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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ドイツの将軍たちは、政府のアフガン政策に腹を立てている」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2008年02月05日 | アフガン問題
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ハンブルク発:連邦軍の将校たちは、政府の政策と対立している。戦闘が激化しているアフガン南部に連邦軍兵士を派遣してほしいというNATOの要請を極力拒否しようとしている。だが、連邦軍内部では、同盟国の意図に対して理解を示している。
連邦軍が政府や議会内での論争に不満であるということは、軍の監察官であるハンス・オットー・ブッデ中将が、最近、専門誌『防衛技術』と交わした対話でも明らかだ。その中で、この将軍は、「軍事力の投入に対する社会的議論」を要求した。そういうやり方でしか、「なぜ、いつ、どこで、どういう目的、あるいは利害のために、ドイツは兵隊を派遣するのかがはっきりするかもしれない」と彼は述べた。
将官たちは、はっきりと対話の必要性を見ている。軍の自己理解と政治のなかのそれについての考え方とが分裂している。
将軍たちの多くは、意見を述べないでいるが、彼らの元同僚であるある、退役将校は、連邦軍の価値と役割についての不満を述べた。
彼らは、ドイツ人は危険なアフガン南部にも戦闘部隊を派遣するべきだというアメリカのロバート・ゲイツ国防長官の激しい書簡に対して理解を示している。それは、NATOの事務総長であるヤープ・デ・ホープ=シェッファーが出した要求でもあった。そして、カナダ政府は、他の加盟国が戦闘体制を強化しないなら、派遣軍を撤退させるぞと脅した。
フランツ・ヨーゼフ・ユング・国防相は、ゲイツの書簡に対して直ちに、断固たる「ノー」の回答をし、連邦軍の派遣を拡大することを拒否した。「われわれは、引き続き、北部のわれわれの重点地域にとどまらねばならないと私は考える」と彼は述べた。
 この政治的な「ノー」は、軍指導層では、非常に批判的に受け取られた。「ドイツの態度で、北大西洋条約機構は傷つく」とヘルムート・ヴイルマンは、『シュピーゲル』誌の記者に語った。彼は、連邦軍がバルカン半島に最初に派遣された1996年から、2001年まで、ドイツ軍の総司令官であった。(以下省略)
[訳者の感想]国防相が軍指導層の意見を聞かないで、派遣をしないと決定できるのは、やはり、文官優位の原則が守られているからでしょうか?
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「ユング国防相、NATOの要求を拒否」と題する『ヴェルト』紙のインタビュー

2008年02月03日 | アフガン問題
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来週、NATOの国防相会議は、リトアニアのヴィルナで、誰がアフガン北部に緊急展開可能な軍隊を派遣するか決定する。確実なのは、ノルウエー軍とドイツ軍が交替するということである。激戦が行われている南部に現在よりも多数のドイツ軍を派遣せよとの要求が結末に至るかどうかは、疑わしい。
ヴェルト紙:大臣、アメリカの国防長官ゲイツは、激しい仕方でドイツ人はアフガン南部にももっと強力に参加してほしいという希望を述べました。私たちは、北大西洋条約機構の内部の大きな危機に向かっているのでしょうか?
ユング:そんなことはありません。私は既に何回もNATO加盟国の国防相会議を体験しました。2006年11月にラトビアのリガで開かれた会議にも出ました。リガ以前にもわれわれは非常に似た議論をしました。現在、われわれは、またサミットを前にしています。つまり、今年4月には、ルーマニアのブカレストでNATOのサミットが開かれます。私の確信に拠れば、われわれは来週、ヴィルナでアフガンにおける国際的協調行動についての対話で、民間および軍事面でのわれわれの戦略的な参加を明確にするつもりです。この路線を私は、アフガン問題において、2007年10月にノルウエーのノルドウエイクで開かれた国防相会議でも強力に全面に押し出しました。
ヴェルト紙:アメリカ人たちが「アフガン南部のドイツ兵」をヴィルナでの国防相会議のテーマにしたら、どうなりますか?
ユング:万一、ヴィルナでそういうことになれば、私はこれまですでに言ったことを言うまでです。私たちは、北部の地域的管理に対して責任を持っているのだと。そこには4,200名の兵士が駐屯しているが、そのうちの3,200名はドイツ兵です。南部には、2万人の兵士がいます。ドイツの半分の面積をもつ、北部の防衛を怠ることは大きな誤りです。
責任を明確にしたのは正しかったと思います。ドイツが北部を担当し、イタリアはアフガン西部を、英国とオランダと韓国が南部を、アメリカは東部を担当しています。もっとも、もし、友人たちが困った状態に陥れば、われわれは彼らを援助するだろうと私はいつも言っています。だから、われわれは、われわれのトルナード偵察機でアフガン全土を偵察しているのです。われわれは同盟軍のための空輸も行っています。
ヴェルト紙:彼らの期待はどれほどですか?これまで、特に、安定化のために努力してきた国防軍が、緊急反撃軍を派遣した場合、われわれは新しい性質の派遣をすることになるのでしょうか?
