「幕府は私利私欲に明け暮れていている。いまの幕府に日本を統治する力はない」
幕府の代表・勝海舟は平然といってのけた。さらに勝は「日本は各藩が一体となった共和制がよいと思う」とも述べた。
西郷隆盛は丸い体躯を動かし、にやりとしてから「おいどんも賛成でごわす」と言った。 彼は勝のいう「共和制」に賛成した。それがダメなら幕府をぶっこわす!
やがて、坂本龍馬の知恵により、薩長同盟が成立する。
西郷隆盛らは天皇を掲げ、錦の御旗をかかげ官軍となった。
勝海舟はいう。「今までに恐ろしい男をふたり見た。ひとりはわが師匠、もうひとりは西郷隆盛である」
坂本龍馬が「薩長同盟」を演出したのは阿呆でも知っている歴史的大事業だ。
だが、そこには坂本龍馬を信じて手を貸した西郷隆盛、大久保利通、木戸貫治(木戸孝允)や高杉晋作らの存在を忘れてはならない。
久光を頭に「天誅!」と称して殺戮の嵐の中にあった京都にはいった西郷や大久保に、声をかけたのが龍馬であった。
「薩長同盟? 桂小五郎(木戸貫治・木戸孝允)や高杉に会え? 錦の御旗?」
大久保や西郷にはあまりに性急なことで戸惑った。だが、坂本龍馬はどこまでもパワフルだ。しかも私心がない。儲けようとか贅沢三昧の生活がしたい、などという馬鹿げた野心などない。だからこそ西郷も大久保も、木戸も高杉も信じた。
京の寺田屋で龍馬が負傷したときは、薩摩藩が守った。大久保は岩倉具視邸を訪れ、明治国家のビジョンを話し合った。
結局、坂本龍馬は京の近江屋で暗殺されてしまうが、明治維新の扉、維新の扉をこじ開けて未来を見たのは間違いなく、坂本龍馬で、あった。
ここで夢を壊すようなことをいうが、薩長同盟を演出したのは坂本龍馬であった、というのは眉唾であるという。
三年前まで薩長は完全な敵対関係にあり、土佐を飛び出し、一介の素浪人の坂本が必死に東奔西走したところで、同盟が成功する訳がない。龍馬が頑張ったことは事実であるが、島津も毛利も名門の大大名であり、坂本龍馬ごときで同盟がなるほど世の中は甘くない。
坂本龍馬は、使い走りの駒で、そのバックに大物の人物がいたのである。
それは誰か? 今の福岡県の領土を治めていた四十七万石の当主・黒田斉溥(なりひろ)である。
有名な蘭癖(らんぺき)大名(外国びいきで、西洋列強の優れているのを知っている)であり、島津から婿養子に迎えられた人物である。島津とも人脈があり、斉彬とも昵懇(じっこん)。毛利家とも関係が深い。龍馬のような素浪人がいくら動いたところで、ごまめの歯ぎしりだ。が、黒田が裏で動いたのなら「薩長同盟」も成りえる。斉彬の寵愛を受けたのが西郷だし、毛利家も、黒田が動いたのなら、話も聞くだろう。あくまでバックであるから、〝手柄〟は龍馬のようになっているが、これが偽らざる事実である。
龍馬は慶応二年(一八六六)正月二十一日のその日、西郷隆盛に「同盟」につき会議をしたいと申しでた。場所については龍馬が
「長州人は傷ついている。かれらがいる小松の邸宅を会場とし、薩摩側が腰をあげて出向く、というのではどうか?」という。
西郷は承諾した。「しかし、幕府の密偵がみはっておる。じゃっどん、びわの稽古の会とでもいいもうそうかのう」
一同が顔をそろえたのは、朝の十時前であったという。薩摩からは西郷吉之助(隆盛)、小松帯刀、吉井幸輔のほか、護衛に中村半次郎ら数十人。長州は桂小五郎ら四人であった。
龍馬は遅刻した。京都の薩摩藩邸に入ると
「いやいや、おくれたきに。げにまっこと、すまんちゃ。同盟はなったがきにか?」
龍馬は詫びた。
桂小五郎は「…いや。まだじゃ」と暗い顔していう。
「西郷さんが来てないんか?」
「いや。…西郷さんも大久保さんも小松さんもいる…」
「なら、なして?」
「長州藩は四面楚歌…じゃが、長州藩から薩摩藩に頭を下げるのは…無理…なんじゃ」
「じゃが、薩摩藩と同盟しなければ長州藩はおわりぜよ!」
「わかっている! だが、これじゃあ互角じゃない!」
「長州藩から話をする以外ないじゃっどん」
