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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「陰謀に対するチェキストの恐れ」と題する『ヴェルト』の論評

2007年02月14日 | 国際政治
ロシアの民衆は、ゴルバチョフよりも、エリツィンを信じた。彼は民衆の一人だった。彼は酒を飲み、思っていることを口に出した。だが、それは全くの錯覚だった。われわれは身体的な巨人を政治的巨人と取り違えた。民衆に民主主義を与えるために、彼は何でもやった。その後で彼は民衆に背を向けた。国民がその蓄えを失った経済改革のショック療法の意味を誰も人々に説明しなかったが、それは国民を憤激させた。
旗をなびかせながら、民衆は、共産主義者やジリノフスキー型の煽動的なナショナリストに走った。改革派には、内心ロシアの民衆を馬鹿者の集まりだと説明する以外にましなことは思いつかなかった。民衆に落胆して、改革者達は、むしろ自分の物質的繁栄を心配した。他方でチェチェン戦争に首を突っ込んだエリツィンは、オリガルヒやチェキスト達に味方を求めた。彼が彼の大統領職の終わりまで、ロシアのメディアの自由に手を触れなかった点は高く評価されるべきだ。
今日、1990年代の混乱の時代を振り返ると、どれほど多くのチャンスが見逃されたかが分かる。時間が経つほど、それだけナイーブなゴルバチョフの高貴さがエリツィンの間抜けさ加減が明らかになる。民衆は、強力な手腕を、法と秩序とを希求し始めた。
エリツィンが政治的に瀕死だったとき、彼はプーチンを自分の個人的安全を保証する人物だと感じた。自分自身の保護ばかり考えていたエリツィンには、もはや国のことは念頭になかった。ソビエト時代、KGBは、巧みにソビエトの秘密警察は、国家の最良の息子であるという神話を世界中に広めた。民衆はプーチンの中に、この神話の権化を見た。
プーチンの下での7年間の政治の後で、今日、大統領の長所と弱点は、彼が分析家である点にあるように見える。分析家プーチンの長所は、複雑で矛盾した現象を合理的に把握する用意がある点にある。彼は、ロシアの民衆と多くの共通した性質を持っている。それは強い国家権力、強力なロシアに対する信念、あらゆる役立つものを西欧から引き継ごうとする努力、だが、その際、自分のロシア魂を売らないでおくという性質である。古いチェキストの学校に多くを負っているプーチンの分析は、ロシアの価値や利害とは区別される価値や利害の防衛が問題になる場合には、陰謀や挑発をかぎつけがちである。
結局、ロシアの官僚的保守主義の伝統では、禁止政策が健全な常識に打ち勝つ。従順な議会は、急いですべてに「ニエット(否)」と言う。知事の自由な選挙であれ、カジノの禁止であれ。自由は常に恣意や、違った考えと同一視される。高い原油価格は、確かに経済の安定に貢献すが、中国やインドで見るように、生産の発展には貢献しない。ロシアの労働者が冷静に非常に動機づけられて工場でコンピューターを組み立てることを想像するのは難しい。国家権力は、選挙民に愛国主義を呼びかけることによって、ただ、外面的にしか選挙民をコントロールできない。共通の国民的理念が欠けているから、選挙民は、自分たちの利己的な利害の中に取り込まれており、排他的な性格を持っている。この国は、民主主義的な道からは外れ、円を描いて動いている。
この円環の中には、恐怖の塊がとぐろを巻いている。人口上の破局、拙劣な医学的看護、「デドウシュチーナ」、酒浸り、麻薬中毒、老人の貧困、外国人嫌いなどなど。
だが、肯定的な契機もある。プーチンのロシアにおける重要な功績は、中間層の成立である。そのことを証言しているのは、大量の建築と外国旅行である。最後にだれが勝利を担うのか。社会の近代化の象徴である中間層か、それとも、より貧困な社会階層の古くさい意識の怠慢さか。真の権力政党か、それとも腐敗した官僚階級か。
このことに、ロシアの未来が懸かっているだけでなく、ロシアの未来の存在が懸かっている。私の国の未来は予言できないのに、過去の教訓は明白だ。20年前には、ロシアは、正しい選択をした。しかし、自由に至る複雑な道の途中で、それは、残念ながら自分の両足に気付いた。
[訳者の感想]最近のロシアの情勢が知りたくて、このヴィクトル・イェロフェーエフの論説を訳してみました。「自分の両足に気付いた」というのは、過去のロシアの非民主的で個人の自由を認めない伝統のことを言っていると解釈しました。この論文は、日本人にとっても教訓的であると思います。
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「ロシアの小さな冷戦」と題する『ヴェルト』紙の評論

2007年02月12日 | 国際政治
新たな脅威の分析という点では、両者は一致している。大量破壊兵器と中距離弾道弾、テロと組織犯罪、イスラム教徒の憤激、崩壊する国家、地中海とペルシャ湾の間の戦争と危機、これらすべてを彼らは大きな相違なく高度に危険だと見なしている。
だが、アメリカはなぜ今になって、東欧でロケット探知用の大レーダーやロケットを設置仕始めなければならないのかと、ロシアは問う。これに対して、ロシアはなぜイランにその中東の発火点にあることが暗鬱な推測を可能にしているFIa型ロケットを供給するのかとアメリカは問う。アメリカ人によれば、将来のロケット防御は、ロシアとは無関係で、イランに関係があるのだ。ロシア人によれば、イランが大陸間弾道弾をまだ当分組み立てられないのだからそれは馬鹿げている。プーチンの驚くべき理由付けに依れば、FIa型ロケットを提供したのは、イラン人達が孤立していると感じないためだ。
モスクワとワシントンの間のやりとりは、注目に値するほど、敵対的である。プーチンほど冷たく語ったロシア大統領は冷戦時代以来いない。新たな危険な状況に関して、小規模での冷たい戦争に対する必要が存在するかのように、両者は、内政のメカニズムと関係する駒の運びを敢えてしている。この駒の運びは、外交の強制とは余り関係がない。
ヨーロッパ人にとっては、彼らがどうやって再び安全保障を見出すかという問題が重要だ。アメリカ人と協力してロシアに対してできるだけ対立したくないのだ。ドイツ人が好むような全方向的善意の保証でもって、こちらには北大西洋同盟と海の向こうには戦略的パートナー関係では、もはや多くのことはできなくなった。
[訳者の感想]プーチン大統領が猛烈なアメリカ批判をしたので、ヨーロッパの国々は、これではまた1989年以前の冷戦時代に後戻りするのかと困惑しています。余りロシアを怒らせないような外交政策が必要でしよう。メルケル首相はアメリカとロシアが仲直りするような仲立ちをしたいようです。
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「ネオコン達は、五年間の災厄から何も学ばなかった」と題するフランシス・フクヤマの論説。

2007年01月31日 | 国際政治
今日、米国は、世界の残りの国を合わせたたのとほぼ同じ費用を軍備編成に使っている。それゆえ、殆ど4年間の努力の後、数千人のアメリカ人の生命を失い、5千億ドル(60兆円)の経費かけたのに、米国は、なぜ人口2千4百万人の小さな国を平和にするのに成功したかったのかを思案する価値がある。
