海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ソマリアでは、石器時代的イスラム教に対する抵抗が強まる」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年01月21日 | イスラム問題
ベルリン発:アシャ・イブラヒム・ヅフロフの石打の刑は、公開の見せ物として演出された。自動車で、イスラム過激派の兵士は、ソマリア南部の港町キスマヨを通って、次の日にこの13才の少女を処刑すると告知した。イスラム法廷は、婚外性交の罪でこの少女を断罪していた。アシャは、三人の武装した男達に強姦されたのだ。
「アル・シャハブ」(青年)と名乗るイスラム過激派は、推定によると、ソマリア南部の80%を支配している。ソマリアの暫定政府(TFG)は、わずかに、バイドア市と首都のモガデシオしか支配していない。ソマリア軍兵士と「アフリカ連合」の軍隊と並んで、政府軍を守っていたのは良く訓練されたエチオピア軍の兵士だった。2007年の前半、キリスト教国のエチオピアからきた軍隊は、一時軍事的な成功を収めたが、その後損害を被り、イスラム過激派は、彼らのゲリラ戦法で成功を収めた。エチオピア軍は、「アル・シャバブ」の攻撃に市場や居住区やモスクの爆撃で応えたことによって、ソマリア国民の憎悪の的となった。
 軍事的失敗に、政治的失敗が加わった。確かに、2008年11月には、ジブチで停戦協定が結ばれたが、それは暫定政府と穏健な分派の間の協定だった。かって軍閥だった、アブドラ・ユスフ・アーメッド大統領は、彼の強硬な政策で、国民と国際的支援を失った。昨年12月末に彼は大統領職を辞任した。残ったのは、頭脳も軍事的防衛軍ももたない暫定政府である。暫定政府の崩壊は、もっと大きな混乱をもたらすだろう。
「危険は続いているが、ソマリアは、新しい可能性を示している」と、ロンドンにある「チャタム・ハウス研究所」のアフリカ部門の部長であるトマス・カージルは言う。「人々は紛争にうんざりしている。暫定政府がかなり多くのグループから支持され、ある安定性を保つことができれば、それはいくらか影響するだろう。」ケニアのナイロビからソマリアを観察しているラブディ・アシドは、歴史的な機会を見ている。「国会にすべてのグループに開かれた大統領を選ばせるための暫定政府が作られねばならない。」
エチオピア軍の撤退は、ソマリアの政治家達を助けるかもしれない。「アル・シャバブ」を結びつけ彼らに他のグループの支持を保証したのは、占領軍とその支持者に対する憎悪だった。「私はさまざまな勢力の新たな成立を当てにしている。アル・シャバブが共同の戦線を維持できるかどうかが分かるだろう」とカージルは言った。米国によって、アル・カイダとの接触を持ったテロ組織だと評価されているイスラム過激派は、支持されてはならない。だが、彼らは良く組織されている。軍団は、住民に受け入れられるように、地域の部族の支配地に対応している。アル・シャバブは、青年達に一月200ドルを支払うこと、診療を受けられること、死んだ場合は、埋葬を約束することで、青年達をおびき寄せている。
 特にアル・シャバブは、人々に安心感を与えている。イスラム過激派は、小さな犯罪者にも、路上に検閲所を設けて住民から最後の金を搾り取っている多くの強盗団に対しても同じように対応している。「安全に対する欲求は非常に大きい」と「国際危機グループ」のラブディ・アシドは言う。「多くの人にとっては自由よりも安全のほうが大事なのだ。」
2007年の初頭以来、戦闘で、1万6000人が死に、3万人が負傷した。100万人以上のソマリア人が避難している。モガデシオは、幽霊のでそうな町だ。穏健なムスリムだと見なされているソマリア人が、安全のために払っている代価は高い。過激派が町を占拠すると、彼らは、映画館を閉鎖し、不作法な髪型をしている男性の髪の毛を剃ってしまい、サッカー見物を禁止する。「アル・シャバブ」が村へ来ると、彼らは「宣伝パンフレット」を配り、勉強グループを組織する。直ちにイスラム法を執行するために、「移動裁判所」が控えている。この石器時代的なイスラム教は。多くのソマリア人にとっては、行き過ぎだ。「幾つかのグループは、人々を動員して、アル・シャバブと戦っている。ある組織は、アル・シャバブという異端者に聖戦を宣言し、グリエルやマレブの町を奪い返したと「ニューヨーク・タイムズ」は報道している。
しかし、カージルの意見では、西欧の政治家は、人道的援助にだけ限定すべきである。
(以下省略)
「アル・シャバブ」に金銭的な援助をしているのは誰でしょうか。ビン・ラディンでなければ、サウディ・アラビアの誰かでしょうか。
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