14日はお盆の最中でしたが原三溪市民研究会があり、横浜に行ってきました。
いつものように『原三溪翁伝』の輪読がおこなわれ
今回はいよいよ三溪園のところです。
担当のFさんの発表は内容を深く掘りさげた考察で、とても興味深いものでした。
三溪さんはどうして自宅である三溪園を公開しようとおもったのか?
園内に移築した建物はどういう経緯で購入しようとおもったのか?
またその時間的な経過をみていくと庭の構想をたてた謎が生まれる等々
三溪さんの人物像をFさんの豊富な知識と資料から推論していきました。
こういった読解ができると本当に三溪さんのことを研究している、という感じがします。
さて輪読が終わって、この日は久保山墓地にある原家のお墓に
命日(8月16日)と出版の報告のお参りに行きました。
2年前の9月にも研究会で墓参に行きました。(そのときのブログはここ)
とてもよく覚えています。
あれから2年たったのですね。
今回始めての人には、前に来た人たちが説明をしたり、
皆で手際よくお花やお水、お線香の用意をしたり、
そして『原三溪翁伝』を墓前に供え、一人ずつお参りをしました。
みんな心の中で無事出版されました、と報告したこととおもいます。
広い墓域ですが、20人も入るとにぎやかできっと三溪さんも驚いたことでしょう。
昨年は出版直前で最後の追い込みの校正などでお参りにくる余裕がありませんでしたね、
と話しました。
お参りのあと希望者は
近くの吉田勘兵衛(吉田新田を開墾)と吉田健三(吉田茂の父)の墓参もして
久保山を後にしました。
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