一つの答えは、21世紀の最初の10年間に世界政策の本性が重要な仕方で変化したということである。今日の世界は、少なくとも北アフリカから中近東を経て、サハラ南部のアフリカや中央アジアに至るまで、さまざまな弱い国や失敗した国によって、また、国境を越えて速やかに動くことができる超国家的な行動者によって、特徴付けられている。彼らはグローバリゼーションを生み出した同じ技術的能力に助けられている。アフガニスタン、パキスタン、イラク、レバノン、ソマリア、パレスチナやその他の国々は、自分たちの領土に主権的コントロールをすることができなず、アルカイダや軍隊をもった政党であるレバノンのヒズボラやその他の民族的宗派的党派のようなテロリスト集団に力や影響力を譲り渡している。
米国の軍事的ドクトリンは、敵を打ち負かすのに圧倒的な力を使用することを強調している。だが、反政府勢力や民兵が民間人の間に目に見えないで配置される世界では、圧倒的な軍事力は、殆ど常に非生産的である。それは戦士と縁を切りたいと思い、彼らが自由に行動する能力を否定しなければならない人々をのけ者にしてしまう。超国家的な民兵やテロリストを打ち負かすのに必要な種類の反政府運動に対抗することは、政治的目標を軍事的目標よりも優先し、「衝撃と畏怖」よりも人々の心を重視する。
 過去五年間から引き出される第二の教訓は、予防戦争は、長期的な米国の核非拡散戦略の基礎にはなり得ないということである。ブッシュ・ドクトリンは、近づきつつあった核拡散に対して感じられる費用を増大する手段としてイラクに対して予防戦争を用いようと試みた。不幸にも、米国の費用自身が非常に大きかったので、それは、まさに正反対の教訓を教えた。アメリカの通常兵器の抑止効果は低く、ある国がその閾を越えようとするならば、予防戦争の可能性は、実際は減少するのである。
 イラク戦争から引き出されるべき最後の教訓は、現在の米国政府は、毎日の政策運営において非常な無能力を露呈したということである。ブッシュ政府の業績について驚くべきことは、それが自らに課した野心的な目標を達成するのにどれほど惨めな実行しかできなかったかということである。イラクでは、政府は注意力に欠陥のある病人のように振る舞った。米国は、2004年6月30日の主権の移譲や2005年1月30日のイラク国会選挙のようなキーとなる出来事に対しては効果的な組織化に成功した。だが、米国は、イラク軍を訓練するのに失敗し、イラク駐在大使を任命するのに失敗し、契約者に対して正当な義務を遂行することに失敗した。特に、これらやその他の多数の失敗に最も責任がある官僚(ラムズフェルド国防長官を指している)に責任を持たせることに失敗した。
 この作戦上の能力が欠けているということは、理論上は時間が経てば決定できようが、この欠陥は、アメリカの大戦略にとって短期的に重要な帰結を持っている。ネオコンの理論家達は、米国が世界に恩恵となる覇権を実行していると思った。その巨大な力を賢明に行使し、テロリズムや核拡散や悪漢国家や人権侵害のような問題を断固として片づけるのだと思った。だが、友人達や同盟国がアメリカの良い意図を信じようとしたしたとしても、彼らにとって、政策の実行やこの雄牛が後に残した壊れた瀬戸物の山を見ると憂鬱にならないわけにはいかない。
 イラクの教訓を吸収することに失敗していことは、イランの地域的力やその核計画をどう扱うかというについてのネオコンの議論を見れば明白である。今日、イランは、米国や中東における米国の友人にとっても、巨大な挑戦となった。アルカイダとは違って、イランは一つの国家である。エネルギー価格の上昇の結果として資源を十分に持っている。それは不寛容で攻撃的な方向を持つ過激なイスラム主義的政権によって支配されている。
 米国は意図しないで、イラク侵攻によって対抗バランスだったバース党政権を打倒し、テヘランに近いシーア派政党に権力を渡すことによって、イランの地域的台頭を助けた。世界最大の石油資源を持っている国にとって核エネルギーは、余り意味がないが、武装計画の土台としては意味がある。イラン人達が自分たちは核爆弾があるほうが安全だと結論することは彼らにとっては全く合理的である。(中略)
 しかし、イラクについてのネオコンの主張について注目すべきだと思うことは、ネオコンが、2002年のイラク侵攻以来、取った仮定においてはどれほど変わっていないかということである。変わるかもしれないのは、彼らに耳を傾けようとするアメリカの世論の態度である。
これは、プロファイル・ブック社から出版されたフランシス・フクヤマの近著『ネオコン後』(After Neocons.)からの抜粋である。
[訳者の感想]ネオコンは、イラクでの失敗に懲りないでまたもやイランに侵攻しようとしているとフクヤマは、警告しているようです。アメリカ政府の外交・軍事政策は、正気の沙汰ではないと思います。
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「国連は、官僚支配と偽善の中心」と題する『ヴェルト』紙の論説。

2007年01月22日 | 国際政治
 役を辞するに当たって、去っていく事務総長は、好まれなかった米国政府に対して強力な言葉の一撃を食らわせた。最近、コフィ・アナンは、イラクの情勢は、今日、サダム・フッセイン統治下よりも悪いと述べた。当時は、イラク国民は少なくともまだ通りを安心して歩くことができた。
 それでもって、アナンが間接的に自分と彼の組織に対して破産宣告をしたのだと言うことは、殆ど誰にも気付かれかった。アメリカのイラク政策の失敗は、国連の挫折でもあると言うことは見逃されている。米国に主導されたイラク駐留の連合軍は、2003年10月以来、国連によって委託されているのだ。2006年11月末に、国連の安保理は、委託を2007年末まで延長した。イラク政府は、米軍の全面的撤退を恐れている。なぜならば、米軍が撤退しようとするなら、この国をテロと内戦とに分裂させることを防ぐものは何もないからである。ニューヨークにある国連事務局は、バン基文新事務総長のもとでも、流血を止める訴え以上のことは期待できない。
 国連は、泥でできた足を持った怪物である。それは、一種の世界政府を体現しているかのように、道徳的政治的体面を享受している。だが、その「統合された諸国家」という名称が誤解を招いている。事実は、国連はその構成国の総和に過ぎない。その間には、その意図がこの組織の理想とは真反対である多くの政権が見出される。昨年改革された国連人権委員会の中にも、中国やサウディ・アラビアやキューバのような国が出席している。
 国連は巨大な官僚政治を生み出しているが、それは汚職と浪費をしがちである。世界という舞台の上の唯一の政治的俳優として、それは自分自身の大隊を持たない侏儒であり、その構成員の対立する利害と安保理によって身動きが取れない。安保理においては、拒否権は多数決を無意味にする。数年前に大々的に告知された安保理の構造改革は、これまで、少しも進まなかった。けれども、国連事務総長は、国際的紛争に対する口先の介入が問題になる場合には、道徳的に威張りたがる。その際、口先介入は、このような紛争に対しては無力であるばかりか、それが解決しようとしている問題を作り出すことが稀でない。
 コフィ・アナンの10年間の勤務は、それに対して十分な実例を提供している。2003年10月の議決において、安保理は、イラクにおけるアメリカ主導の連合軍を委託しただけでなく、多国籍国連軍を準備するように他の国々に呼びかけた。だが、加盟国は一つもその呼びかけに応じなかった。同年8月にバグダッドで起きた国連司令部に対するテロ攻撃の後で、国連は、安全上の理由から、その協力者をイラクから脱出させた。治安情勢を改善する責任を国連はアメリカ人とその同盟国に押しつけた。その恐るべき結果に対しては、国連は責任を取ろうとしない。
