海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ミンダナオ島の部族長は、日本人の父親を覚えている」と題する『サンデイ・タイムズ』の記事

2005年06月05日 | アジアと日本
日本政府が、ミンダナオ島のジャングルにいる二人の元日本兵を追跡していると聞いて、第二次世界大戦中に彼の父親を最後に見たという思い出が部族長タナオ・バンティラン・タオ(田尾?)にとっては押し寄せた。
先月、この島に関わりのある一人の日本人ビジネスマンの不確かな報告によって、二人の80才代の日本軍の生き残りを捜して、日本外務省の係員と100名の日本人ジャーナリストとがミンダナオ島に降り立った。先週、このミッションがその報告は立証不可能であるという結論を出した後、この一団はヘネラル・サントスの港から立ち去った。
明白なことは、タナオ・タオの父親を含めて、日本兵は、戦時中、ミンダナオ島に占領軍として勤務したということである。
「私は、敗残兵はここにはいないと思う。もし、日本兵がいたとすれば、彼らは今までに出てきただろう」とグラン(Glan)の田舎町に居住するブラーン族の部族長は言う。
 日系人協会の会長として、彼は1998年にミンダナオ島のいろいろな場所で、このような「敗残兵」を捜索したが、誰も見つからなかった。
 彼の父、ヒヨイコ・タオ(田尾清彦あるいは田尾ヒロユキの聞き間違いと思われる)は、1920年代にミンダナオ島に移住し、当時アメリカのプランテーションで働くために来た何百人もの日本人同胞に加わった。 彼はグランで農業に従事し、ブラーン族の娘と結婚した。タナオ・タオは、この珍しい組み合わせの結果であった。これらの労働者は、1941年に真珠湾を攻撃した直後、日本がフィリピンに侵入したとき、帝国陸軍の兵隊になった。
 このことは、多くのフィリピン人に、日本人は初めから侵入者としてやってきたのだろうと疑わせた。
日本軍がグランの町にやってきたとき、ヒヨイキ・タオは、通訳として勤務した。「彼が帝国陸軍に加わった後、私たちは彼に会っていない」とタオは言う。しかし、後に彼は、彼の父がフィリピン・ゲリラに捕まり、すんでの所で殺されるのを免れたということを知った。
 戦後、日本が降伏した時、父親は家族とともに残ることを希望したが、帰国するように強いられた。日本に戻って農民として働いた後、彼は1956年にガンで死んだ。日本のテレビのクルーがタオを探し出した1974年に彼は父の死を知ったのだった。
 彼の家族は、ゲリラに日本兵の親族であるという理由で拘置された。タオは、フィリピン・ゲリラの食糧を作るために農場で働くように強制されたのを覚えている。
 彼は父親がフィリピンの家族のために手紙を書こうとしたと信じている。しかし、手紙は一度も届かなかった。
 「1999年に私が日本へ行ったとき、私が見たのは父の墓だけだった。私の叔父と甥とがそれを私に見せてくれたのだ」と彼は悲しげに言う。
 日本兵がまだミンダナオ島に隠れているという報告については証拠がなく、隠れていないだろうという疑いは強まっているが、ジャングルに隠れているという噂はいつまでも続いている。
 怪しげな人物がミンダナオ島を訪れる日本のジャーナリストに宝の地図と称するものや日本兵から貰った日章旗を見せたりする。さまざまの老人が、可能な日本人の生き残りとして、新聞記者に提示される。しかし、彼らは大部分、日本語がしゃべれなかったり、彼らが日本人だという証拠を示すことができないで、片づけられる。
 タナオ・タオは、1990年代に、山に隠れている日本の敗残兵についての次のような話を聞いたのを覚えている。ヘネラル・サントスの近くの町で、ある男が、驚くべき申し出とともに、日本人の先祖をもつフィリピン人に近づいた。日本兵の息子だと称するその男は、もし、日系フィリピン人の子孫が金を貸してくれるならば、自分の父が山に隠した金塊で返すと言った。タオの兄弟を含めて三人の人間がだまされ、その男に金を与えたが、その詐欺師は消えてしまった。
 地方の農民であるプリモ・ワゴ・シロマ(64)は、彼の日本人の父親がフィリピン・ゲリラに殺されたとき、まだ2,3才だったので、父親の思い出はないと言う。
 彼はいまなお彼の父ジョホ・シロマの写真を財布の中に入れている。「彼らがなぜ父を殺したのか分からない。多分、兵隊だったのだろう」と彼は言う。彼が聞いた第二次大戦後の日本軍の残留者についての話は、ラジオによるものだと彼は言う。
 第二次大戦中の日本軍の残酷なフィリピン占領にもかかわらず、シロマとタナオ・タオとは、戦後に虐待は受けなかったし、日本との血のつながりは、彼らの家族には利益をもたらしたと言う。
 1968年に日本人の子孫達は、「フィリピン日系人会」と組織し、1994年から1995年までに日本は、日系人を登録し、彼らに日本で働くビザを得る権利を与えた。
 フィリピン日系人会の前会長であるタナオ・タオは、彼の子供10人が日本で働いており、一人は帰国したばかりで、彼の稼ぎで家を建てていると言う。
 シロマも、彼の子供の内3人は彼の父の出身地である沖縄にいると言っている。
[訳者の感想]フィリピンにもかなり多くの日系人がいることは、忘れられがちですが、その人達が戦前から今までどんな生活をしていたかが、良く分かるように思います。日本軍に協力したばかりに、戦後、意志に反して日本に帰国させられた一世の悲劇は、かなり多かったと思われます。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ザルカウイの仲間がスンニ... | トップ | 「中国の(卑劣な)財政上の... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして、こんにちは。 (polestar)
2005-08-17 21:57:43
こちらも是非ご参照くださいませ。

フィリピンで現在進行形の詐欺事件です。

警告の意味を込めて書きました。

http://blog.goo.ne.jp/polestar_0/e/642ecee5257bd991de9e65b8463fb527
返信する

コメントを投稿

アジアと日本」カテゴリの最新記事