新年早々、長野県の須坂新聞1月1日号に私のことが少し記事になりました。
昨年10月に「シルク・サミット 2009 in 須坂」がおこなわれ、
その成果として、明治初期の須坂の製糸結社「東行社」の扁額の揮毫した人物が
わかったという内容です。
135年前の明治8(1875)年、日本最初の製糸結社として誕生した「東行社」(須坂市上町)の
応接間に掛かっていたとされる扁額「東行社」を揮毫した「海東」とは、
第4代、第6代内閣総理大臣を務めた松方正義(1835-1924)と分かった。
昨年10月の「シルク・サミット2009イン須坂」の席上、
市誌編さん室の青木広安主任専門員が投げかけ、
出席した速水○○○さん(富岡製糸場世界遺産伝道師協会の伝道師)が調べ、
市誌編さん室へ連絡して判明した。
サミットの講演会で、地元に「海東」という人が書いた「東行社」の扁額があるが、
「海東」が誰だかわからない、という話がありました。(須坂サミット訪問のブログはこちら)
物好きな私はなんだかすぐにわかるような気がして、帰宅後、調べてみました。
・「海東」が松方正義の雅号だということ
・落款も「正義之印」となっており、「海東」の印も松方の書に同じものがある
・松方の他の扁額の文字と非常に似ている
・「東行社」の創立初期の明治10年前後は、松方正義は大久保利通の下、
勧業頭として蚕糸業にかかわり、第一回内国勧業博覧会の御用掛もつとめている。
これらの事から、松方の揮毫である可能性はたかい、とわかりました。
そのことを、地元で講演をした方に手紙でお知らせしたところ、それが記事となりました。
新聞には速水堅曹の経歴や松方正義との関係も書いていただき、
堅曹が明治10年須坂に視察に行ったときに厳しい評価をし,
翌11年に訪れたときは「大いに進歩した」と語ったことなども載っています。
わたしのようなものが調べたことが
「須坂人にとってはこの上ない大発見です」とたいへんに喜んでいただき、
恐縮しています。
松方正義は堅曹さんが中央の役人になってからは、ずっと関わりのあった方で、
製糸業について堅曹の考え方をよく理解してくれ,
堅曹がもっとも信頼をおいて相談をしていた政治家の1人でした。
自叙伝『六十五年記』で索引をつくると、一番の登場人物となります。
そんな松方正義の揮毫した扁額がたまたま訪れた須坂にあり、
名前が明らかになるお手伝いができたことは、
ご縁があったのでしょうが、本当にうれしくおもいます。