 「イラク国民にとって、サダムの恐怖政治の下のほうがうまく行っていた」というアナンの主張は、多くのイラク人にはあざけりのように聞こえるに違いない。なぜなら、国連は、アナンがこれほど無害化した政権がこれほど長く存続し得たことに対する同罪を負っているからである。1996年以来、国連は、「食糧のための石油」計画を遂行した。それでもって、サダム・フセインの政権は、代金が人道的目的のために用いられるならという条件で、限られた量の石油を売ることが許された。だが、政権は、それ自身の目的のために何十億ドルも流用した。それは参加した企業に賄賂を使った。このスキャンダラスな経済は、国連によって委任された委員会によって調査された。
 2005年9月に公表された最終報告を提出する際に、委員長は、「食糧のための石油」計画を「悪魔との結託」と呼んだ。だからといって、コフィ・アナンは、辞職する理由も人事的な帰結にたいする理由も見出さなかった。1994年には、ルアンダにおけるツチ族に対する虐殺の10周年記念日に国連は公式に何もしなかった罪を認めた。
 だが、2003年には、スーダンのイスラム政府はアラブ系の民兵と協力して、ダルフール地方で黒人住民を虐殺した。「アフリカ連合」の防衛軍を派遣する以外は、国連はこれまで本質的なことは何もできなかった。
 有効な制裁は、ロシアと中国の拒否権発動によって挫折した。しっかりした国連平和部隊の駐留をスーダン政府に認めさせようというアナンの試みは、何の結果ももたらさなかった。国連は、黙って、その協力者を北ダルフール地方の首都から退去させた。 
 ルアンダにおける大量殺戮は、国連が後悔の涙を流さなければならなかった最初のケースではない。1995年にオランダの平和部隊は、国連の保護地域だったセレブリニカをムラジッチ将軍の率いるセルビア人義勇軍に引き渡した。あのときも「二度とセレブリニカを繰り返すな」と言われた。ダルフールの民族虐殺が完成されるなら、また、「二度とダルフールを繰り返すな」と言われるだろう。
[訳者の感想]この解説を書いたのは、リヒャルト・ヘルツィンガーと言う『ヴェルト』紙の解説委員です。国連に対して非常にシニカルな批判をしているように思われます。結果的にはアメリカの単独行動を容認することになるのではないでしょうか。
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「モガディシオで、戦闘始まる」と題する『アルジャジーラ』局の報道。

2007年01月20日 | 国際政治
「アルジャジーラ」の報道員であるジェームズ・アーメドは、大統領官邸付近で力の衝突が起こったという目撃者の証言を引用した。被害の詳細は、すぐには手に入らない。
政府筋の述べるところに依ると、「8発の迫撃砲弾がヴィラ・ソマリア(大統領官邸)めがけて発射され、五発が命中した。残りの三発は近所の民家に当たった。」
地域の住民によると、「われわれには砲弾の飛ぶ音が聞えた。だが、政府とエチオピア軍は、われわれが見ようと外へ出たとき、われわれを家にはいるよう強制した。」
ソマリア側の報道源によると、アブドラ・ユスフ大統領は、攻撃の時、建物の中にいた。
迫撃砲攻撃の後、機関銃を持った戦士が、官邸のほうへ走っていき、そこで大統領警護隊と20分間撃ち合いをした後、撤退した、とある証人は述べた。
ユスフ大統領は、ソマリアの以前の独裁者であるモハメド・シアド・バレによって使用された宮殿に最近住居を構えた。
ソマリア政府軍とエチオピア軍によってモガディシオから南方に追われた「イスラム法廷連合」の戦士が攻撃の背後にいると考えられる。
元「イスラム法廷連合」の兵士は、「多数のイスラム主義者たちは、再びモガディシオに浸透しつつある」と言った。
彼によると、「ヴィラ・ソマリア」の攻撃は計画されたものである。
電話で連絡の取れたソマリア政府のボディガードによると、迫撃砲は大統領官邸の北、数ブロックのところにある学校から発射された。
ソマリア暫定政府を支援しているエチオピア軍部隊は、しばしば、攻撃の的になっている。エチオピアは、その部隊をできるだけ速やかに撤収したいと考えている。
メレス・ゼナウイ・エチオピア首相は、「間もなくエチオピア軍は、撤収するだろう」と述べた。
エチオピアの首都のアジス・アベバでは、「アフリカ連合」の「平和と安全保障会議」は、ソマリアに6ヶ月間平和維持部隊を派遣することを承認した。
会議は、7,500人以上の平和維持部隊の展開を承認し、850人からなる大隊を9大隊派遣することを合意した。
最初の展開はその3分の1になるだろう。
アフリカ連合の「ソマリア派遣軍」(Amisom)は、「ソマリアにおける人道的作戦を容易にし、ソマリアにおける平和と安定を強化すること」を目的とすると声明では述べられている。
外交官たちは、国際的平和維持軍は、エチオピア軍撤退の後でソマリアを安定させる唯一の道であるだろうと言っている。
[訳者の感想]アメリカはソマリアが再びイスラム過激派の根拠地になることを恐れているようですが、ここは、「アフリカ連合」がどの程度の指導力を発揮するか見てみたいと思います。

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「パレスチナ人の生徒たちは、国連を歓迎する」と題する『アルジャジーラ』局の記事。

2007年01月14日 | 国際政治
ガザから来た生徒たちは、初めて模擬国連総会に参加したが、故郷の痛ましい現実は、国際外交の中で仕事をしようとする野心に影を落としている。
13才から18才までの450人の子供たち、彼らの大部分は中近東の出身だが、彼らは、カタールの首都ドーハで開かれた模擬国連に出席した。
「モデル国連」は、児童に今日に国連が直面している問題や紛争を乗り越えるために国際外交の世界へと導き入れるグローバルな会議である。
三日間の間に取り組まれた争点は、イラク紛争、北朝鮮の核開発、ダルフールの状況などを含んでいた。
カタールにあるジョージタウン大学の海外勤務学校によって組織された会議は、他のモデル国連の会合よりももっと熱心で心を感じさせる議論を引き起こした。
この会議は、紛争に巻き込まれている中東の学校から来た生徒たちを一つにした。
何人かのパレスチナ人の生徒にとっては、この会合はガザを出る最初の機会となり、彼らの目を開かせる経験となった。
 ガザにある「アメリカ国際学校」から来たアラ・ハムダは、「私は人々が違った生活をし、自分たちの時間をエンジョイしているのを見たわ。ガザではいつも鉄砲を撃ったり、死んだりしているのよ。全然違うわ」と言った。
「アメリカ国際学校」の教師であるアリア・オバンは、「子供たちを異なる文化や社会に曝すことが、この生徒たち全部の心を開かせるのです」と言った。
子供たちにとっては、それは高位の外交官の役割を引き受ける唯一の機会だった。
「国連安全保障理事会」の模擬議長となったダナ・アル・カールートは、会議は「未来の指導者であるわれわれが世界を見る窓だった」と言った。
「それはわれわれが他人の立場になり、彼らのように振る舞い、彼らを理解し、彼らを代表することを可能にした。」
 だが、すべての子供たちが明日の外交官になるように元気づけられたわけではない。特にイスラエルに占領されたパレスチナ地域から来た子供たちはそうでなかった。
「アメリカ国際学校」の生徒であるワセーム・ウシェフは、「これは良い経験だった。だけど、僕は技師になりたいのだ」と言った。
 彼の友人のアラは、緊急救助の仕事をしたいと思っている。「私たちは、こんな風なことは沢山見たわ。だから、それは驚きではないの」と言った。
 「アメリカ国際学校」は、去年は基金がなかったために、カイロでの最初のモデル国連会議への旅費を調達できなかった。だが、ガザ地区の財政危機だけが唯一の理由ではなかった。
