんじゃなくて、きちんと依頼すべきだ、と堅物なわたしは思っちゃうんだよね。勢いやノリで依頼するようなことじゃないでしょ、それなりのお金が動く話なんだから、学園祭の出店で焼きそば売るのとはわけが違う。気楽に「お願いしますぅ」って言っちゃっていいことじゃない。


つかみとして話したんだとしたら、それはそれでどうなんだろ? こんな話を聞かされて、わたしたちはどう反応するのが正解なんだろう?


ノルマがあって大変なのね、と同情する?
ノルマ!昭和っぽいね、と軽くあしらう?
そうか、大変なのか!と紹介できるところを思い浮かべる?


そんなに四角四面に考えるほどのことじゃないじゃーんって言われちゃいそうだし、小難しく考えないでノリと勢いで対応できた方がコミュ力高い、って言われるんだろうけど、コミュニケーションとは相手を思いやることでもあるわけだから、やっぱり反応に困ってしまうようなネタは避けた方がいいんじゃね?と思うのだよ。


コミュニケーションって難しいね。
楽しくおしゃべりしたり、雑談が苦手だから、余計に自虐ネタでわーい!と盛り上がれる人たちのことが羨ましくもあり、理解が及ばないところもあり、って状態なんだろうな。おとなしくて何考えてるかわからない、と非難されたこともあったけど、わたしはわたしなりに慎重にコミュニケーションを取ろうとしているし、それが故の口数の少なさでもある。
コミュニケーション力があるってどういうことなんだろうね、とモヤモヤしているのであーる。





コメント
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