ユング:そんなことはありません。国防軍の派遣は、四つの目的をもっています。援助、仲介、援護、そして戦闘です。戦闘は、最初の三つの目的を達成するのに必要です。これはいまままでもそうでした。われわれはアフガニスタンで26人の兵士を失いました。これは、派遣そのものが危険だということを示しています。緊急反撃軍(QRF)を準備することになっても、4つの要素の競合に何も変化はないでしょう。
ヴェルト紙:ベルンハルト・ゲルツは、国防軍の増強を批判しています。国防軍は、新しい緊急反撃軍(QRF)を作る状態にはないというのがその理由です。
ユング:そのような発言は、二重に腹立たしいですね。第一に、ドイツがQRFを編成するということは、まだ、決定されていません。第二に、われわれは訓練の良くでき、装備の良い国防軍を持っています。2006年の中頃に、私は、われわれの兵士がアフガンの兵営の外では、装甲車を使用することを決定しました。その間に、われわれは500台の装甲車を持っています。それ以外に、あらゆる車両を遠隔操作の爆弾に対して守ることができます。われわれはアフガンのように危険な場所に、訓練が十分でなく、装備もできていない兵士を派遣することはありません。アフガンでは、開発なき、治安はないと確信しています。しかし、治安を作り出すには、開発を推し進めなければなりません。(以下略)
[訳者の感想]ドイツに対して緊急展開用の部隊を派遣しろという米国の要求にどこまで対応するのか、あるいは、しないのか興味があります。自衛隊がアフガンに派遣された場合、一体、ドイツ軍程度に戦えるのでしょうか?


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「カナダ、アフガニスタンから撤兵するぞと脅す」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2008年01月30日 | アフガン問題
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オタワ発:援助がなければ、軍隊の派遣はない。ハーパー・カナダ首相は、NATO同盟国が強化のために兵隊を送らない場合には、アフガンニスタンから撤兵するぞと脅した。保守党所属の首相は、昨日、オタワで、これによって、先週公表された、いわゆる「マンリー視察団」の報告を支持した。ジョン・マンリー・元外相に率いられた視察団は、アフガニスタンにおける軍事力の拡大を推薦したが、カナダの参加はNATO同盟国のよりよい支持次第だと述べた。
「視察団の推薦は、実行されなければならない。さもないと、カナダはそのアフガニスタンにおける使命を続行しないだろう」とハーパー首相は述べた。「マンリー視察団」は、他のNATO諸国が1,000人増員し、戦闘用ヘリを装備をすることによって、目下、カンダハル州に2,500人駐留しているカナダ兵を強化することを要求した。
「カナダは、約束した以上のことを実行した。今度はわれわれが援助を必要としている。NATOが援助しないなら、NATOの評判と将来が懸かっていると言わなければならない」とハーパー首相は述べた。
彼の政府は、アフガン派兵の延長を支持することを求めている。カナダ部隊のアフガン駐留は、来年2月で期限切れとなる。
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「タリバン軍の最高司令官が戦死した。」という『ガーディアン』紙の記事。

2007年05月14日 | アフガン問題
タリバン反政府軍は、彼らのトップの司令官であるムラー・ダドウラーがアフガン南部のヘルマンド州で戦闘中に死んだことによって、重大な損失を蒙った。彼は虐殺と斬首と自殺爆弾を指揮したことで悪名が高かった。
 アフガン内務省は、土曜日にギリシャク地区でアフガンとNATOの連合軍と闘っている最中に死んだと発表した。NATO軍も彼の死を確認した。そして、それは反乱軍にとって重大な打撃であると述べた。
 ロイター通信や他の通信社は、カンダハルにある州知事公邸内に置かれた彼の遺骸の写真を公表した。彼は頭部に傷を受けたように見える。左足はない。
 「アフガンのザルカウイ」と異名をとったダドウラーは、タリバンの十人指導委員会のメンバーで、片目のモハマド・オマール師に近かった。
 彼はまたタリバンの指導的人物で、パキスタン、アフガン、アラブの新聞とのインタビューで、自殺爆弾の志願者を訓練していること、政府協力者を処刑していること、人質の首を刎ねていることを自慢していた。
 「これは、タリバンが2001年に抵抗運動を始めてから最大のつまづきだ」とペシャワール在住のジャーナリスト・ラヒムラ・ユスフザイは述べた。
 「彼らはこの殺人に対して復讐をすることが可能だ。もっと多くの報復攻撃があるかもしれない。しかし、目下、彼に代わる人物はいない。彼はインスピレーションを持った勇敢な司令官だった。」
 だが、ドバイにある「湾岸研究センター」のムスタファ・アラニは、彼の死の衝撃は小さい」と述べた。「この種の組織では、人々は置き換え可能である。常に第二、第三の層がいる。