 彼女が会議にずっと出席できたことに感謝して、アリアは、「国境が開かれたのは運が良かったわ」と言った。
「何時国境が開かれるか分からないの。ラファで国境を越えたとき、私はこれでやっとカタールへ行けることが分かったわ。」
 2005年には、イスラエルの首都テルアビブにある「アメリカ国際学校」が会議のホスト役を務め、ガザの「アメリカ国際学校」が招かれたが、二人以外の生徒は入国を拒否された。
 この入国を許可された生徒の一人は、イスラエル軍に連れられて行き、24時間後に送り返された。
 アリアが言うには、「パレスチナの18才から35才までの若者は、良い教育を受ける希望が余りないわ。なぜって、多くの一は、費用が出せないし、第二に、奨学金が得られても国を出ることができないのです。」
「私はボートやローラー・コースターに乗ったり、博物館に行くとどんな感じがするか、子供たちに説明しなければならないわ。」
「大きくなるにつれて、子供たちは、ティーンエイジを失うわ。教育が足りないからではなくて、危険に曝されすぎるからよ。」
 彼女は、パレスチナの子供たちが100口径の銃と1000口径の弾丸とをどうやって区別するか、どうして頭の上のF16戦闘機が彼らを尻込みさせないか」を述べた。
 「これらの危険に曝されるために、青年から成人への自然な過程が失われるの。」
 模擬議会での生徒たちの希望と抱負は、そこら中の人々の希望と抱負を反映している。バーレインから来たアラブの生徒は、足に合わない靴を履き、イスラエルを代表しなければならなかった。(中略)
 ベテランのジャーナリストであるティム・セバスチアンは、会議で基調報告を行った。彼は「われわれとあそこにある恐ろしい深淵との間を乗り越えられるのは、互いに話し合うわれわれの能力である」と言った。「われわれがこれらのコミュニケーション能力を緊急に改善できなければ、数世代が同じ暴力のサイクルに閉じこめられて死に続けるだろう。」
 ガザから来た生徒にとって不幸なことに、彼らがかれらの学校と家族のところへ帰る前に、彼らはラファーの国境が開くまで一週間カイロで待機しなければならないのだ。
だが、アリアは、生徒に対する会議の積極的な意味を振り返る。
「誰もが、試み、変革し、革命するためにここに来たのです。彼らの何人かに将来本当の国連で会いたいと思うわ。この子供たちが世界を動かすようになれば、世界は多分もっと良くなるわ。」
[訳者の感想]日本人は国連に対する希望をかなり失っているように思いますが、アラブの若者たちは反って国連に大きな希望を賭けていることが良く分かる記事だと思いました。「アメリカ国際学校」をガザやイスラエルのテルアビブにまで作っているところがアメリカという国のすごいところだと感じました。日本人には到底マネができそうにありません。
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「メルケル首相と安部首相は、国連安保理の座席を求めて努力する」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年01月11日 | 国際政治
ベルリン発:ドイツと日本は、西欧の国家との密接なパートナーシップを求める努力において相互に支援することを約束した。「連邦政府と欧州連合との名前において、われわれは日本との戦略的に重要な関係を構築することを欲する」とメルケル連邦首相は、安部晋三日本国首相との共同記者会見で述べた。
この保守派の政治家である安部は、明日、ブリュッセルのNATO評議会で演説する。その際、彼は特に北朝鮮による核の脅威を指摘し、北大西洋条約機構に核兵器不拡散という目標を受け入れる支持を要請する。「北朝鮮の核武装は、あらゆる手段で防がなければならない」と安部首相は、ベルリンで述べた。北朝鮮に対する制裁を求めた国連議決1718号は、厳格に実行されなければならない。メルケルは、北朝鮮の核計画を巡る六ヶ国協議の成功に対するドイツの関心を強調した。
さらに安部は、北朝鮮による13人の日本人の拉致に言及した。ここでも、メルケルは、支持を約束した。さらに安部は、日本が2008年にハノーヴァーで開かれる産業見本市の参加国になることを認めた。「われわれは日本の先端技術がわれわれの国で展示されることを期待している」とメルケルは述べた。二つの工業先進国の間の技術交換はもっと緊密化されるだろう。さらに、両首脳は、中国における知的財産の保護を求める努力においてもより緊密に連携することを希望した。安部とメルケルは、2012年に効力を失う「京都議定書」のための継続的協約を望む点でも一致した。さらに、国連改革に対しても共同して仕事をすることで合意した。「われわれは、21世紀の諸要求に対応できる国連組織を必要としている」と安部は述べた。ドイツと日本の意志によって、今後、両国が得ようとしている安保理常任理事国の席が重要であり、それ以上に、包括的な国連改革が重要である。「新しい国連事務総長バン基文とともに、改革の努力の新しいラウンドが導入された」とメルケルは述べた。
 さらに安部は、イランの核計画に反対する最近の国連議決を歓迎し、メルケルが中国はこの問題で他の国々と同調しているという印象を持っていると述べた時、賛成の意を表した。米国は、中国にイランとの計画中のエネルギー条約を放棄するように迫っているが、
「ドイツにとっては、中国とロシアが、共に仲間に残ることが重要だ」とメルケルは言った。欧州連合が中国に対する武器禁輸を廃棄することに対して警告した。メルケルは、「われわれは武器禁輸をやめる考えはない」と強調した。
[訳者の感想]記事の書き手は、東アジアに詳しいキルスティン・ヴェンク記者ですが、記事そのものは全く素っ気ないものです。
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「ソマリア政府、南部での新たな戦闘を覚悟」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2006年12月30日 | 国際政治
モガディシウ発:「流血の後ではわれわれは和平について語ることはできない」とモハメド・アリ・ゲディ首相は言った。政府軍とエチオピア軍によるモガディシウ奪還の一日後に、彼は再び首都に入った。彼がかってはエレガントだったが、今日では大きく破壊された海岸都市に入ったとき、道ばたの民衆は、首相に対して歓迎の声を挙げた。
首相は、飛行場と港湾に赴いた。国民の支持によって、政府は紛争の勝利者となったと彼は述べた。「私は永久にここにいつまでも留まるだろう。ここが首都だ。」政府は再び仕事を再開することができると彼は言った。
重装備のソマリア兵とエチオピア兵は、空港や港湾などの重要拠点を占拠した。「今日から、ソマリアにとって、新たな生活、新たな安定、新たな未来が始まる」とゲディは支持者に呼びかけた。彼の政府は法と秩序を再建するだろうと。
けれども、喜びは、相半ばしている。町の北部では、数百人のデモがエチオピア軍の車両に石を投げた。エチオピア軍の戦車は、警告の発砲をした。デモ参加者は、彼らの抗議によって、ソマリアに侵入した外国軍に対する怒りを表現したのだ。
彼らが2週間前に地方都市バイドアで暫定政府軍を押し戻し、南部に厳格なイスラム主義的支配を打ち立てた後では、モガディシウからのイスラム主義者の退却は、「アフリカの角」における紛争の再発を表現している。ゲディ首相は、議会は戒厳令を布告するだろうと告知した。そうすると、1991年に権力者モハマド・シアド・バレの転覆以来、機能する中央政府を知らず、混沌と無政府状態に沈んだこの国は、政府の統制下に置かれはずである。
