杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

日本の曖昧力

2011-01-21 11:40:15 | アート・文化

 19日(水)は東京の赤坂プリンスホテルで、(社)日本ニュービジネス協議会連合会の新春賀詞交歓会がありました。

 

 

 今年の講師は拓殖大学教授の呉善花(オ ソンファ)さん。『日本のImgp3611 曖昧力~融合する文化が世界を動かす』というテーマの、大変興味深い日本文化論をお話くださいました。

 この会の講演、昨年は茶道小堀流宗家の茶の湯の心のお話でした(こちらをどうぞ)。ニュービジネスの経営者が日本文化を学ぶ直すというのは、呉先生のお話にも出てきた、日本人のこれからの生き方を象徴するようでした。

 

 韓国済州島ご出身の呉先生が初来日したのは1983年のこと。今でも日本に初めて来たアジアの留学生が実感するのと同様で、留学1年目というのは「母国では日本人は野蛮な人種だと教えられてきたが、まったく違う。なんて親切で礼儀正しくて清潔で治安のいい国だろう」とビックリ感激したそうです。

 ところが2~3年経ち、日本人ともっと親しくなろうとすると、「ハッキリものを言わない、言わなくても分かるだろうという曖昧な人たち」と困惑し、「日本人って何を考えているのか分からない、不気味な民族」「同じ人間とは思えない・・・」と嫌悪さえするようになったとか。この、来日2~3年目というのが、ひとつ、越えなければならない壁だったようです。

 

 ある韓国人女性ジャーナリストが日本に2~3年滞在後に帰国して、日本バッシングの本を書き、それが300万部の大ベストセラーになりました。今でも韓国における日本文化論の代名詞的な書籍だそうですが、そこには彼女がさまざまな生活習慣やビジネスマナーの違いに戸惑い、韓国人の価値観や尺度でバッサバッサと斬り捨てたような表現が・・・。たとえば「韓国人も日本人も、家に上がる時は靴を脱ぐが、ふつう、脱いだ靴はそのまま(家の中を向けて)だろう。ところが日本人は身体を玄関側にくねって靴の方向を向け直す。なんとねじ曲がった民族だろう」というふうに。

 

 

 呉先生自身も、とある会社の社長あてに電話をしたところ、電話口に出た若い女性社員が「○○(名字呼び捨て)は席をはずしていますので、後ほど掛け直させます」と応えて仰天したとか。儒教の国・韓国では年上や目上の人に対する礼節は絶対的で、親や上司のことは対外的にも敬称で表現するのが常識。呼び捨てにされた社長さんのことを「・・・若い女性の部下にもなめられている気の毒な人」と思ったそうです。

 まぁ、でも、そんな習慣の違いは、“決して越えられない壁”ではありませんよね。呉先生は「しばらく日本アレルギーになって欧米に逃れたこともあったが、人間とは思えないはずの日本人が住む国が、世界で最も貧富の差が少なく、治安もいいのはなぜだろう」と思いなおし、5年を過ぎた頃から日本の良さが改めて見えてきた、と語ります。

 

「儒教やキリスト教を信仰する国では、倫理的に正しいか否かが絶対の価値であるのに対し、日本で大事な価値とは“美しいか、美しくないか”だということに気づいたのです。これは山紫水明豊かな自然美と四季の移り変わりがはっきりした日本の風土に関係している」と。

 

 

 

 

「日本には山あり谷あり大河あり、四方を海に囲まれ、自然のあらゆる要素がそろい、そのすべてが調和している。生まれたままの素材や素材の鮮度、未完成なものにも神が宿り、美しいと尊ぶ。そのようなプリミティブ(原始的)なものを大切にするのは、一見未開地的だが、日本はそれを生(き)の文化として高度に発展させた」と呉先生。

 朝鮮半島も自然は豊かですが、中国大陸からの影響は逃れられないだろうし、正か邪か白黒はっきりさせる儒教的思想を持つ以上、日本の価値観とは相入れないのかもしれませんね。

 

 「今、欧米資本主義の副作用があらゆるところで起きている。その遠因は、これまでの経済文明の発展が、モラルや道徳や人間性をないがしろにしてきたことにある。その延長線上にいる中国やインドが、いくら経済発展しても、これから中国やインドのような国になりたい、住みたいと思う人がどれだけいるだろうか? 今、求められる新たな価値観―人間性や精神性を汲んだ経済発展が可能なのは、日本だけだろうと思う」と力強いエールをくださった呉先生。

