茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

造園会社茶室体験②

2015年07月08日 | 情報

今日は第二回目の造園会社さん茶道体験日。

今日は雨模様。

5名の方々がお越しになられました。

女性1名男性4名(^_^)。

今回はDVDで茶の湯をご覧戴きました。

茶の湯とお点前、そしてお茶話。

友人と二人でお迎えました。

友人は一児の母。母である優しい不思議な手を持っています。

客人への差出す手が優しい母の手であるのが、不思議と微笑ましく受け止められます。

客人も温かく受け止めていて、茶室の雰囲気も和やかに(*^_^*)

前回より進みを早めてスケッチ時間を作って・・・と思っていたのですが、質問が多くついついおしゃべりし過ぎてしまいました。

結局、終了時間が前回と変わらず6時過ぎ。

今日の茶室は賑やかで和やかでした。

楽しかったです!

友人いわく、「貞恭庵のことを話しているの好きでしょう?」「好きかな~?」なんて会話をして、改めて茶室を見渡してしまいました。

もっと元気になあれ!貞恭庵と思いつつ、今日も一日お疲れ様でした。

 

 


本日開催!増上寺貞恭庵で朝茶です!

2015年07月06日 | 情報

いかがでしょうか?

生憎の雨ですが、雨の日の茶室もおつなもの。

茶室から景色をご覧になると結構みどりが美しいと思ったりします。

ゆっくりとお茶楽しんで下さい。

今年初、朝茶、初日、雨、・・・お待ちしております!(^v^)


伊勢型紙

2015年07月03日 | 情報

伊勢型紙とは?

 

型友禅、長板中型ゆかた、小紋などの柄や文様を着物の生地を染めるのに用いたもので、千有余年の歴史を誇る

和紙を加工した紙(型地紙)に彫刻刀で、文様や図柄を丹念に彫り抜いたものですが、型紙を作るには高度な技術と

根気や忍耐が必要です。

伊勢型紙の型地紙(かたじがみ・または渋紙とも呼ぶ) は、手漉きの和紙を手作業で柿渋を用いて張り合わせ、天日に干して作られます。その紙を用いて、型彫師が卓越した技と時間を費やして精緻な文様を彫り上げたものが伊勢型紙です。伊勢型紙は染色(型染め)のための型紙です。

それらを使った型染めは、奈良時代前期にすでに大陸から日本に伝わり江戸時代には、小紋染めなどに広く行われたとも言われています。

しかし伊勢型紙の起源は明確ではありませんが、いくつかのの伝説・伝承がありご紹介します。
奈良時代(724~728)に「孫七」という人が型紙業を始めたという説や、子安観音寺(現在の鈴鹿市寺家町)にある不断桜の虫食い葉を見て面白く思った久太夫という人物が、虫食い葉を紙に当てて彫ったなどという説もあります。また「形売共年数暦扣帳」(型売株仲間について書かれた)には、平安時代(782~806)に「白子地方に型売り四人あり」と記述があるようで、室町時代末期(500年程前)には、少なくとも「白子型」と呼ばれるものがあり、型紙はすでに全国的に流布していたようです。(狩野吉信1552~1640の「職人尽絵」に型紙を使用している染職人が描かれています)

江戸時代に、白子(しろこ)村・寺家(じけ)村(鈴鹿市)が紀州徳川家の天領になりその保護を受けて発展していきますが、武士の裃に型染が用いられ、その小紋は腕を競い合うようにどんどん細かくなっていきます。

その上、型売り業者は株仲間を組織して全国各地に型紙を売り歩き、全国的に伊勢型紙は広まり大人気となりました。

現在でも伊勢型紙のシェアは全国一だそうです。

昭和30年2月、伊勢型紙が持つ高度の技術に対して、六谷紀久男氏(切りほり)・児玉伯氏(島彫り)・南部由松氏(突彫り)・中島秀吉氏(道具彫り)・中村裕次郎氏(道具彫り)・城の口みゑ氏(糸入れ)の6名の方々が重要無形文化財(人間国宝)に指定されました。

また型紙彫刻師喜田寅蔵氏は、稀代の名人。


江戸小紋の魅力!