ソマリア南部では、さらなる戦闘が告知された。政府軍の一人の兵士が言うには、15台以上のエチオピア軍の戦車がジリブとブアレに向かって進んでいる。そこからほど遠くないキスマユへ、イスラム主義者たちは退却した。政府筋の言うところでは、土曜日にも戦闘が再発すると予想される。これに対して、エチオピアの国営メディアは、土曜日一日間の休戦を呼びかけた。
モガディシウから追放された「イスラム法廷連合」は、自分たちは、エチオピアに支持された暫定政府に対する戦闘を続行すると宣言した。「われわれはソマリアから出て行かない」と民兵の指揮官であるシャリフ・シェイク・アーメドは、キスマヨで言った。そこでは、アラビアや、南アジアから来た数百人の外国人戦士が見られる。
暴力行為が収まった後で、国連は、困窮している国民に対する援助を週末には再開しようとしている。空からの援助物資の供給が、最近の戦闘で停止された後、今日すでに、救援物資を積んだ飛行機がケニアのナイロビからソマリアへ向かって飛んだ。昨日、ソマリア暫定政府は、飛行の再開に青信号を出した。ニューヨークにある「人道的援助調整のための国連事務所」(OCHA)の報道官は、「ソマリアは、空路は開かれていると断言した」と述べた。国連は、軍事的紛争のみならず、旱魃と洪水で救助を待っている2百万のソマリア人に食糧を供給している。
ドイツは、懸案となっている安保理理事国の枠内で、紛争当事者を対話させるために仲介を申し出た。
[訳者の感想]この紛争、エチオピアの背後に米国と英国がおり、「イスラム法廷連合」の背後にはアラブ・イスラム諸国がいるので、そう簡単に収まるとは思えません。この紛争に外交的に介入する能力は、日本にはあまりないように思います。日本の外務省は何かしているのでしょうか。
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「ソマリアは第二のイラクになるか」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2006年12月29日 | 国際政治
モガディシウからの退却は、無用の流血を避けるための、単に「戦術的な」手だ。「神が望まれるならば、われわれはこれらの勢力を駆逐するだろう」と「イスラム法廷連合」の指導者であるシャリフ・アーメド師は言った。そのための計画はすでに存在する。
ソマリアのイスラム原理主義者の別のスポークスマンは、目前に迫ったゲリラ戦について語った。「アフリカの角」にあるこの国(ソマリアのこと)への武器流入についての国連の11月に公表された報告を信じるなら、それは敗者の空虚な脅しではない。「イスラム法廷連合」の民兵たちは、爆弾の敷設や自殺テロや誘拐を使って、ソマリアを第二のイラクに変えることができると、武器禁輸を監視している国連の報告の中で書かれている。
この国連の報告によると、外国人たちは、過去数ヶ月の間に、イスラム民兵にゲリラの戦闘方法を教え込んだ。暫定政府と軍閥も大量の武器援助を受け取った。それゆえ、どちらの側も、持続する紛争に備えて十分に準備ができている。10以上の政府と武器商人は、対立する双方にたっぷりと武器を与えたと国連の専門家は書いている。その際、名前が挙げられているのは、レバノンから来たシーア派のヒズボラ民兵である。今年夏のイスラエルとの戦争の間、「イスラム法廷連合」は、720名の戦闘員をヒズボラに提供したそうだ。彼らのあるものは、レバノンで引き続き訓練された。そのお返しにヒズボラは、専門家をソマリアに送り、シリアとイランがイスラム主義者に武器を提供するするように配慮した。シリアは、その上、200名のソマリア人戦士を訓練した。この国連報告によると、「イスラム法廷連合」を支援している国の中には、リビヤと並んでアラブ穏健派のエジプトやサウディ・アラビアも入っている。アントノフ型の輸送機や、アラビア風のダウ船も貨物を満載してソマリアの空港や港に到着している。
イランもソマリアのイスラム主義者を助けていると言われている。その際、イラン指導部は、自分の利益も十分考慮して振る舞っている。、「イスラム法廷連合」に対する武器援助と引き替えにウラン鉱の発掘と関係のある件で、二人のイラン人が、ソマリアのドウサ・マリブにやってきた。
「国際原子力機関」の述べるところでは、イスラム主義者の指導者アウェイスの出身地には、ウラン鉱脈がある。テヘランや他の政府は、国連報告を不十分だと退けた。
この夏にやっとモガディシウの権力を手に入れたばかりのイスラム主義者たちがどうして経験を積んだ700人の戦士をレバノンに送ることができたのかという問いを投げかける人もいる。彼らの総数は、2000名そこそこだったのだ。その上、アメリ海軍やドイツ海軍がソマリアの沿岸で武器輸入を監視していたのに、ソマリアがどうして、地対空ミサイルや対戦車砲を集中的に手に入れることができたのか不思議である。国連報告に対する批判は、アメリカについて言及していないという理由でも、声高になっている。モガディシュにおける「イスラム法廷連合」の権力奪取を妨げるために、ワシントンは、数名の軍閥の同盟について模索していたからである。後で「イスラム法廷連合」に負けた軍閥連合は、敵についてやエチオピア経由の武器についても秘密情報を得ていた。夏の敗者のある者は現在、元の領地の支配を取り戻そうとしている。
 この15年以上も続く紛争に介入してきた国はこれだけではない。エチオピアとエリトリアとは、自分たちの内戦をソマリアにまで広げた。特にエリトリアは、エチオピアとの国境紛争での敗北をソマリアで取り返そうとしており、エチオピアを弱体化し、ソマリアに介入することに利害がある。そういうわけで、国連報告では、全部で28回の武器輸送と2006年夏に2000名の兵隊をソマリアに派遣したと言われている。アウェイス師は、先週末エリトリア訪問から帰国したばかりである。
ソマリアのイスラム主義者経由で、「オガデン人民解放戦線」もエリトリアの武器を入手している。このことは、エチオピアでは、特別の猜疑心を引き起こしている。と言うわけは、ソマリア人の20%は、エチオピアのオガデン地区に住んでおり、それを取り戻すことは、「イスラム法廷連合」の公然たる目標である。エチオピアがソマリアの内戦に介入することは、「オガデン人民解放戦線」に対する補給路を断つことを意味している。同じことは「オロモ解放戦線」にも当てはまる。オロモ族は、エチオピアの総人口の40%を占めており、以前から民族自決を要求してきた。報告によると、オロモ族の戦士たちは、エリトリア政府の援助でソマリアの「イスラム法廷連合」のキャンプ地で訓練されたという。
エチオピアにとっては、アラブとイスラム国家のイスラム主義者に対する支持と並んで、ソマリアに積極的に介入する理由がいくつかある。エチオピア政府がクリスマスの週末にソマリアのイスラム主義者に正式に宣戦布告する以前に、エチオピアは、数千人の兵士を送り込み、暫定政府と軍閥とを武器を提供し、兵士の訓練を引き受けていた。イスラム主義者に追われてエチオピアに逃げ込んでいた軍閥は、現在、エチオピア軍及び暫定政府軍と一緒にソマリアに続々帰還している。
 通信員の報告によると、エチオピア軍と暫定政府軍は、「イスラム法廷連合」政府にうんざりし、禁じられていたカットの葉を噛むことができるのを喜んでいるソマリア人によって熱狂的に歓迎されている。だが、間もなくエチオピア政府は、部隊を引き上げようとしている。そうなると、暫定政府と軍閥とは、どうやって平和と安全を確保するかを示さなければならない。彼らは、恩赦によって「イスラム法廷連合」にゲリラ戦争を思いとどまらせようと望んでいる。