 ダドウラーは、1980年代にソビエト軍との戦闘で左足を失った。1990年代にはタリバン政府が権力を握ると、民族殺人を指揮した。近年は、彼は、南部でヨーロッパ軍とアフガン軍と闘う戦場の司令官として頭角を現した。
 彼は過去6ヶ月間に捉えられるか殺されるかした三番目の司令官である。アクタール・オスマニは、12月に米軍の空襲で死んだし、オバイドラ・アクンドは、3月にパキスタン治安軍に捕らえられた。
 オマール師だけが捕まっていない。アフガンの役人は、彼がパキスタンのクエッタに隠れていると主張しているが、パキスタンのムシャラフ大統領は、オマールは、カンダハルにいると言っている。
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「タリバン、自爆テロで脅す」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2007年04月03日 | アフガン問題
タリバンは、アフガニスタンを「アメリカ兵の墓場に変えるだろう。イスラム・ゲリラは、敵の部隊を長い期間戦闘するのに十分な武器を持っているとダドラーは断言した。タリバンは、最近、大がかりな軍事行動で、大きな損害を蒙って、ゲリラ戦法に後戻りした。2006年以来、イラクを手本にした自殺テロは、劇的に増加した。その際、昨年中に、4千人が死んだが、そのうち、170名は西欧軍兵士である。日曜日にも、アフガニスタン政府軍の輸送部隊がラグマン州を通行中攻撃され、9人の人間が殺されたが、その中には子供もいた。
タリバンとその同盟軍は、特に南部と東部のパキスタン国境で活動している。アフガニスタン政府の言明では、タリバンの指導者モハマド・オマール師は、パキスタンに滞在している。ダドラーはこれを否定して、オマール師とタリバンは、アフガニスタンにいると述べた。
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「タリバン、決戦を求める」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月09日 | アフガン問題
シンガポール発:北大西洋条約機構とタリバンとは、アフガニスタンで決戦のために武装を強化している。来週中に春がヒンズークッシュ山脈にやってくると、この国がどの方向に向かって展開するかが、明らかになるはずである。解放後4年経って、すべての進歩を窒息させる石器時代のイスラムでもって人間を軽蔑する原理主義者達の手中にもどるのか、それとも困難な道を通って、近代的な国家として引き続き希望に満ちているが同時に不確かな未来へと進むのかという二者選択である。
カブールでは、気温は既にマイナス13度から1度へと上昇した。NATOもタリバンも、攻撃ラッパを吹いている。武器庫は一杯になり、部隊は集められた。アフガン支配を巡る最後の戦争の開始は目前に迫っている。
 数ヶ月前から、カブールの政府は絶望的に正常化の見かけを得ようと努力しているけれども、アフガニスタンでは、再建も民主化も問題ではない。すべては、軍事的安定に懸かっている。それゆえ、すでに多すぎる人間を彼らのコントロール下に置いたタリバンの前進を食い止めることが問題である。彼らの保証つきの戦術で、彼らはイスラム的プロパガンダで新たな支持者をリクルートし、彼らの支配のビジョンを教え込む場所を確保している。
 中央アジアにイスラム国家を樹立するという彼らの計画は、再びつかめるほど近づいた。1994年にパシュトウーン人のコーラン学校によって設立されたタリバン運動は、その成立以来、スンニー派のワハーブ主義を追求した。その本来の目標は、常に非常に政治的であった。17世紀以来ヒンズークシュ山脈を支配してきたドラーニ族のエリートが権力を握るべきだということである。
 昨年、タリバンは、アフガニスタンの多くの地域でこの目標に驚くほど近づいた。アフガン南部と東部では連日ゲリラ攻撃が行われた。道ばた爆弾や自殺爆弾テロは、この国の広範な地域で、再建を停止させ、外国の援助団体を追い出し、必要な開発の仕事にブレーキをかけた。この戦術は、多くの場所で、政府に対する信頼を失わせ、カブール政府は、治安と安定性を作り出すこともできず、まして、進歩を推し進めることもできなかった。
相変わらず志を同じくする者達が「神の戦士」を自分の周りに集めている。軍閥と民兵指導者達は、タリバンと同様、過激であるが、彼らは皆彼らを危険な戦線に寄せ集めている同じ大きな目標が彼らを結びつけている。彼らは憎むべき外国兵を国から追放し、カルザイ大統領を中心とする米国の言いなりになっている傀儡政権を追い出したい。政府は、オリーブの枝を振っている。アフガンの下院である「オルシ・ジルガ」は、25年間の内戦に巻き込まれたすべてのアフガン人にアムネスティーを保証している。これには、悪名高いタリバンの指導者のオマール師も元首相のグルブラディン・ヘクマチアルも含まれる。これは、敵が最後のラッパをふいているのに、彼らを束ねようとする絶望的な試みだ。