2015年07月02日 | 情報

「江戸小紋(えどこもん)」という名称は、1955(昭和30)年に技術継承者である小宮康助氏(1882~1961)が重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた際に命名されたもので比較的最近生まれた言葉です。

これは他の小紋などと区別するために命名したものでしたが、現在は広く一般的な名称として使用されています。

なお、「江戸小紋」の名称で、その技法についても1978(昭和53)年に小宮康孝氏が重要無形文化財(人間国宝)に認定され、伝統は受継がれ江戸小紋と言う名称も守られました。

江戸小紋の歴史は、室町時代あたりに起源を持つと言われていますが当時のもので現存する最古のものは、山形県米沢市の上杉神社に所蔵されている、伝上杉謙信の紋付小紋帷子(かたびら)とされています。

その後江戸時代になって、武士の裃(かみしも)の柄に取り入れられ、「裃小紋」として発展を遂げました。

将軍家をはじめ各大名が特定の小紋柄を定め、誰が見てもどこの者かがわかるという制服的な機能も果たしました。これを「定め小紋」や「留柄(とめがら)」ともいい、他での使用を禁じていました。

そもそも「小紋」とは、細かく小さな文様のものを言います。

大きな模様を「大紋(だいもん)」、中くらいを「中形(ちゅうがた)」と呼ばれていたようです。

その製造技法は、型紙を使って非常に細かな模様を生地一面に単色で染めた型染めで、その技術は精緻(せいち)を極める手仕事の集大成といえます。

制作工程は、①糊作り②地張り③型付④シゴキ⑤蒸し⑥水洗い⑦乾燥⑧地直しで、江戸小紋の完成となります。

江戸時代中期以降には庶民の間にも流行した江戸小紋、男女ともに広く着るようになり、町人たちのお洒落志向が動植物や道具類など、また縁起ものや語呂合わせといった多彩な図案を生み、数千種類にも登る型紙が作られていたそうです。

奢侈禁令(しゃしきんれい)によると、庶民に対しては着物の素材色柄等が定められました。木綿や麻、藍や茶色、無地を基本とした縞や格子柄が望ましいものとされていたよう。色に関しては、四八茶百鼠が生み出されていたようです。江戸小紋の代表的な文様に「鮫」「角通し」「行儀」があり、これらは「江戸小紋三役」と呼ばれています。現代でも好まれています。

名門小宮家当代康正氏平成22年紫綬褒賞受章

 


御一緒にいかがでしょうか?「現代に息づく小宮の江戸小紋三代目小宮康正氏と食事会」

2015年07月01日 | 情報

2015茶雅馬教室 夏 親睦会!

椿山荘で

現代に息づく小宮の江戸小紋

       三代目小宮康正氏と食事会」

「江戸小紋の歴史」ご存知ですか?

江戸時代に諸大名が競うように着物に贅を尽くしました。

それを憂えた江戸幕府が、武士たる者あまり豪華に着飾るものではないと規制を加え、大名たちは無地に見えるようにできるだけ柄を細かくしてできた技術が、現在の「江戸小紋」といわれる染物です。もちろん武士の礼服でした。江戸中期に庶民の間に広まると、粋で洒落た絵柄が数多く生まれました。今どれくらいあると思いますか?

祖父である小宮康助氏がその技法の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されたとき、他の小紋染めと区別する為に「江戸小紋」という言葉が

60年前に生まれたそうです。伝統と技を守り続ける極意と魅力とは?

今年も椿山荘でゆっくりと食事をしながら開催致したくご案内を申し上げます。ご多用とは存じますが皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。

 

茶雅馬教室夏親睦会

開催日;      7月11日(土) 17:00~20:00

 

場  所;       ホテル椿山荘東京 タワー7F つばき「つばき」

会  費;      大人 12、000円 子供 8、000円         

          (料理・飲み放題・お楽しみ会、江戸小紋の記念品)

    17:00 集合 椿山荘コンシェルジュと巡るガーデンツアー!!

                (希望者のみ プラザ棟ロビー集合)      

18:00 食事会(講演・着席バイキング料理・お楽しみ会!!)