海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「イスラムは文化としては没落するだろう」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2010年09月10日 | イスラム問題
ハマド・アブデル=サマドは、五人の子供の第三子としてカイロの近傍に生まれた。彼の父は、スンニー派のイマームである。四歳の時、15歳児から暴行を受けた。彼が11歳だったとき、彼はもう一度少年のグループから暴行を受けた。1995年に23歳で彼は潜在的な反ユダヤ主義者で西欧に対する懐疑家としてドイツにやってきた。
アウグスブルクでの政治学を勉強している間に、変換のプロセスが始まった。西欧を憎む者からリベラルなイスラム改革者への変貌と彼の問題の多い子供時代とをアブデル=サマドは、自伝的な書物『私の天国からの別れ』の中で手を加えた。それは彼を故郷におけるファトワに導き、警察の保護が必要になった。
彼はユネスコのために働き、エルフルトのイスラム学の講座や、ミュンヒェン大学における「ユダヤ史とユダヤ文化研究所」の仕事を与えた。彼の二番目の書物『イスラム世界の没落』、は、ドイツの本屋に現れた。(ドレーマー・クナウル社、18ユーロ)アブデル=サマドは、コニーと結婚しているが、彼女の母親は日本人で父親はデンマーク人である。彼らはミュンヒェンに住んでいる。
ハメド・アブデル=サマドは小声で思慮深く語る。
ヴェルト・オンライン:あなたは新著の中で、自分は信仰から知識へと改宗したと書いています。それではあなたは知ってはいるが、無信仰なのでしょうか?
アブデル=サマド:いいえ。私にとっては、個人的な信仰は話すできではない事柄です。本来、信仰はどんなカテゴリーにも当てはまりません。私はたいていのムスリムが今日解釈するようなある信仰から改宗しました。つまり、閉じられた建物としての絶対的真理としての信仰です。しかし、信仰は私にとっては、「常に探し求めること」を意味しています。
ヴェルト・オンライン:つまりそれは、どの個人も自分自身と信仰を取り決めるということであって、自分によって指名された権威から生じたのではないということですね。
アブデル・サマド:そのとおりです。出来合の答えや出来合の真理ではありません。私は信仰から知識へと改宗したのは、私の宗教・歴史・言語についてより多く経験し、それと批判的にたいけつしようと試みたからです。これこそ現在イスラムが非常に必要としているものなのです。(以下略)
コメント (2)
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