 昨年、タリバンとその同盟者は、推定4万人の歩兵を握っていた。彼らの2006年の目標は、カンダハルをコントロールし、彼らの部隊を戦略的に配置することだった。新たな戦士の大部分は、パキスタンから国境を越えてヘルマンド州へ来た。クナール州やヌリスタンを通ってカブールへと進軍するために、さらに数千人が準備ができていた。
一週間前、数百人がヘルマンド州のムサ・カラの町を占領した。タリバンの白い旗は、政府の建物の上に翻っている。先週末、NATO軍は、再占領は、時間の問題であると述べたが、アフガン駐留軍の側からは、急いではいないと発表された。
昨年夏中、英国軍がムサ・カラをコントロールしていた。10月に、英国軍は、族長と平和協定を結び、その中で、英国軍の撤退とタリバン不在地帯とを結びつけた。批判者は、それが致命的な降伏文書だった言うのももっともだ。なぜなら、ムサ・カラの族長は、タリバンのシンパであることが明らかになった。目撃者の証言に依れば、英国軍の撤退と同時に町はタリバン兵で一杯になった。彼らは公然と金を集め、民間人の中に浸透した。
(以下省略)
[訳者の感想]アフガンでも北大西洋軍は、タリバンを撃滅するどころではないようです。
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「タリバンの軍事部門の指揮官が殺された」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2006年12月24日 | アフガン問題
アメリカ軍に指揮された多国籍軍は、アフガニスタン南部で、アルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンが信頼している人物を殺害した。アクタル・モハメド・オスマニ師は、タリバンの最高指導者の一人であり、イスラム過激派の反政府軍の軍事指導者であった、と土曜日にカブールで多国籍軍司令部は伝えた。
彼は火曜日にパキスタン国境に近いヘルマンド州で車に乗っているところを空からの攻撃で殺された。身元が分からない二名の反乱軍兵士も殺された。
オスマニは、タリバンと同様、カブール政権と外国軍部隊に対して戦っている、元アフガニスタン首相グルブラディン・ヘクマチアルの密接な同盟者であった。多国籍軍は、さらに、オスマニは、民間人やアフガニスタン軍に対するタリバンとアルカイダのテロ攻撃で、中心的な役割を演じた。彼は数多くの仕掛け爆弾や自爆テロや誘拐に対して責任がある。
多国籍軍の報道官トーマス・コリンズは、「彼の死は、過激派とテロリスト・ネットワークに対する戦闘における大きな成功である」と述べた。タリバンの報道官は、オスマニの死についての多国籍軍の発表を退けた。彼は、殺された反乱軍兵士は、階級の低い司令官と三人の兵士だったと述べた。
多国籍軍は、信頼できる秘密情報によってオスマニを発見することができたと述べた。CNNテレビに対して、コリンズは、オスマニは2002年に一度捕まえられたが、秘密情報が不足していたために釈放され、パキスタンに逃亡したと述べた。
2001年9月11日のテロの計画者であるオサマ・ビン・ラディンは、五年前から地下に潜っており、パキスタンとアフガニスタンとの国境地帯に潜伏していると推測されている。
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「タリバンは、ドイツ兵の神経をすり減らしている。」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年07月11日 | アフガン問題
ベルリン・カブール発:ドイツ連邦軍への攻撃は途切れない。日曜日夕方、散発の対戦車ロケットが首都カブールにある「キャンプ・ウエアハウス」めがけて発射された。ドイツ側に損害はなかった、とベルリンの国防省の報道官は断言した。
二発の弾は、コンテナーに命中し、三発目は兵営の外にある給油所に命中した。それ以外に、兵営の監視塔が銃によって撃たれた。射撃に対してドイツ側は応戦した。犯人達は逃亡することができた。
連邦軍は、目下、「キャンプ・ウエアハウス」をフランス軍に譲って、活動を北部に移そうとしている。新しい司令部は、マザリシャリフにある。それ以外に、連邦軍の基地は、北部のクンヅスとファイサバードにある。カブールには、限られた数の兵しかいない。
同様に攻撃を受けたマザリ・シャリフの兵士達の間では、「手中に陥る」という危機感があると言われている。攻撃だけが心配の種ではなく、町から20キロ離れた空港に隣り合っている兵営の状態も不満が広まっている。クーラー付きの住居コンテナーは、完成しているが、衛生設備は、まだできていない。兵士達は、夜、応急トイレで用をたさなければならない。高い塀があるが、蛇や、病気を伝染する砂ハエの危険が存在する。病状は、ペストに似ている。アフガニスタン駐留のオランダ軍では、症例は120人に達している。連邦軍の場合には、集中的な防御処置によって数は少ない。2月には、19人がこの病気に罹った。マザリ・シャリフを訪問した国防軍顧問ラインホールト・ロッベに対しても兵営に越すのが早すぎたという苦情が述べられた。