[訳者の感想]ソマリア紛争は、政府が一度、統治力を失うと、国の外からいろいろな勢力が張り込んで国内が混乱するという典型的な事例だろうと思います。それにしても、イラクであれほど仲が悪いシーア派とスンニー派が、ソマリアでは、仲が良いというのは良く理解できません。
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「和平への訴えのさなか、エチオピア軍、ソマリアの首都に迫る」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年12月28日 | 国際政治
 彼らのソマリア侵入に対して国際的批判が高まっているのに、エチオピア政府軍は、昨日、イスラム原理主義者の拠点であるモガディシウまで18マイル(28キロ)に迫った。
 夜明けのすぐ後、エチオピア兵とソマリアの暫定政府に忠実な軍隊とは、モガディシウの北、50マイル(80キロ)にあるジョウハルの町を攻略した。首都への道に沿っているバラドを彼らは陥落させた。
 数ヶ月前にイスラム原理主義者によって、ジョウハルから追い出された軍閥のモハメド・デーレは、前進する軍隊の先頭に立っている。これは、エチオピアがこの地域をどのようにコントロールしているかの証拠である。
 航空機と戦車による攻撃に対してあまり抵抗を示さなかった「ソマリア・イスラム法廷会議」(SCIC)の民兵の素早い撤退は、去る6月にモガディシウで権力を握って以来得られた領土が今や失われたことを意味している。エチオピアに派遣されたソマリア暫定政府の外交使節は、政府支持派の戦略は、SCICの基地を攻略することを含んでいると述べた。
 国連は、昨夜、紛争を議論するために会議を開く予定であった。火曜日に、安全保障理事会は、「外国軍」の撤退を要求するという決議に対して合意するのに失敗した。「外国軍」には、エチオピア軍だけでなく、SCICを支援しているエリトリア軍も含まれている。
エチオピア軍による占領の支持を指導しているのは米国である。米国は、イスラム原理主義者たちは、アルカイダと密接な繋がりがあると信じている。英国も、停戦と対話が基本的な要件だといいながら、エチオピア軍の撤退を要求することを拒否した。
「権力の空白の中で外国軍の撤退を単に要求することによっては何も得られない」と安全保障理事会の英国代表であるポール・ジョンソンは言った。火曜日にエチオピア軍の撤退を要求した「アフリカ連合」は、昨日、意見を撤回した。「われわれは遅滞なくエチオピア軍が撤退することを要求する」と「アフリカ連合」議長のアルファ・オマール・コナレは言った。
戦争が続けば難民流入という最悪の事態を招くジブティとケニア両国と同様、「アラブ連盟」も声明を繰り返した。「世界食糧計画」(World Food Programme)のような機関は、既にその活動を抑えている。
数千人の民兵と重要な地域の支持をもっているSCICが、ゲリラ戦を遂行するぞという脅しに従うなら、モガディシウへの攻撃は大きな災害をもたらすだろうとアナリストたちは言っている。
[訳者の感想]エチオピア軍は、東アフリカでは、もっとも進んだ装備を持っているそうですが、SCICがゲリラ戦に訴えれば、そう簡単にソマリア全土を支配することはできないだろうと思われます。特にSCICを支持している隣国のエリトリアも軍隊を送りこむとなると解決は一層困難で、また数十万人の難民が生まれることは目に見えています。
米国や英国が軍事援助をしない限りは、国民総所得が一人頭110ドルぐらいしかない最貧国が戦争にお金が使えるとは思えません。
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「イスラエル軍、死臭を残して撤退」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年11月12日 | 国際政治
 イスラエル軍が今朝、ベイト・ハヌーンの町から撤退した数時間後、タラル・ナスルは、彼の13才の娘の遺体を埋葬するための場所を探して、墓地にいた。
六日間で初めて、町の住民は、家から出ることを許された。それはガザ地区に対する数ヶ月間で最大のイスラエルの軍事作戦が続いた日数である。通りは人で一杯になり、多くの人たちは死者を弔い埋葬するために進んだ。
 ベイト・ハヌーンの墓地は小さくて、混み合っている。ナスルさんが娘のワラーのための場所を見つけるのに三時間かかった。彼女はイスラエルの狙撃兵の弾丸に額を打ち抜かれた。最後に、ナスルさんは、30年前に掘られた墓地のてっぺん近い場所に墓地を見つけた。彼と換えの家族は、新しい穴を掘り、それが日陰になるように六つに折った椰子の葉を立てた。
 ワラーは、先週、軍事的侵入の真ただ中で死んだ。時刻は夕暮れで、ナスルさんは、彼の四人の若い娘と義理の妹と家にいた。ラウドスピーカーを通じて、イスラエル軍は、16才から45才までの男達に尋問に出頭するように呼びかけた。ナスルさんの息子と隣のアパートに住んでいた兄弟とは尋問をうけるために出かけた。
 イスラエル軍部隊が家族の家の前に現れて怒鳴り始めた。「彼らは叫んでいたが私たちには彼らの言っていることが理解できなかった」とナスルさんは言う。「私は義理の妹に窓を少し開けてくれと頼んだのです。電気は来ていなかったので、家族は、ろうそくをともしていた。「妹は窓から兵士に向かって何の用事なの。何か欲しいの」と言いました。突然射撃が始まった。
 義妹は肩を撃たれた。それから弾丸が一発、窓から打ち込まれ、部屋を横切って廊下に立っていたワラーに当たった。彼女が死んだ場所には今もどす黒い血だまりが残っている。
 「私たちは動くことができませんでした。それほどおびえていたのです」とナスルさんは言う。私は「娘が死んだ」と叫びました。彼らはろうそくを取り上げ、階下へと急いでおり、道路へでました」そこには、イスラエル陸軍の一小隊がおり、ナスルさんにその建物には兵隊がいると思っていたと語った。数人の兵士がナスルさんを連れて家を捜索したが何も見つけなかった。救急車はワラーの死体を運んだ。今日、彼らは初めて自宅に帰ってきた。
 「単に攻撃の行為だったのです」とナスルさんは言う。「彼れらは自分たちの作戦はロケットを止めることだったと言いました。だが、以前には平和プロセスの必要性を確信していたとしても、今は私は確信していません。私の娘達も自分たちの姉妹が目の前で殺されたのだから、どうやって、彼女たちに平和のプロセスを確信させることができるでしょうか?」
 後で、ワラーの叔父が墓地で彼女の墓の前に立って言った。「彼らが武装勢力に圧力をかければかけるほど、ますます多くの人々が武装勢力の味方になるのだ。」
 少なくともこの作戦で、50人のパレスチナ人と一人のイスラエル兵が殺された。死者の中には、市民や兵士もいる。激しい戦闘は、町の中心の大きな部分を廃墟と化した。その中には、先週、戦士の一団が掘り出されたアル・ナスル・モスクが含まれている。
 多くの家の前壁は壊されたので、居間や台所がむき出しになっている。通りには栗石が散乱し、下水が溢れ、庭は戦車によってこね回されている。
 イスラエル軍は、「秋空」作戦の目標は、イスラエルにロケットを打ち込む武装勢力を攻撃することだったが、数ダースの武装戦士が殺され、ロケット発射装置や迫撃砲やライフルを含む大量の兵器が発見されたと述べた。九箇所のロケット発射坑が破壊された。「イスラエル国防軍の作戦は、テロ組織とテロリストのインフラだけを目標にしており、市民を傷つけることは極力避けるように努力をしている。国防軍は市民に戦闘地域に近づかないように繰り返し警告している」と述べた。
[訳者の感想]レバノン攻撃が目的を達成できなかったので、イスラエル軍の威信を取り戻すために軍事的にはより弱いガザ地区に侵入したのだと日本の新聞の解説に書かれていました。
