先月の29、30日と「シルク・サミット2009 in 須坂」に行ってきました。
長野県須坂市。
この町で明治3年から糸仲買商をはじめて戦後まで商いをし、
その後電子機器メーカーとなったH家に親戚の娘さんが嫁いでいます。
そんな縁もあり、今回のシルク・サミットはぜひ行きたいとおもっていました。
29日昼前に新幹線で長野駅に着き、
親戚のOさん夫妻やH家に嫁いだ娘さんが迎えにきてくれました。
須坂までは車で20分ほど。
会場の須坂駅前のシルキーホールに行く前に、H家に寄る。
上町の観音通り(大笹街道)に面して建つ、150年以上経つ糸商の家である。
このあたりの典型的な商家の形態で、通りに面した妻入りの母屋の隣の狭い門を入ると、
奥にむかって土蔵や味噌蔵がならび、最奥には工場がある。
歴史と風格を感じさせる家で、最初から素晴らしいものを見せてもらった。
さてサミット会場に着き、講演と調査・事例報告を聞きます。
講演では須坂の養蚕製糸業の歴史を聞く。
なだらかな坂がず~と続いているので、須坂という。
その坂の高低を利用して古くからこの町では各家の庭を通る用水路で水車をまわし、
精米、製粉、油絞りの動力としていたという。
そのため明治にはいり、器械製糸の機運がたかまるとすぐにそれを転用して動力とした。
ここは生糸を売買する糸師から製糸をやるようになった人が多く、小規模な製糸所がおおかった。
それらが結社をつくり、明治8年に「東行社」という優秀な糸をつくる製糸会社ができている。
須坂を訪れる前に、大塚良太郎の『蚕糸』(明治33年刊)で堅曹さんの信州方面の視察記録を読み、
訪れた町、製糸場をリストアップしてみた。
明治10年、11年、13年と長野方面を訪れており、器械製糸の黎明期の信州の町々の製糸場を見て歩き、
評価とアドバイスをくりかえし指導している。
須坂にも何回もおとずれ、辛口の評価をするが、
翌年に行くとその厳しい評価に発奮してずっといい製糸場に改善されている。
そして人々を集めてはその土地の状態にあわせた、これからの製糸業の話をした。
このことは『信濃蚕糸業史』に載っているので、地元でも知られていて、速水堅曹の名前はわかっていてくれました。
6月の小諸での調査からも、堅曹さんが長野県で力をいれて指導していたことが解明され、
そういった器械製糸はじまりの時期の指導が、その後の長野の製糸業の発展に結びついたのではないかとおもった。
夜は会場を変えて、懇親会が行われ、H氏も参加してくださり、
いろいろな方に紹介していただいた。
そのお陰で地元の研究家から須坂近辺の製糸場のことも
堅曹さんと交流のあった人物のこともお聞きすることができた。
翌日は町並み見学会。
親戚のOさん夫妻も一緒に参加。
このあたりの基礎は「ぼたもち石積み」が特徴だという
このあたりは典型的な町家造りで奥が製糸所という家がおおい。
したがって小規模な器械製糸所がたくさんあった。
町の中には豪壮な生糸商や製糸家の土蔵造りの町家が幾棟も残っていて、
歩いていて見飽きることがない。
大笹街道、谷街道、山田草津道の三街道の分岐点である須坂は
いかに交易で栄え、製糸業で発展し、賑やかだったことだろうとおもった。
半日では「須坂製糸業遺構探索マップ」の3分の1も見ることができず、
まだまだ行きたいところがたくさんある。
機会をみて再訪したいなとおもいます。
H氏やOさん夫妻のお陰で大変充実した2日間でした。