増大する危険に関しては、兵士の間の気分も批判的であると言う。パトロール中には、非上に危険なので、攻撃に対していつでも反撃できる態勢を維持しなければならない。兵士は、任務の遂行のためにのにみ兵営を離れることが許されている。したがって、アフガンでの勤務は、バルカン半島の勤務とは比べられない。バルカン半島では危険は減少しているが、アフガニスタンでは危険は増大している。
フランツ・ヨーゼフ・ユング国防相の指図にもかかわらず、護衛された車両だけが、利用可能である。不安は広がっている。(以下省略)
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「タリバン、反西欧感情を煽る」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年06月17日 | アフガン問題
カンダハル発:カンダハル病院で半分目が見えない75歳のムハマッド・グルは、彼の兄弟であるシャリフのために寝ずの番をしていた。シャリフは、プラスティック製のマットレスの上で苦しそうな息をし、助けを求めてうめいていた。
彼らが乗ったバスは、町はずれの店の前を通りかかったとき、爆発した。グルが爆風を免れたのは、彼が水を取りに行っていたからである。よろけながら戻ってみると、シャリフは、胸に熱した金属の破片を受けて、血の海に横たわっていた。
「こんなことをした奴らは、金が欲しいし、権力が欲しいんだ」とグルは言う。彼の声は怒りとフラストレーションでうわずる。「そして奴らは外国人が出て行くことをのぞんでいるんだ。」
木曜日に、カンダハルの基地にアフガン人労働者を運ぶミニバスを破壊したタリバンの爆弾は、8人を殺し、24人を負傷させたが、これはイラクでの反政府勢力のやり方をまねる戦術転換の合図だと思われる。
以前、原理主義者達の精神的故郷であったカンダハルでの攻撃は12ヶ月、あるいは18ヶ月前のバグダッドの路上での暴力の反映しているように見える。一年前、自殺爆弾の第一波がアフガニスタン南部の都市を襲った。それから、タリバンは、警察、兵士、政府側の聖職者を目標にした。時には首をはねることで。
今週の流血は、地方の労働者に対する最初の主な攻撃を印しづける。彼らは英国、カナダ、米国の兵士が駐留する基地の清掃人、運転手、通訳である。
「これは、ここで働いているアフガン人がタリバンに狙われた最初の事件だ」と連合軍の報道官クエンティン・イニス少佐は言う。「彼らは明らかに非軍事的目標を狙っており、これは戦術転換だ。」
タリバンの目標が反西欧的感情を煽ることであったとすると、一連の負傷者は、それが機能していることを示唆している。腹部に弾の破片が入っている負傷者の一人であるハミドラは、彼の病院のベッドで外国人部隊を呪った。
「こんなことが起こるのは、奴ら不信心者がいるせいだ」と血のにじんだ包帯を頭に巻いた状態で彼は言う。「この攻撃の目標は外国人を退去させるためだ。」
他のカンダハル市民は、タリバンを批判することも2千2百人のカナダ兵を批判することも気乗りがしないが、彼らは今年五月半ば以来、500件に達する暴力の螺旋に捕まったと感じ杖いる。
「われわれは誰も非難したくはない」と血を浴びた顔をした二人の10代の甥を病室に連れて行きながら、アリ・ムハマッド(55)は言った。「あなたが食べ物と着るものを買う金がある場合にのみ、あなたは警察に話す余裕があるのだ。」
昨日、連合軍は、「山岳攻撃作戦」の一部として、パクティカ州で空と地上からの攻撃で、40人の反政府軍兵士を殺した。
カンダハルでは、重装備のカナダ軍の兵員輸送車の列が半ば人気のない街路を高速で走っている。彼らが通り過ぎるのを見ながら、ムハマッド・カーンは言う。「彼らはなぜ基地に留まって、町を民間人に任せられないのか。自殺爆弾は奴らのせいだ。この不信仰者達は、われわれの国から出て行くべきだ。」
[訳者の感想]アフガニスタンでも反政府勢力は、自爆攻撃で民間人を殺傷しているようです。「外国軍を助ける者は殺す」というタリバンのメッセージだと思われます。
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「タリバン、領土の獲得を主張」と題する『アルジャジーラ・ネット』の記事。

2006年05月28日 | アフガン問題
タリバンは、アフガンニスタン南部に配置されている国連軍兵士を攻撃すると脅した。
米軍はアフガン駐留の兵士が訓練所の攻撃において、指揮官を含む5名のタリバン戦士を殺傷したと発表した。
米軍は、アフガン南部のヘルマンド州にあるカラ・サク村での金曜日の襲撃の間に殺された人たちの正体を突き止めなかった。
ある声明において、米軍は、次のように述べた。「これらの殺害されたものの中には、タリバン・ネットワークの高位の指揮官がいた。彼らは連合軍とアフガン軍とアフガン官憲と市民に対する攻撃を指揮していた。これは強固な戦術的情報と地上軍と空軍との連携に基づく高度にうまくいった使命であった。」
市民の殺傷や財産への損害についての報告はない。声明によれば、部隊はこの村の中で大きな武器の隠し場所を見つけた。
攻撃は反政府軍による攻撃が増大したことに対して、アフガン南部で先週以来米軍指導で行われた一連の作戦の最後のものであった。
