海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「中国は新しいアメリカになれるか?」と題する『フォーリン・ポリシー』誌の論説。

2009年03月31日 | 国際政治
現在の経済危機と同様、大恐慌の時代にも、国際秩序にリーダーシップが欠けていたために景気の後退は特に厳しかった。19世紀の支配的な力であった英国は、第一次世界大戦で財政的に衰退していた。新たな債権者である米国は、強力な経済力として台頭したが、まだ、開かれた国際的経済秩序を維持するのに十分なリーダーシップを持っていなかった。簡単な診断を言えば、英国は指導することができず、米国はその気がなかった。
このシナリオが身近に聞こえるとしたら、それは当然だ。大恐慌からの話は国際経済の指導力についての現在の議論の中に反響を見出すことができる。今度は米国が英国の役割を演じ、中国が世界の最大の債権者として米国に取って代わろうとしてる。だが、もし、中国が今世紀の米国であるとすると、それは1930年代の米国よりももっと旨く仕事ができるだろうか?台頭する超大国がこの役割を演じる仕方が、どうしたら、世界が景気後退から脱出し、新たな経済秩序を形成するかを決定するだろう。
エコノミストのチャールズ・キンドルバーガーは、米国が1930年代初めに、保護主義の道をたどるよりは、投資に開かれた金融市場を維持し続けるために、最後の頼みの綱の貸し手として、振る舞うべきだったと主張した。米国は、相殺財政政策で世界経済を刺激すべきであった。
だが、大恐慌の時代には、米国が世界を救う重荷を担いたがらなかった説得力のあるあらゆる種類の理由があった。より多くの資金を欧州に送ることは、下水溝にお金を流すようなものだと思われた。結局、ヨーロッパ人達は、その前に世界大戦を戦ったが、それは財政的な失敗の原因だった。経済的に、ヨーロッパを援助することは、長期の視点からは多いに道理に適っていただろうが、政治的には短期的な利益のない失敗だった。
現在の金融危機の最中に、ポケットをふくらませた中国は、同じディレンマに直面している。その不機嫌を飲み込んで、われわれをこの状況に陥れた同じ国々を救済するのを手伝うか、それとも、まず自分自身の短期的な利害に注意するかどちらかというディレンマである。今日、改革されたIMFを通じて、国際的に調整された救済策に中国がもっと貢献して欲しいという要求がある。多くのエコノミストは、中国の成長率の推定を少なくしたけれども、中国はだけが、2009年も成長し続ける少ない国の一つだ。最後に、中国と米国は、十分に大きな国であり、財政的刺激への大きな力を出せる十分整えられた政府財政をもっている。(後略)
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