長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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沙弥2(さや2)。特別寄稿ブログ連載小説 15

2010年11月17日 06時49分07秒 | 日記
         次郎の死と復讐

15


 いつだったか、沙弥のライバルの朱美里が電話をかけてきた。それは、
「あんたの小説ってつまらないわね」などという悪口の電話だった。「学歴がないあなたが、拒絶されたのは当然ね。私なんかソウル大学でてるのよ、ふん!……あんたは三流よ!作品も『ひとの読む水準』に達してないのよ!」
「なんだと、このアマッ!」
 で、緑川沙弥はきれた。
「ちくしょう!」
 沙弥はそう叫ぶと、怒りにまかせて椅子を手にとって窓ガラスに投げつけた。
 当然、窓ガラスは激しく割れた。
 激しい音が響いた。
 その音に驚いて、私は沙弥の部屋へと駆けつけた。良子おばさんやまゆちゃんやさやかも駆けつけた。そして、おもいっきりびっくりした。割れたガラスの破片の真ん中に、沙弥がひとり立ち尽くしていたのだ。
「どうしたの?! 沙弥」
「なんでもねぇよ!」
 ふいに緑川沙弥はそう言った。ほとんど抑揚のない声だったが、力がこもっていた。
 私は彼女の目線のほうへ目を向けてみた。それは割れた窓ガラスではなく、床に転がったコードレス・電話の子機にそそがれていた。多分、後で考えれば電話の向こうの朱美里を睨んでいたのかも知れない。私は茫然と立ち尽くす彼女に目を戻した。
 割れたガラスで切ったのか、沙弥のくるぶしから血が流れていた。しかし、彼女はなにもしなかった。よっぽど、美里の人間性無視の科白に頭にきたのだろう。よっぽど、自分の作品をボロクソにけなされたのが悔しかったのだろう。
「沙弥、どうしたの?」
 良子おばさんが困った顔でたずねた。しかし、彼女は答えなかった。それでおばさんは私に、「何があったの?」ときいた。
 私はその時、なにがなにやらわかんらなかったので、
「えーと。あの……さぁ…」
 と言った。そんな時、沙弥が
「もういい!お前らには関係ない」
 と低い声で言った。それは掠れた声だった。もうひとかけらの希望も残っていないような、そんな感じだった。私は心配になって彼女に近付いた。すると、沙弥ははいていたスリッパで床のガラスの破片を蹴った。
 妙に冴えた音が部屋に響いた。
「沙弥!」
 私が声をかけると、緑川沙弥は、もういい!、という感じで頭をふり、そしてそのまま部屋を駆け出していってしまった。そして、そのまま階段を降り、どこかへ姿を消した。そして、残された私たちはどうしていいかわからずに、ただ悩むばかりだった。


  数日後。緑川沙弥の機嫌はいくぶんかやわらいだようだった。『朱美里・事件』から数日後のことだ。まぁ、もっともあの時のことは彼女にとってはだいぶ悔しかったようで、いままで執筆した作品をなんどもチェックして推敲を加えたようだった。その当時のことをふりかえり、沙弥はこう言っている。
「忘れようとしても忘れられない出来事だった。しかし、確かに朱美里に言わせればレベルが低かったのだろう。だから推敲を重ねなくては。現実を見据えて、対応していかなくてはならない。現実は『人の読む水準に達してないんだよ!』だからな。少しでもレベルをあげなくては。……変化を拒んではならない。変化をこばめば進歩できないからな。現実を見据えて全作品の推敲しなくては。なぜなら現実を見据えなくては真実がみえてこないからだ!」
 とにもかくも、緑川沙弥は一流作家になるためにまた努力を続けることにした。「落ち込んでてもベストセラーはだせねぇからな」沙弥は微笑していった。
 それは、”こんなの屁でもねぇさ”と強がってみせる笑顔だった。


「次郎がいない。行方不明になった。連中にやられたんだきっと…」
 私がそういう内容のことをきいたのは、次の日の夜のことだった。
 赤井次郎の両親がペンションに訪ねてきて、そう言った。で、それをきいていた沙弥が私に伝えたのだ。次郎の実家はすぐ近くだった。あの時にあったチンピラたちの横顔が一瞬、私の脳裏をよぎった。
「どうしてそう思うの?」
 そういいながらも私は胸の中にあせりをがこみあげてくるのがわかった。
「昨日の夜から帰ってこないんだってさ。でも…東京に帰ったわけでもないらしいんだ。それに……誰かに呼び出されて出ていったって」
 沙弥は落ちついた声を装って言った。
「まさか!あの時の………チンピラに? 哲哉くんみたいに?!」
 私は青ざめた。それで私はあせりまくったまま、「で?警察には…?」
「……届けたって」
 沙弥は言った。そして私たちは不安になった。最悪のことがなければいいが…。そう願った。でも、その願いは叶わなかった。その数時間後、連中にやられたのではないが、次郎は轢き逃げにあい、血だらけで倒れた。その赤井次郎をおまわりさんが発見したからだ。瀕死の重傷だった。
 そして、赤井次郎はすぐに救急車で病院に運ばれてしまった。

 赤井次郎の死を知ったのは病院に着いてからだった。
 出血多量で死亡したのだ。
「う…嘘でしょ?そんな…」
 私は信じられなくて病院のロビーで良子おばさんにきいた。良子おばさんは答えなかった。そして、沙弥もショックでひとことも話さなかった。
 それからしばらくして、私たちは病院の遺体安置所に足を踏み入れた。
 薄暗い部屋に入ると、病院のひとに案内されて次郎の遺体の近くにいくことができた。白いシーツにつつまれて、その中央に赤井次郎が横たわっていた。警察関係の男のひとが顔にかかった白い布をとると、血の気のない青白い顔がみえた。
 間違いない、赤井次郎だ。
 硬直した”デスマスク”。
 それは、この土地で生まれ、音楽家を夢みて上京し、沙弥に出会い、恋をし、そして不幸にもどうでもいいように轢き逃げされ殺された赤井次郎の最期の表情だった。次郎は傍らで泣き崩れる両親に、自分だってやれるんだ、ということを見せたかったのかも知れない。沙弥と結婚して、幸せにしてやるつもりだったのかも知れない。
 だが、残念ながら遅すぎた。両親が彼の成功を認めることも、沙弥を幸せにしてやることも、もうないのだ。
 もうなにもないのだ。
「ちくしょう!」
 ふいに緑川沙弥が言った。怒りの波が沙弥の血管を走ったようだった。冷静に、と自分にいいきかせているかのようだった。私もショックを受けた。彼女にとって、恋人との死別は二度めである。沙弥は涙を両目からぼろぼろ流しながら、ポケットから、宝物、を震える手でそろそろと取り出した。それは、次郎にもらった枯れた『薔薇』と哲哉にもらった『おまもり』だった。彼女はそれを手に握り、祈るように見つめた。じっと見つめた。そして号泣した。
 私も悲しくてどうしようもなかった。涙が瞼を刺激したが、ぎゅっとこらえた。でも、ムダだった。涙がせきをきったように溢れだし、私も泣き崩れた。そしてこの瞬間は、いままでの人生の中で『最悪の日だ』、そう思った。
 そう、最悪だ。赤井次郎が死んだのだから。
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