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「中国、アフリカで大ばくち」と題する『アルジャジーラ』局の記事。

2006年10月29日 | 国際政治
現在の中ア関係についての新聞論調を読むと、悲観的な論調が多い。近年、世界の貧困大陸での政治的経済的プレゼンスを非難して、中国は大量殺戮の非難を受けているスーダン政府の支持者として、攻撃の的になった。
中国は、また、中国が莫大な量を輸入している石油を含めて、天然資源をため込んでいるとアメリカに批判されている。
加えるに、中国の会社は、アフリカ諸国の政治家やメディアによって安全操業が貧困であるとこと中国人労働者を輸出していると非難されている。特に、アフリカ市場に安い中国製の商品を溢れさせることによって、数十万人の生計を脅かしていると非難されている。
しかし、ある解説者は、これは植民地時代の繰り返しだと示唆するが、他の解説者は少し違った評価をしている。
「中国のアフリカ政策」
国連の「ミレニアム計画」の代表であるジェフリー・サックスは、8月に北京で講演を行い、中国の役割を「非常に積極的で重要である」と賞賛した。
貧困を減らし、基本的教育を改善するというこの計画の目標を推進するために、サックス教授は、中国のアフリカ政策がウイン・ウインの成果を上げていると示唆した。
国連主催の「中国・アフリカ・フォーラム」で講演した際、サックスは、「中国は、非常にプラグマッティックなアプローチをしている。中国は説教は少なく、より多くの援助を与えている。アフリカの指導者の圧倒的な感情は、中国の支持に対する感謝である」と述べた。
彼は、西欧の政府も中国の例をよく見て、学ぶことができると示唆した。
台頭する中国とどのように協調するかについてのグローバルな議論を反映して、中ア関係についての意見の二分は、この大陸で中国がどれほど影響を持ち始めているか、それが既存の利害関係に対してとのように挑戦しているかの尺度である。
冷戦の権力プレーの部分として、1970年代にアフリカへやってくることによって、中国の現在のサファリは、計算された商売人の本能に導かれていた。中国の官僚は、アフリカ大陸に、石油のような豊富な資源と安い中国製商品のための潜在的な消費者とを見ている。
高位の政治家は、訪問外交を繰り返している。温家宝首相は、六月にアフリカ諸国を訪問し、胡錦涛主席は、その2ヶ月前に訪問した。双方の貿易額は、中国商務省によれば、2001年には96億ドルであったが、2010年には千億ドルに達する予定である。
アフリカとの貿易関係におけるあらたなシフトが話題になっている。アフリカ大陸は、もはや、アフリカと発展した西欧諸国との間の伝統的な南北貿易パターンに依存しておらず、その代わりに、極東地域とインドとの関係に依存している。これはいわゆる南南関係である。
「アフリカの輸出」
先月発表された世界銀行の報告によると、グラフが示すところでは、アフリカの輸出の三分の一は、アジア向けである。2000年には、僅か14%にすぎなかった。同時にアジアの対アフリカ輸出は、一年に18%づつ増加している。世銀の報告書では、「新たなシルク・ロード」だと言われている。
「この新たなシルク・ロードは、世界中で最も貧困な3億人の人口を抱えたサハラ以南のアフリカに国際的統合と成長を急ぐ機会を与えた」と報告書は述べている。
「グローバルになれ」と北京政府に励まされて、中国の会社は、アフリカに広範に投資をしている。
しかし、ある西欧の政府とNGO及びアフリカのジャーナリスト達は、中国に貿易を超えて、広い社会的政治的争点、例えば良き統治や腐敗や人権などの争点を呼びかけるように頼んでいる。中国のアフリカ政策に対する批判は、このような政策が明らかに不在であることを理由にしている。
元国務次官補であるロバート・ゼリックの言葉を借りると、希望は責任ある関係者となりつつある中国に懸けられている。アフリカだけでなくイランや北朝鮮への行動に当てはまる言葉を使うと、中国が西欧の介入主義者モデルを受け入れことである。中国の外交を導こうとする試みにおいて、ブレア・英国首相は、彼のアフリカ委員会に中国代表を招待した。
北京のスーダンとの結びつきは、問題の一つである。この国の最大の外国投資家である中国は、スーダンの砂の中から、必要な石油の5%を得ており、ダルフール紛争に対して制裁を課そうとする国連の動議に拒否権を発動するぞと脅した。
中国には取引する際の透明性が欠けていることに対する憂慮も述べられている。『ニュー・ステーツマン』紙とのインタービューで、シェラ・レオネの「ナショナル・アカウンタビリティ・グループ」のザイナブ・バングラは、中国人は反汚職の仕事をむしばんでいると述べた。
「われわれは、汚職に反対する条約に15年間取り組んできた。中国がやってきて、彼らはそのどれにも署名をしなかった。アフリカ諸国の政府は、中国をG8に代わる国だと見るだろうと心配している。なぜなら、中国については、彼らは「良い統治」のことを心配する必要がないからだ。」
汚職監視グループの10月の報告によると、中国とインドとロシアは、海外で賄賂を送る傾向をもった最悪の共犯者にランクづけられた。(以下省略)
[訳者の感想]中国のアフリカ政策のどこに問題があるか鋭く指摘している記事だと思いました。
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「メルケル首相、温家宝首相に人権を重視せよと警告」という『フランクフルター・アルゲマイネ』紙記事

2006年09月15日 | 国際政治
温家宝中国首相は、イランに対する可能な制裁に対する中国の控えめの態度を強調した。
けれども、温家宝はイラク政府に建設的な措置を要求し、原爆製造の能力を得ようとするイランの努力に賛成しなかった。
温家宝はベルリンでメルケル首相と会談した後、イランに対する安全保障理事会の拒否権国とドイツのやり方の共通点を強調した。彼は、中国の態度と独逸連邦共和国の態度の間には一致があると述べた。温は、「われわれはイランが核兵器を開発すること、あるいは中東の安定が妨げられるのを見たくはない」と述べた。
彼は「制裁は、必ずしもイランを核論議において協力的な態度へと動かすという目標に導くとは限らない」と述べた。
メルケルと温は、西欧が中国にスーダン政府に対する介入を期待しているスーダンのダルフール地方の状況について議論した。スーダン政府は、危機的地域への国連平和部隊の派遣を受け入れることを拒んでいる。温中国首相は、中国がダルフールへ部隊を派遣するという安全保障委員会の決定を支持していると述べた。ただ、彼は、スーダン政府がこの派遣を受け入れるように動かされることを望んでいる。中国は関係組織と接触を持っている。
温は、五月のメルケルの中国訪問に応えた。連邦首相は、人権問題と法治国家対話の現状に言及した。会談後、彼女は、人権は不変であり、どこででも守られなければならないということをはっきりさせたと述べた。二年後の北京オリンピックに鑑みて、報道の自由が最重要な点であると指摘した。
中国首相は、朝、世界経済会議に参加したハンブルクから、インターシティに乗ってベルリンに着いた。メルケル首相との会談後両首脳のいる前で、いくつかの協定に署名がされた。特に青少年の交流のための取り決めが署名された。それは400名のドイツの若者の招待を規定するはずである。更に、両者は、中国の知的財産保護局とドイツの特許商標局との間の知的財産権保護のための協定に署名した。
[訳者の感想]中国はヨーロッパ諸国を相手の外交戦略をちくちゃくと推し進めているように見えます。