米軍発表とは別に、警察は、金曜日夜、「アフガニスタンの敵」による首都カブールに対するロケット攻撃で、市民2名が殺され、他の2名が負傷したと述べた。
アフガニスタンは、タリバンがオサマ・ビン・ラディンを渡さなかったと言う理由で、2001年末に米軍と北部同盟軍がタリバンを排除して以来、最も激しい暴力に見舞われている。
米軍とアフガン官憲によれば、先週以来、戦闘や待ち伏せ自爆などで300人が殺された。最も多くの死者はタリバン戦士であったが、少なくとも4名の外国兵(タリバンに味方するアラブ人と思われる)と17名の民間人も殺された。
先週の暴力の矛先が向けられたカンダハル地域では、3千人の住民が住居を捨てて避難した。これはタリバン政権の崩壊以来最大の民間人の避難である。
外国軍を追い出し、現政府を打ち負かそうと戦っているタリバンとその同盟軍は、主にアフガニスタンの南部と東部で作戦を展開している。
[訳者の感想]この記事はアルジャージーラ局とロイター通信の記事を結びつけたものです。タリバン軍もヘクマチアル率いる軍も簡単には除去できないようです。住民の間にかなりの支持者がいるのではないでしょうか。ここでも事態はベトナム戦争と似てきているように思われます。
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「アフガンのメディアにとって形勢は不利だ」と題する『アルジャジーラ』局の記事

2006年05月06日 | アフガン問題
 彼が冒涜の罪で投獄されて釈放されてから3ヶ月経つか経たないかである。ナサブは、他の宗教に改宗したり、姦通のような罪を犯したムスリムに体罰を課することを非難する内容のイランの学者が書いた「反イスラム的」な記事を公刊したかどで起訴された。
 女性の権利を擁護する指導的な月刊誌『ハコク・エ・ザン』誌の所有者兼編集者であるナサブは、昨年10月、懲役2年の刑を宣告されたが、何人かのイスラム聖職者が執行を要求したのに、たまたま上級裁判所への上訴に軽減された。
 「アラブ諸国やイランと比較すれば、われわれには言論の自由がある。だが、西欧諸国と比べると、自由は全くない。問題は、大抵のアフガン人が暗い心を持っていることだ」と彼は言う。
 サダム・フセインの没落以後のイラクにおけるように、タリバン後のアフガニスタンでは、メディア企業の数は何倍も増えた。
 アフガンの「情報文化省」によると、この国には現在、国営のテレビが5局、国営の通信社が3社、国営のラジオ局が10局あり、2001年以来少なくとも150社の出版社がある。
3千万人のアフガン人の30%がテレビを見ており、6つ目のテレビ局が計画中である。
 だが、ナサブの投獄やイスラム誹謗の罪で逮捕された2人のレポーターは、この国のメディアが航海しなければならない荒れ狂った旅路を例示している。
 国家によって財政的に支援されているメディア産業は、高度の文盲率と増大する無法によって無視されるという重大な危機に曝されている。
 公式の数字によると、人口の90%が文盲であり、他方では地方軍閥によって支配された34の州の多くにおいて、治安が悪化し、カブールの外で旅行したり仕事をしたりするジャーナリストにとって危険になっている。
 何十年も戦争が続いたせいで、輸送や電気などのインフラは、荒廃しており、新聞の輸送やテレビやラジオの放送は困難に満ちたものになっている。
 逆風に逆らって、アフガン政府は、表現の自由を保障しようと試みているが、他方ではイスラム法に基づく法体系を尊重している。政府は、イスラム教からキリスト教へ改宗した罪で投獄されていたアブドル・ラーマンを国際世論の圧力で釈放せざるを得なかった。
 ナサブがアフガン当局の怒りを招いたとき、彼はハザマに落ちた。彼は地方の司令官が首都カブールの外を支配している限り、政府は言論の自由を維持できないと思っている。
 「われわれに言論の自由がないというのは本当だ。なぜなら、誰かが軍閥について悪いことを書くとその人は殺されるからだ。われわれは現実には言論の自由をもっていない。 (言論の自由は)憲法には書かれているが、誰もこういう事を書くほど勇気がない」とナサブは言う。(以下省略)
[訳者の感想]アフガンニスタンの社会が現在どういう状況に置かれているか、日本では余り報道されないので、『アルジャジーラ』局のラジェシュリー・シソディア記者の記事を訳しました。
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「アルジャジーラ・テレビ、ヘクマチアル元首相の談話を放映」と題する『アルジャジーラ』局の記事。

2006年05月05日 | アフガン問題
「ヒズビ・イスラム政党」の創設者で指導者であるカルブ・アルディン・ヘクマチアルは、自分がオサマ・ビン・ラディンの側に立って戦う準備があり、パレスチナ、イラク、アフガニスタンにおける引き続く紛争は米国が干渉しているせいだと非難した。
 この反体制派の人物は、米国はイスラム諸国に侵入し、直接に支配するかあるいは彼らの代理人を押しつけることによって、この3ヶ国で戦争を始めたと述べた。
 アルジャジーラは、過去数年間政治的に沈黙していたヘクマチアルの声を初めて放送した。彼の演説で、ヘクマチアルは、1980年にアフガンニスタンに侵攻したソビエト軍と戦って駆逐した人たちに対して感謝を述べた。
