杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

杉井酒造の生酛造りに学ぶこと

2019-12-08 19:54:58 | しずおか地酒研究会

 12月7日、静岡朝日テレビカルチャー地酒講座「セノバ日本酒学」の校外学習で、『杉錦』醸造元の杉井酒造(藤枝市)を訪問し、生酛純米大吟醸の酛擦り体験をさせていただきました。

 酛擦りは、2016年に杉井酒造でしずおか地酒研究会20周年記念酒を造っていただいたときに会員有志で体験して以来。静岡県内では一般消費者が酒造体験できる蔵元はほとんどないため、再び貴重な機会をいただきました。酒造繁忙期にもかかわらず、見学・体験を受け入れてくださった杉井酒造の皆さまのご厚情に心から感謝申し上げます。

 生酛(きもと)造りとは、酛(もと=酒母)をたてるとき、有用な清酒酵母の働きを邪魔する雑菌を除外するため、強い殺菌力を持つ乳酸を自然に造り出す手法。今は化学生成された乳酸を添加するだけの速醸酛(そくじょうもと)が主流で、所要期間は2週間くらい。一方、乳酸を自然に造り出す生酛では30~40日ぐらいかかってしまうのですが、速醸酛では得られない複雑で重層な味わいが得られることから、あえて手間と時間のかかる生酛造りを復活させた酒蔵も増えているようです。静岡県では杉井さんがいち早く復活の狼煙を上げました。

 

 今回は〈日本酒学〉と銘打った講座ということで、蔵元杜氏杉井均乃介さんによる杉井流生酛造りの解説がとてもクレバーで参考になりました。

 まず蒸し米を冷やし、業界用語で言う埋飯(いけめし)の状態にしてから半切り桶に入れ、麹米と水を加えて櫂で擦るのですが、杉井さんは蒸し米を前日に蒸して一晩放冷してから、かなり枯らした(乾いた)埋飯にするそうです。

 酛擦りは数時間おきに何度も繰り返し行います。この間、仕込み水や米から入り込んだ硝酸還元菌が、水に含まれる硝酸塩を還元して亜硝酸にし、他の微生物を駆逐します。次いで空気中や麹から入り込んだ乳酸菌が糖を栄養にし、乳酸を生成。乳酸はほとんどの細菌が抵抗できない強力な酸を出すので、亜硝酸との相乗作用によって酒に有害な雑菌や野生酵母をデリートします。

 乳酸の力が極限まで高まると、硝酸還元菌も耐えきれなくなって死滅し、亜硝酸も消失。酸性の環境に強い清酒酵母だけが生き残ります。酵母は米の糖化によって増殖をし、糖からアルコールを作り出して乳酸菌も死滅させる。杉井さんが埋飯を枯らし目にするのは、米の溶解=糖の力を慎重にコントロールするためだろうと思いますが、それにしても、なんと壮絶でドラマチックな微生物生存競争が、ひとつの酛の中で展開されているのでしょうか。

 清酒酵母は今ではしっかりとした管理下のもとで純粋培養され、添加する際は(酵母は乳酸には強いけど亜硝酸はやや苦手ゆえ)亜硝酸反応が消えてから添加します。酵母の培養技術がなかった昔は、蔵内に存在していた蔵付き酵母を自然に育てていたので、生存競争に無事打ち勝ってちゃんとアルコールを生成するのか否か、酒造りとは産業化するにはかなりのハイリスク事業だったろうと想像します。

 

 数知れないトライ&エラーの果てに生酛造りが確立したのは江戸時代だといわれます。それ以前、室町時代に奈良正暦寺で確立した菩提酛は、酵母が繁殖しやすい高温の時期の二段仕込みに使われたそうですが、1695年発行の『本朝食鑑』には暖気樽の使用や三段仕込みの記述があり、微生物をコントロールしやすい寒期に酛の温度を上げたり下げたりしながら、今の生酛造りに近い製法をとっていたことが判ります。

 生酛造りの確立は製造上のリスクコントロールを可能とし、酒造業の発展を加速させたともいえるでしょう。この製法が300年以上経た今でも通用するって、考えてみると凄いことですよね。杉井さんは菩提酛造りまで復活させて市販流通商品にしたのですから、杉井さんもスゴイけど、日本酒の酛造りの技ってほんとにスゴイと思います。

 

 「埋飯を枯らす」という話を聞いて、静岡酵母を使う杜氏が米を徹底的に洗い、蒸し米も硬めに蒸し、麹作りでも突きハゼ麹を目指して種もやしを少なめに振り、もろみも低温でじっくり時間をかける姿を連想しました。静岡型の吟醸造りはどの工程も慎重で丁寧で、県外から来られた杜氏さんは慣れるまでまどろっこしさを感じたと聞きますが、杉井さんの埋飯作りにもその影響があるように思います。吟醸造りと生酛造りは対極にあるように見えるけど、微生物の働きを慎重かつ丁寧に見極める姿勢は、生酛造りを確立した江戸時代の酒造職人から受け継いだ善き伝統ではないでしょうか。

 造りの現場経験が浅い杜氏が熟練杜氏に引けを取らないスゴイ酒を醸し、いきなり鑑評会で好成績を上げることがあります。これも、新人だからこその慎重かつ丁寧な作業の賜物、という側面があると思います。

 手間がかかっても面倒だと思えることも、一つ一つ真摯に向き合う姿勢。米や水や微生物を原材料とする酒造りには、いつの時代にも必要なことかもしれません。AIの時代が来ても失ってほしくない造り手の感性と、それを応援したいと心底思える飲み手の感性を大切にしたい・・・そんなことを学ばせてくれた体験講座でした。

 

 なお冒頭の集合写真を除く写真は、受講生で写真家の小南喜彦さんが提供してくれたものです。静岡の酒造りの記録を撮りためたいと当ブログを通して私に連絡をくれ、朝日テレビカルチャーの受講生になって一から酒造りの勉強を始めた熱意あるクリエイターです。こういう人の力も感性の継承に必要不可欠だろうとつくづく思います。

 


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