堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

「原三溪と美術」展 「大・開港展」

2009-11-18 19:23:39 | 原三溪市民研究会

先日の『原三溪翁伝』の出版記念の集いに出席するため、横浜まで行ったので、

その時に見た美術展を紹介します。


まずは三溪園内の三溪記念館でおこなわれている

特別展「原三溪と美術 ―蒐集家 三溪の旧蔵品」 10月31日~11月30日 


Img080    Img081 チラシ表、裏


晩秋の三溪園、まだ紅葉には少し早かったようです。

でも春や夏の三溪園しか来たことのなかった私には、また趣が違ってよかったです。


Cimg1433 三溪園


展覧会のほうは、三溪さんの旧蔵品ということで、チラシにも使われている

国宝「孔雀明王像」をはじめ、名品といわれる作品が並びました。

蒐集された作品を通しで見ると、三溪さんの趣味がよくわかります。

実に渋い。 決してきらびやかなものがない。


美術については素人の私ですが、

三溪さんが日本古来からの伝統の美の真髄をきわめているような作品に心惹かれているようにおもいました。

そして臨終の枕元で最後に眺めたという「四季山水図」(伝雪舟)の巻物には

彼が幼少のころ、伯父から学んだ南画の世界に通じるものを感じ、

彼の原点が凝縮されているようで、エピソードと共に見ていて胸があつくなりました。



横浜美術館では

「大・開港展 徳川将軍家と幕末明治の美術」 9月19日~11月23日


Img082_2    Img083 チラシ表、裏


14日の土曜日、原三溪市民研究会が行われる前にじっくりと見学しました。


全体を徳川時代、開港の時代、明治時代と分けて展示され、

それぞれの時代の文物や美術品が一同に集められています。

絵画は絵画、工芸品は工芸品、陶器は陶器だけといった展覧会は多いけれど、

こんなにいろいろなものが集められているのは実に壮観です。


全体を通してみると、日本の美術が開港によって新しく西洋の影響を受けてかわったり、

日本の工芸のよさをアピールするようなものがつくられたり、とその変遷がよくわかります。

開港によって日本の芸術文化はこんなに影響されてきたんだ、とその特質が浮き彫りにされています。

そして最後にはそういった時代に原三溪が庇護して育て上げた日本画家たちの絵も展示されていました。


前日は三溪さんの旧蔵品を見て、彼の美術の審美眼を堪能させてもらい、

この日は彼がパトロンとして庇護してきたことの意味が大局から理解できたようにおもいます。


2日間通して、実に充実した展覧会鑑賞でした。


『原三溪翁伝』 出版感謝の集い

2009-11-15 19:19:17 | 原三溪市民研究会

11月13日 『原三溪翁伝』(藤本實也著)出版記念 「感謝の集い」 が行われました。


気温も低く、雨風が強くなった夕方、

横浜の ホテルニューグランド 「ペリー来航の間」 に皆が集まりました。


Cimg1466 ホテルニューグランド 「ペリー来航の間」


私達原三溪市民研究会のメンバーと、出版に支援・協力してくださった関係者が

三溪園保勝会、横浜市芸術文化振興財団、はまぎん産業文化振興財団から招待されました。



皆ソワソワしています。

今日 『原三溪翁伝』 をはじめて手にします。

できたてホヤホヤ。

会場入り口に飾ってありました。


Cimg1463 『原三溪翁伝』 藤本實也著


早速手にとって写真を。


  Cimg1468cut_2


服装はちょっとこだわって、ぐんまシルクのショール(ミラノリブ)と昨年リヨンで求めた絹織物でつくったジャケットを着ました。



午後6時、会がはじまりました。

主催者、来賓の挨拶につづき、研究会の代表である、猿渡さんから経過報告。


本来なら、この本の出版を30年かけて成し遂げられた、東京外語大の内海孝教授が挨拶するべきが、

現在ニューヨークに研究留学となりこの場に来られなかった。

朝届いたメールを猿渡さんが読み上げる。

「今日、『原三溪翁伝』が出版される。

この日がやってきたとおもうだけで、僕は胸がいっぱいになってしまう。」

この一文でヤラレマシタ!