「われわれはすべてのアラブ人戦士、特にオサマ・ビン・ラディンとアイマン・アル・ザワヒリと他の指導者に感謝する。彼らはロシアに対する聖戦を助け、偉大な犠牲を払った。」
イランとパキスタンに触れて、ヘクマチアルは、「諸君が知っているように、われわれの悪意ある隣人達は、われわれに対して米国を助け、モスクワも同様に米国を助けている。十字軍がわれわれの国を占領して以来、4年と6ヶ月が過ぎた。われわれの隣人達は米国を助け、モスクワは米国の側に就いている。」
アルジャジーラ・テレビは、モハメド・ハタミ元イラン大統領の顧問であるモハメド・シャリアティにインタービューを行い、このビデオについてコメントを求めた。
シャリアティは次のように言った。「事実、イランはアフガニスタン侵略を現実として扱ったが、パキスタンは、米軍の武器を国境を越えて輸送するのを援助した。その当時、ヘクマチアルは、パキスタンと繋がりがあり、アフガンの内戦に火をつけたと思う。私の見解では、ハタミ政権は現実を取り扱い、サウディ・アラビアのジッダで開かれたイスラム会議でこの問題を議論した。
「ハタミとビン・ラディンとは、異なる路線を取っている。彼らの一人は、暴力をイスラムを規定する手段だと考えているが、他方、ハタミは、暴力を否定し、特に文明の間の対話に敬意を払っている。イランは、ロシアの植民地主義やアメリカ支配に対してはアフガニスタンを援助し、道路建設にも手を貸した。」
 1980年代にヘクマチアルは、他のアフガン軍閥と協力して、ソビエトをアフガンから追い出した。1996年に、タリバンが権力を握った時、首都カブールを脱出するまで、彼は首相であった。現在、彼は彼の敵であったタリバンと連合しており、米軍は彼を追いかけている。
 彼はアフガンとパキスタンの国境地帯に潜んでいると考えられている。
 彼はイランへの亡命を認められたが、テヘランがカルザイ大統領を支持することに転じたとき、反政府軍としてアフガンに戻った。米国は現在、アフガニスタンに2万人の軍を派遣している。
[訳者の感想]「ウィキベディア」で調べたところでは、ヘクマチアルは、ソ連軍と戦ったときは、パキスタンとアメリカのCIAから何十億ドルもの支援を得たそうです。1992年から1996年までのカブールを巡る北部同盟とタリバン軍との攻防戦ではカブールの市街の70%を破壊しました。タリバンにカブールから追い出されされた後、イランに亡命しましたが、アメリカによるアフガン侵攻が始まると、アフガンに戻り、カルザイ政権が出来ると、2002年3月、ヘクマチアルはカルザイ大統領支持を表明。元国王の帰国も支持したようです。しかし、新政権で重要な位置が与えられないことが分かると、カルザイ大統領の暗殺を謀り、以後、ビン・ラディンと同盟を結んだようです。現在、アフガニスタンとパキスタンとの国境地帯に潜伏していると見られています。
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「激しい戦闘でタリバン41人が殺された」と題する『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事。

2006年04月15日 | アフガン問題
カンダハル発:アフガン治安部隊は、連合軍のヘリの支援の下で、アフガニスタン南部にあるタリバンの隠れ家を攻撃し、激しい銃撃戦で41人の反乱軍を殺したと土曜日に州知事が述べた。
 アフガンの警官6名が金曜日のサンギサールの戦闘で殺されたとアサドラ・カリド州知事は述べた。9名の警官と数名の兵士が負傷した。
 「タリバンがサンギサールに集まってカンダハルへの攻撃を計画しているという情報を得て、われわれは金曜日にこの作戦を開始した。戦闘は、朝から晩まで続いた」と彼は述べた。
 カリド州知事は、治安部隊は、近くの村落に逃げ込んだタリバン兵士を追いかけていると述べた。彼の述べるところでは、治安部隊は、41名の反乱軍兵士の死体を見たが、そのうち11人しか回収しなかった。
 「連合軍の提供したAH-64アパッチ・ヘリは地上のアフガン軍を支援するためにロケット弾を発射した」と米軍報道官のマイク・コディ中尉は述べた。
 サンギサールにいるAP通信の特派員は、ヘリコプターがミサイルを発射するのを見たが、死傷者を出したかは確認できなかった。
 タリバン反乱軍は、連合軍とアフガン軍に対する攻撃をエスカレートし、国の発展と民主主義への進歩を脅かしている。連合軍は、特に自殺攻撃によって被害を蒙っている。最近、数週間のうちに攻撃がエスカレートした理由は、春の天候がタリバンの使用する山道の雪を溶かしたためである。
 金曜日に、コスト州では、路傍に仕掛けられた爆弾で3人のアフガン兵が殺された。南部のヘルマンド州では、自爆自動車で3人のイギリス兵が負傷した。
 今週も、連合軍とアフガン軍は、タリバンとアルカイダと他のグループが活発になった東部のクナール州で、「山のライオン作戦」と名付ける大規模な攻勢を始めた。