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「テロについてのブッシュ・ドクトリンは、公衆を納得させない」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年09月07日 | 国際政治
 アメリカが現在テロリズムからより安全になっているというブッシュ政府の主張は、昨日公表された与論調査によって、間接的に傷つけられている。それはイスラム過激主義や他のグローバルな脅威について憂慮しているアメリカ人やヨーロッパ人の数が激増していることを示している。
 9.11の五周年の直前に公表された調査は、「アメリカは以前よりは比較的安全だが、われわれはまだ安全ではない」と主張するテロリズムに関するブッシュ政府の文書と対立している。
 米国とヨーロッパ諸国で実施されている毎年のトランスアトランティックなトレンド調査は、アメリカ人の憂慮が昨年の72%から今年の79%に増え、ヨーロッパ人の間の憂慮が、58%から66%に増大したことを記録している。イスラム原理主義についての関心の最大の増大は、英国で、22ポイント増えた。
 グローバルなテロリズムだけでなくイスラム原理主義、移民、地球温暖化、イラク紛争、イランとの対立についての憂慮は、大西洋の両側で行われた世論調査に現れている。世論調査が示しているのは、万一外交が失敗した場合、イランが核兵器能力を手に入れるのを止めるために、軍事的介入をすることに対して米国とヨーロッパで支持が高いということである。
 米国のマーシャル将軍基金を含むいくつかの団体による基金で創設された「トランスアトランティックなトレンド」は、6月に、米国・英国・ドイツ・フランス・イタリア・オランダ・ポーランド・ポルトガル・スロヴァキア・スペイン・トルコ・ルーマニア・ブルガリアの13ヶ国で1,000人を対象に電話インタービューを行った。
 調査は、過去5年間にアメリカの指導力に対するヨーロッパの支持が劇的に低下したことを示している。昨年コンドリーザ・ライス国務長官によって取られたヨーロッパに対するより包含的なアプローチは、この低下をひっくり返すことはできなかった。
2002年には、ヨーロッパ人の64%は、世界情勢に対するアメリカの指導力に対して肯定的に支持していたが、これは今回37%に低下した。ヨーロッパの3ヶ国だけで、なお多数が米国を支持している。それはオランダとルーマニアと英国である。英国では、米国の政策に対して肯定する者が48%、否定的な者が45%でほぼ半々である。
 ヨーロッパは、米国とブッシュ大統領とを区別してしている。外国情勢についてのブッシュの指導力について質問されると、肯定的な回答をした者が2002年には38%いたが、今年は、18%に下がった。
 2002年以来初めて、より多くのアメリカ人が国際情勢についてのブッシュの扱いを否認した。否認した者は、58%、肯定した者は、40%に達した。
 最も深刻な脅威を与える国は、イラクからイランに替わった。米国が安全保障理事会に制裁決議を求めるに応じて、次の二週間に激しさを増すだろうイランとの対立について、圧倒的多数のアメリカ人とヨーロッパ人は、イランが核兵器能力を手に入れるのを防ぐために、外交的活動の継続を支持している。アメリカ人の15%とヨーロッパ人の5%が、軍事行動を最善の選択と見なしている。
 だが、完全な外交的破綻の前に軍事行動を支持する人が増えている。そのような場合には、アメリカ人の53%とヨーロッパ人の46%が軍事行動を支持している。軍事行動の支持は、フランスでは54%で、英国の46%よりも高い。
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「ヒズボラの勝利は、中東を変えた」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年08月31日 | 国際政治
 レバノンの34日間続いた戦闘の煙が晴れるにつれて、倒壊したマンションや新しい墓にかかった費用を計算するのは間違いかもしれない。内閣から報道機関を経て苦々しい思いを抱いた予備役兵士にいたるまで、イスラエル全体が今議論している敗北によって一切が完全に変わった。世界中でイスラエルが勝ったと称している唯一の人物はジョージ・ブッシュである。そしてわれわれは「使命が完了した」という言葉の彼の定義をわれわれは知っている。(ブッシュ大統領が、イラク戦争の初期に早々と「使命が完了した」と空母上で宣言したが、それから3年経ってもイラク戦争は終わっていないことを指している。)
 今週、ヒズボラの指導者であるナスララー師が二人のイスラエル兵の拉致に対するイスラエルエの反応を過小評価したことに対して遺憾の意を表したという報道は誤解させるものだ。実際は、イスラエルがさもなければ、後で好きなときに侵入するだろうと確信していたので、抵抗運動が準備されたときに攻撃がはじまったことをナスララーは、神に感謝したのだ。
 もし、イラクの抵抗のもつれがブッシュの戦争がシリアに広がることを止めたとすると、ヒズボラの勝利は確かにイランへの攻撃について世界を考えさせた。だが、イスラエルとアラブ諸国の40年に及ぶ原型に起こった主要なずれは、隣人に対する恒常的なイスラエルの軍事的優越についての信念の破壊である。そして物柔らかなシモン・ペレス国防相からベンヤミン・ネタニヤフの馬鹿騒ぎを経てエフド・オルメルト首相の躓いた首相府まで、イスラエルの指導層に引き起こした傲慢の破壊である。
 無敵の神話は、二度と起こらない雑音である。先週、私はベイルートの下町ダヒアの瓦礫を通って、その中心が地震でやられたかのように見えるビント・ジュベイルのようなレバノン南部の町を見て回った。禁じられた兵器のくずが合法的な時限爆弾と同様に転がっていた。それは、国連やアムネスティ・インターナショナルによって戦争犯罪の証拠で
あると主張された。これは、イスラエルが国際世論において受けた打撃とともに、軍事的屈辱とともに蒙った副次的損害である。
 イスラエルは、ビント・ジュベイルを占領したと何度も宣言したが、実際にはイスラエルは、この町を維持したことはなかった。民家や学校や病院や道路や橋や国連監視所や発電所や潜在的にすべての給油所に何十トンもの爆弾を降らせたにもかかわらず、イスラエルは、ヒズボラ戦士が地上に出てきた場合に、彼らによって、激しい打撃を蒙った。もっとも、その間イスラエルは、世界に対して、自分たちはレバノン南部の住民を親切に招いて車に乗せ、少しの間、家を離れるに任せたと語ったのだが。
 皮肉なことに、ある人々は、最近の戦争の背後にある1世紀近い紛争の包括的な解決の可能性を垣間見させることが可能な窓を開いたと思っている。以前の状態が一掃されたからには、われわれはイスラエルにかっての南アのデ・クラーク大統領のような瞬間が生じるのを見るかもしれない。
 人種差別をしていた南アの白人種族の指導者(デ・クラーク元大統領はを指す)は、アパルトヘイトに批判的な反対勢力が無敵の少数派の地位を圧倒しそうになるまで待った。そして後では問題の解決がより好ましくなくなるという前提で権力の委譲を行ったのだ。イスラエルの軌道は、このような瞬間へと突き進んでいる。(以下省略)
[訳者の感想]筆者のジョージ・ギャロウエイは、[RESPECT,the Unity of Coalition]という社会主義と環境主義を党是とする政党の国会議員です。この政党は、イラク戦争に反対でした。
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