 最近の日本の若い世代が海外に留学したがらなくなった風潮を嘆く声をよく聞きますが、それに対しても、「今や欧米的なものに学ぶべきものは何もないから。それよりも、今の日本の歴史ブーム、町歩きブーム、パワースポットブームなどは、自分の国の文化や精神性に回帰しようという流れであり、多くの日本人が、自分の国の足元に心を満たすものがあると気付いたから」と明快に説かれます。

 

 事実、呉先生が、拓殖大学で開学以来、初めて学内に茶道部を設立したところ、ゼミの講義はさぼる学生たちが無欠勤で通いつめ、国際学部では初めて日本の歴史講座を設け、講義を依頼された呉先生が「なんで外国人の私が?」と面喰いながらも、「20~30人来ればいいだろう」と引き受けたところ、 10倍の300人が押し掛けて用意した教室に入りきれず、急きょ会場を変更したほどだそうです。

 

 受講した学生たちからは、“真の国際化とは、日本の過去の歴史を正しく理解することから始まる”“日本人に生まれてよかったと思えたことが国際人の一歩だと実感した”との声。・・・聴きながら、なんとなく自分が昔から歴史が好きで、趣味の延長であれこれ取材や調査をしていることが、今の世の中で必要必然なんだとお墨付きをもらったようで、すごく嬉しくなりました。

 

 

 

 最後に呉先生から「会社でも若手社員の研修会を何度も開くより、社内に茶道部を作ったほうが早いですよ。茶道とImgp3613いうのはありとあらゆる、もてなしの精神=サービス産業の基本中の基本が会得できますから」とアドバイスをされ、参加した社長さんたちは大いに刺激を受けていました。

 

 帰路の途中、さっそく書店へ寄って呉先生の『日本の曖昧力』(PHP新書No.592)を購入し、目下、熟読しているところです。学生向けに書かれた講義録なので、とても読みやすく、面白い! よかったらみなさんもぜひどうぞ。


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歩いて実感する歴史街道

2011-01-17 10:07:09 | 歴史

 15日(土)夜、静岡の異業種交流会「静岡ビジネスマン気楽勉強会」の新年会で、志田威さん(元JR東海専務)のお話をうかがいました。志田さんは鉄道の世界では知られた方ですが、一方で東海道史家として各方面で講演活動もされています。ご実家が、静岡市清水区蒲原Imgp3535 の国登録有形文化財『志田邸』なんですね。

 

 

 志田邸は米・塩の商家で、後に醤油醸造も手掛けた旧家で、志田さんで8代目。住宅主屋は安政元年の大地震の翌年(安政2年=1855年)に建て直しされた蒲原町最古の建物です。志田さんご自身は東京にお住まいなので、志田邸は現在、市に委託され、地元のNPO法人東海道『蒲原宿』の会が管理しています。開館時間は火曜から日曜まで9時30分から16時30分。東海道ウォーキングを楽しまれる方にはお馴染みですね。

 

 

 邸内には古文書類が多数保存されていて、併設の『東海道町民生活歴史館』(土日10時40分~14時50分開館)で閲覧できます。15日は志田さんからは、「お伊勢参りのため箱根の関所越えを申請する江戸日本橋の商人京屋八兵衛の通行手形」や「寺子屋で使われていた『女今川』という女子用の家庭科の教科書」のコピーを資料としていただき、大変興味深く拝見しました。

 

 

 

 東海道は、ご存知の通り、徳川家康が関ヶ原の翌年1601年に早くも江戸(日本橋)~京(三条)の間に40か所ほど宿駅を設置し、53宿まで増やしました。1615年に大坂夏の陣で豊臣方が滅んだ後、大坂まで延長して最終的に57宿駅になりました。これを幕府の道中奉行が一括管理したのです。1635年に大名の参勤交代が義務付けられてから、10万石以上の大名は200人クラス、20万石以上は400人クラスの随行者を引き連れて往復したので、各宿駅は大わらわでしたが、経済的には大いに潤いました。

 

 

 ちなみに日本橋から京都三条まで126里(492キロ)を、当時は12~15日間かけて歩きました。1604年には、一里(3952メートル)ごとに盛土をして巨木(エノキ、マツなど)を植えて距離の目安にした一里塚が設置されたので、旅人にとっては時間配分や駕籠代の計算に重宝したでしょうね

 

 

 私は、『朝鮮通信使』のロケで九州対馬から日光まで、通信使が往来した海陸街道を一巡しましたが、歩きとなると、地元東海道すら(恥ずかしながら)一里も歩いたことはありません