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「タリバンは、ドイツ軍司令官を殺そうとした」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2005年11月17日 | アフガン問題
ベルリン・カブール発:月曜日にカブールで起こったドイツ軍兵士に対する攻撃でドイツ国防軍の中尉が戦死し、憲兵が二人重傷を負ったが、この攻撃は本来、アフガニスタンに駐留するドイツ国防軍司令官ハンス・クリストフ・アモン大将を狙ったものであったと考えられている。このことを『ヴェルト』紙は、国防軍関係者から情報を得た。それによれば、テロ攻撃を認めたイスラム主義的なタリバンは、アフガニスタンの首都カブールでのドイツ軍の動きについて具体的な情報を持っていた。攻撃の目標は、実際には、アモン司令官が乗っていた国防軍の乗用車であった。テロ攻撃の際、自爆した暗殺者は、間違った乗用車を選んだと言われている。
戦死した独逸軍将校は、昨晩、ドイツに輸送されたが、予備役の中尉であった。この人物は、既に八回目の外国勤務を志願した。負傷した二人の憲兵のうち一人は、重態で、コブレンツの国防軍病院で手当を受けている。もう一人の憲兵も同様に重傷で、同じ病院で手当を受けている。両者はバイエルン州の出身である。
アフガニスタン駐留のドイツ軍部隊は、投入の最初から、現地人によるスパイの問題を抱えている。現在、2,300名のドイツ兵士がカブール、ファイザバード、クンドウスの三箇所に駐留させているドイツ国防軍は、多数の土着の補助兵員と関わっている。ソヴィエトがアフガニスタンを占領していた時代、多数のアフガン人が訓練のために東ドイツに送られ、そこでドイツ語を学んだ。タリバンや他のアフガン人のテロ集団は、国防軍の基地内に補助兵員として送り込まれたと言われている。これらの補助兵員は、目立たないように振る舞い、彼らのドイツ語の知識についてはおくびにも出さない。こうして彼らは、ドイツ軍の行動について価値のある情報を手に入れる。アフガンニスタンに派遣された兵士達は、しばしば、自分たちは現地の補助兵員から見張られ、スパイされているという疑いを漏らした。最悪の場合には、投入計画やパトロールのルートが漏れている。暗殺者達がパトロールの時刻表やルートを知る場合には、彼らにとってはテロ攻撃は容易になる。カブールのドイツ軍基地では、現在、攻撃を企てた連中が直接、国防軍から情報を得たかどうか調査中である。
カブールにいる兵士の間では、それ以外に、「ディンゴ」のような防護の固い車両の数が少ないことについて大きな不満がある。戦死した中尉と重傷を負った憲兵とは、「ヴォルフ」型の車両に乗っていた。問題の車両は、後から地雷や銃撃に対して軽度の防護を施したものであった。現在行われている自爆攻撃に対して、乗組員が生き延びるチャンスは少ないと言われている。国防軍上層部の最初の反応が車両の防護に向けられたという事実は、兵士によって、国防省の防護についての主張の試みであると評価されている。実際に、「ヴォルフ」型車両の防護は、十分でない。
その間、アフガン南部の都市カンダハルで起きたアメリカ軍輸送部隊に対する自爆攻撃で、3人の民間人が死傷した。
11月17日づけの記事です。
[訳者の感想]イラクよりはましかもしれませんが、アフガニスタン駐留のドイツ軍も戦死者を出しているようです。イラク派遣の日本の自衛隊は大丈夫でしょうか。心配です。
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「アフガニスタンで暗殺増える」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2005年09月11日 | アフガン問題
カブール発:アフガンの国防相ラヒム・ワルダクは、暗殺を生き延びた。彼がカブール空港でヘリコプターに乗り込もうとした際に、数名の男達が大臣の車列に銃弾を浴びせた。国防省のスポークスマンによると、9名のアフガン兵容疑者が逮捕された。
「これは国防相に対する暗殺の試みだった」と国防省のスポークスマンであるモハメド・サヘル・アシミは述べた。4発の銃弾が車列に当たったが、そのうち1発は、少し前に国防相が座っていた場所に当たった。車の一台に乗っていた国防省の職員の一人は、弾が当たって怪我をした。
暗殺の目的については、さしあたり、情報は寄せられていない。政府の高官によると、兵士の中には、給与について不満を持った者がいるとのことである。
9月18日に行われる議会選挙の候補者が、ヘラートで殺された。これまで既に6人の候補者が殺され、沢山の候補者が暗殺を免れた。金曜日に初めて、役所は、5人の遺体が見つかったと告知した。死者の一人は、選挙の候補者だった。
今年初めから、アフガニスタンでは、殺人行為が増大している。特に、南部と東部で増大している。1月以来、既に1,100人以上が殺された。昨年は1年間の暴力行為による死者は約850人であった。
[訳者の感想]最近、アフガニスタンで殺された2名の日本人はどうも強盗に会ったようですが、政治的な理由で行われる暗殺事件も増えているようです。
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