わたしも目がウルウル。

「ニューヨークに着いて数週間、本来の研究にまだ手がつけられず、

憑かれたようにニューヨークの町を原合名会社のニューヨーク支店の場所を探して

歩きまわっています。・・・・・」

先生らしい。


幻の原稿を本に出版するまで、この30年間はほんとうに長かったこととおもう。

その先生のおもいとそれを分かち合えるスタッフや市民研究会のメンバーが集まって、

今回出版までこぎつけることができた。

皆ひとつの気持ちでつながっていることが、なんと和やかな楽しい会とするのだろう。

どの挨拶も心温まるもので、この本の内容をよく熟知していらした。



私は著者の藤本實也氏のご子孫にお会いできたことが、たいへんにうれしかった。

速水堅曹の自叙伝 『六十五年記』 をさがすきっかけとなった本は

すべて藤本實也氏の著作であったからだ。

おおげさにいえば、彼が著書に『六十五年記』を引用してくれなければ、

速水堅曹の自叙伝を永遠に探すことはなかったとおもう。

いつかご子孫にお会いしてお礼が言いたかった。



そのほかにも大勢の方にお会いし、気持ちはず~と高揚しっぱなし。

でも、おもいっきり喜んでいい日だし、私はうれしくてたまらなかった。


Photo 全員で記念写真



伝道師活動と箱石先生の講演

2009-11-13 09:41:53 | 勉強会、講演会

11月10日、早朝に家を出てJR熊谷駅に行きました。


Cimg1412 熊谷駅


熊谷は群馬県の隣、埼玉県ですが、ここで富岡製糸場世界遺産のキャンペーンをおこないました。

「群馬県ではいま富岡製糸場と絹産業遺産を世界遺産に登録する運動をしています」と

チラシを配ったり、パネルを飾って説明をしたりします。

場所は熊谷駅の改札を出たところで、花屋さんと沖縄の物産展の間でした。


Cimg1399 北口で伝道活動



たまには私も伝道師としてこういう活動に参加します。

始めの頃はチラシを配るのも勇気がいるし、パネルの説明も聞かれてわからないことがあったらどうしよう、

なんてドキドキしたものですが、最近はだいぶ慣れました。

特にチラシ配りは、テレビかなにかで、町中でティッシュやチラシを配る人の極意というか、

どうしたら手に取ってもらえるか、なんていうのを見て参考にしたら結構うまくなりました。

パネルの説明も相手にあわせて、自分の得意分野をしゃべるとよく聞いてくれるみたいです。



熊谷駅でみつけたすてきなもの。

北口の階段をおりたところに、新幹線開通を記念して昭和11年の熊谷市の鳥瞰図が壁面に飾られていました。


Cimg1409 熊谷市の鳥瞰図 左


Cimg1410 鳥瞰図 中央


Cimg1411 鳥瞰図 右


大きすぎるのと、文字の色が薄いので見にくいのですが、当時の駅のまわりの様子がよくわかります。

片倉製糸の熊谷工場があったり、繭検査所があったり、いくつか製糸所もあります。


書いたのは鳥瞰技法の絵図では第一人者の吉田初三郎です。

横浜や神奈川では、彼の鳥瞰図はいくつか復刻されていて、少し持っています。

見ていると町の様子がよくわかって、いつまでも眺めてしまいます。

熊谷のもあったのか、とおもい写真にとったけれど、大きすぎてうまく撮れません。

手頃な印刷物として復刻していたらいいのにな、とおもいました。




さて、そんな感じで2時間伝道師活動をしたあと、

こんどは熊谷駅から湘南新宿ラインに乗って横浜に向かいました。


「パシフィコ横浜」で昨年古文書を読み解くのにたいへんお世話になった箱石先生の講演があります。

ここははじめて来たのですが、幕張メッセや東京ビッグサイトのような感じの建物で

大規模なイベントがおこなわれる場所なんですね。


Cimg1416 パシフィコ横浜


講演は「第11回図書館総合展」の中のフォーラムでの開催でした。


展示のほうは出展者数が170以上の大きなイベントで、おもいがけず最新の図書情報が得られました。

一番驚いたのは明治7年からの新聞記事のデータベースです。

「ヨミダス歴史館」のデモンストレーションでためしに「富岡製糸」と入れて検索してみたら、

驚くほど明治初期の記事が出てきて、どれも読んでみたいものばかりでした。

図書館で早速にやってみようとおもう。

絶対堅曹さんの記事がでてくるはず、と確信をもってます。

とまあ、余計な話ばかり。



肝心の箱石先生のお話は、東大資料編纂所の絵画や錦絵、古写真、古文書などのデータ解析の話でした。

「東京大学史料編纂所画像史料解析センターにおける 幕末維新期画像史料研究」というタイトル


Cimg1421 箱石先生の講演


10年程前から史料編纂所でも写真や絵画の画像史料を取り入れようと解析センターが設置されたという。

ひとつ、戊辰戦争を風刺した浮世絵を例にあげて解析の方法を説明してくださった。

絵師、版元なども記されていない場合の時代の特定の仕方や、

風刺の場合、登場人物の着物の柄や手ぬぐいの柄で藩名をあらわしている、とか

何のパロデイーになるのかは、

先行した文学作品とおもわれる絵図と比較してみると参照しているのがよくわかる、ということ等々。

本当に当時の全般に精通していなければ解析できないとおもった。


古写真のほうを解説してくださった谷先生の話も

ジョン万次郎が万延元年に写真を撮っていたか?という話で、

確定していく経緯は、とても興味深かった。


歴史を検証していくのは、本当に細部まで目をこらして膨大な知識をもってやらなければならず、

それが現在はパソコンを駆使したデータ解析も使って行われている状況がよくわかりました。


貴重な文献や錦絵がデータベース化されることで、家にいながら見ることができるのは、

今もだいぶお世話になっていますが、もっともっと豊富になるのは大賛成!