「長州藩は会津藩や薩摩藩のせいで朝敵にされ、幕府からもすべての藩から敵視され、屈辱を味わった。天子さまに弓をひいた朝敵にされた」
「なにを情けないことをいうちゅう?」
「桂さん! 西郷さん! おんしら所詮は薩摩藩か? 長州藩か? 日本人だろう! こうしている間にも外国は涎を垂らして日本を植民地にしようとねらっているがじゃぞ。日本国が植民地にされたらおんしらは日本人らに何といってわびるがじゃ」
一同は沈黙した。一同は考えた。その後、歴史は動いた。
夕刻、龍馬の策で、薩長同盟は成立した。「薩長同盟成立!」
龍馬は「これはビジネスじゃきに」と笑い、
「桂さん、西郷さん。ほれ握手せい」
「木戸だ!」桂小五郎は改名し、木戸寛治→木戸考充と名乗っていた。
「なんでもええきに。それ次は頬ずりじゃ。抱き合え」
「……頬ずり?」桂こと木戸は困惑した。
「交渉成立だ!」
なんにせよ西郷と木戸は握手し、連盟することになった。
内容は薩長両軍が同盟して、幕府を倒し、新政府をうちたてるということだ。そのためには天皇を掲げて「官軍」とならねばならない。
長州藩は、薩摩からたりない武器兵器を輸入し、薩摩藩は長州藩からふそくしている米や食料を輸入して、相互信頼関係を築く。
龍馬の策により、日本の歴史を変えることになる薩長連合が完成する。
龍馬は乙女にあてた手紙にこう書く。
……日本をいま一度洗濯いたし候事。
また、龍馬は金を集めて、日本で最初の株式会社、『亀山社中』を設立する。のちの『海援隊』で、ある。元・幕府海軍演習隊士たちと長崎で創設したのだ。この組織は侍ではない近藤長次郎(元・商人・土佐の饅頭家)が算盤方であったが、外国に密航しようとして失敗。長次郎は自決する。
天下のお世話はまっことおおざっぱなことにて、一人おもしろきことなり。ひとりでなすはおもしろきことなり。
坂本龍馬 小説の嘘
幕末の志士の一人、坂本龍馬。小説やドラマにより、幕末維新期に大活躍したイメージが広まり、人気が高い。
しかし、「その知名度ほど日本史に影響を与えていなかった」(加来耕三氏談)
――司馬先生の『龍馬がゆく』などを読んで、「薩長同盟を締結できたのは龍馬がいたからだ」「大政奉還の立役者だった」と思い込んでいる人も多い。
だが、歴史学の観点では、あれもウソ、これもウソ。すべてではないが小説のフィクション。歴史の教科書から、坂本龍馬は吉田松陰とともに消えかかりましたが、龍馬ファンの陳情で名前だけは残ることになった。
ですが、薩長同盟の立役者は小松帯刀(たてわき・西郷隆盛・大久保利通は小松の部下)。龍馬が奔走し、交渉が進まず、龍馬が「西郷さん!」と頼んで、西郷が「よかよか」と応じるのは小説の世界。西郷は島流しから帰ったばかりで、藩の決定権などなかった。
決定権は小松、同盟の立役者は小松帯刀だ。
そして、藩主の島津久光。
龍馬の『船中八策』も、師の勝海舟や佐久間象山らから教わったことをまとめただけ。
ボヘミアン(放浪者)のような龍馬が歴史の重要な役割なのは司馬さんの小説の世界だけ。子供の頃の弱虫やおねしょも、信長のうつけのようなところからヒントを得たのだろう(龍馬の幼少期のエピソードのほとんどは坂崎紫瀾『汗血千里駒』からであるそうだ)。だが、龍馬が歴史的になにもしなかったわけではない。
今でいう第三極の道を模索し、武力ではなく、議論によって国を動かそうとした。
幕府や藩の後ろ盾のない龍馬は、そのために亀山社中(のちの海援隊)をつくった。武器のブローカーになった。だが、船の技術が未熟で、虎の子の黒船を沈めてしまう。
薩長同盟で一番損をしたのも龍馬で、薩長の橋渡し的な役割もいらなくなった。
(亀山社中にお金を出したのは小松帯刀。だから、龍馬は「小松は神様だ」とまで言っている。手紙も存在する)
大政奉還で、いよいよ龍馬はいらなくなる。暗殺したのは誰か?
それも小説の世界になる。歴史を学ぶためには小説だけの世界に浸ってはいけません。
(歴史家・作家・加来耕三氏談より参照)