図書の分野でもどんどんデジタル化が進んでいるのを実感した日でした。


ヒロト君 バイバイ

2009-11-09 19:31:30 | 日記・エッセイ・コラム

1ヶ月ちょっと、我家にいたヒロト君。

体重も1,5倍に増え、すくすくと育っておうちに帰っていきました。



この時代に「布おむつで育てる!」 と娘は言って、せっせと洗濯。

お日様に当たってべランダの布オムツがクルクルと風になびく光景は、

「昔は幸せの象徴だった」 なんて母は言い。



Cimg1383 セレモニーのベビードレスを着たヒロト君


11月3日、皆でお宮参りならぬ「お寺参り」をして、子育てを祈願しました。


健康に育つのが何より。

がんばってね。


シルク・サミット 2009 in 須坂

2009-11-06 09:42:56 | 勉強会、講演会

先月の29、30日と「シルク・サミット2009 in 須坂」に行ってきました。

長野県須坂市。

この町で明治3年から糸仲買商をはじめて戦後まで商いをし、

その後電子機器メーカーとなったH家に親戚の娘さんが嫁いでいます。

そんな縁もあり、今回のシルク・サミットはぜひ行きたいとおもっていました。



29日昼前に新幹線で長野駅に着き、

親戚のOさん夫妻やH家に嫁いだ娘さんが迎えにきてくれました。

須坂までは車で20分ほど。

会場の須坂駅前のシルキーホールに行く前に、H家に寄る。


上町の観音通り(大笹街道)に面して建つ、150年以上経つ糸商の家である。


Cimg1224 H家 母屋


このあたりの典型的な商家の形態で、通りに面した妻入りの母屋の隣の狭い門を入ると、

奥にむかって土蔵や味噌蔵がならび、最奥には工場がある。


Cimg1218 門を入ったところ、前庭と土蔵がある


歴史と風格を感じさせる家で、最初から素晴らしいものを見せてもらった。



さてサミット会場に着き、講演と調査・事例報告を聞きます。

Cimg1232 シルク・サミット会場


Cimg1226 シルク・サミット会場


講演では須坂の養蚕製糸業の歴史を聞く。

なだらかな坂がず~と続いているので、須坂という。

その坂の高低を利用して古くからこの町では各家の庭を通る用水路で水車をまわし、

精米、製粉、油絞りの動力としていたという。

そのため明治にはいり、器械製糸の機運がたかまるとすぐにそれを転用して動力とした。

ここは生糸を売買する糸師から製糸をやるようになった人が多く、小規模な製糸所がおおかった。

それらが結社をつくり、明治8年に「東行社」という優秀な糸をつくる製糸会社ができている。



須坂を訪れる前に、大塚良太郎の『蚕糸』(明治33年刊)で堅曹さんの信州方面の視察記録を読み、

訪れた町、製糸場をリストアップしてみた。

明治10年、11年、13年と長野方面を訪れており、器械製糸の黎明期の信州の町々の製糸場を見て歩き、

評価とアドバイスをくりかえし指導している。

須坂にも何回もおとずれ、辛口の評価をするが、

翌年に行くとその厳しい評価に発奮してずっといい製糸場に改善されている。

そして人々を集めてはその土地の状態にあわせた、これからの製糸業の話をした。



このことは『信濃蚕糸業史』に載っているので、地元でも知られていて、速水堅曹の名前はわかっていてくれました。

6月の小諸での調査からも、堅曹さんが長野県で力をいれて指導していたことが解明され、

そういった器械製糸はじまりの時期の指導が、その後の長野の製糸業の発展に結びついたのではないかとおもった。



夜は会場を変えて、懇親会が行われ、H氏も参加してくださり、

いろいろな方に紹介していただいた。

そのお陰で地元の研究家から須坂近辺の製糸場のことも

堅曹さんと交流のあった人物のこともお聞きすることができた。



翌日は町並み見学会。

親戚のOさん夫妻も一緒に参加。



Cimg1248 須坂駅


Cimg1260 須坂クラシック美術館 製糸家の家


このあたりの基礎は「ぼたもち石積み」が特徴だという


Cimg1263 ぼたもち石


Cimg1267 横町通り


Cimg1279 横町通り 

このあたりは典型的な町家造りで奥が製糸所という家がおおい。

したがって小規模な器械製糸所がたくさんあった。


Cimg1281 繭蔵 木造3階建て 


Cimg1319 たくさんの水車が架けられていた用水路の現在


Cimg1308 上町(大笹街道沿い)の町並み


Cimg1302 小田切家


Cimg1327 旧高井郡役所 




町の中には豪壮な生糸商や製糸家の土蔵造りの町家が幾棟も残っていて、

歩いていて見飽きることがない。

大笹街道、谷街道、山田草津道の三街道の分岐点である須坂は

いかに交易で栄え、製糸業で発展し、賑やかだったことだろうとおもった。


半日では「須坂製糸業遺構探索マップ」の3分の1も見ることができず、

まだまだ行きたいところがたくさんある。

機会をみて再訪したいなとおもいます。

H氏やOさん夫妻のお陰で大変充実した2日間でした。