 

 歴史を勉強するとき、有名な史実を本や資料で追いかけるだけでなく、電気や水道等の生活インフラをはじめ、交通や通信手段が完全アナログだった時代の日本人の日常の生活感覚、時間感覚を知ることがとても大事だと思うようになりました。

 東京から京都まで移動に2週間もかかった時代、薩摩や長州や土佐の下級武士たちが京都や江戸を目指すことの重みを想像したら、今の政治家が“維新”を軽々に口にすることに違和感を感じてしまいます・・・。

 

 

 

 とりあえず私の目標は、歴史街道に残る酒蔵を歩いて訪ねることかな。

 

 

 なお、志田さんの講演会が20日(木)夜から、あざれあで開催されますので、興味があったらぜひいらしてください!

 

 

 

 

 

街道文化セミナー東海道57次の楽しみ方

日時 1月20日(木)18時~

会場 静岡県男女共同参画センターあざれあ

講師 志田 威氏(街道歴史研究家・東海道町民生活歴史館館長)

会費 1000円

問合せ 街道文化研究会 電話054‐385-3571(海野)

 

 

 

旧宿場や街道を散策すると、一里塚、関所、松並木のような街道施設や、旧道・資料館などに出会うことができます。昔からの名物を味わい、新たな発見も多々あると言うことで、近年「歴史街道ウォーキング」が盛んになってきました。歴史的背景や見どころ知識を持ってのウォーキングは、たんに足腰の鍛錬になるだけでなく、頭の体操になり、まさに最高の健康対策と言えましょう。

街道歴史研究会では、街道文化研究家で江戸時代の醤油工場を活用した資料館(東海道町民生活歴史館)の志田威館主を講師に、街道文化に関する解説・講演会を開催します。

 

 

 


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大河ドラマ全曲集

2011-01-13 19:52:25 | アート・文化

 昨日(12日)、仕事で必要な資料本をアマゾンでネット検索していて、偶然見つけたのが、『決定版大河ドラマ全曲集』というCD。そういえばお正月に大河ドラマ50年の記念番組を観て懐かしいな~と思っていたところ。NHKもうまい商売するな~と感心しつつ、ついつい購入ボタンを押してしまい、今日届いて、さっそく試聴しました。

 

 

 記念番組を観て、一番最初に観た大河だと記憶しているのは1972年の『新・平家物語』でしたが、テーマ曲はさっぱり記憶になく、曲を鮮明に覚えているのは1974年の『勝海舟』(富田勲作曲)でした。

 

 改めて聴き直して、前作『国盗り物語』までの、いかにも歴史大河って感じの仰々しい曲調から一新して、すごくスピーディで躍動感があってワクワクします。ちなみに『勝海舟』で坂本龍馬を演じた藤岡弘が、私にとっての“初龍馬”で、どうもそのイメージが抜けずにいます。最初に観た大河ドラマで歴史上の人物の顔が固定化されるって怖いですね(苦笑)。今の小中学生は龍馬=福山雅治になっちゃうんでしょうね。天国の龍馬さん本人は、平成時代のイケメンにカブられるってご満悦かも??

 

 1977年の『花神』(林光作曲)も三拍子のリズム感あるテーマ曲。『勝海舟』同様、幕末の混沌とした時代を描きつつも、大空や大海原や〈新しい時代の夜明け〉をイメージさせるような、メジャーコードの明るい曲調なんですね。2004年の『新選組!』(服部隆之作曲)もメジャーで明るくてテンポがあってすごくいい。若者たちが時代を変えようと、ひたすら前を向いてエネルギッシュに躍動する幕末という時代に希望を感じます。今の政治家に聴いてもらいたいよ、ホント。

 

 

 純粋に、音楽として素晴らしいと思うのは、1994年の『花の乱』(三枝成彰作曲)。日野富子を主人公にした異色の作品で、テーマ曲もどこかはかなげで繊細で大河っぽくないけど、桜吹雪が舞い散る幻想的なタイトルバックは今でもよく覚えています。音楽だけ聴くとショパンのピアノコンチェルト風で、ナチスに占領されたワルシャワみたいに東欧の古くて哀しげな街並みが浮かんでくるなぁ・・・。

 

 2000年の『葵~徳川三代』(岩代太郎作曲)のテーマ曲も私の好きなブラームスやチャイコフスキーっぽくてイイ。バックコーラスは確か英国ケンブリッジのキングスカレッジ合唱団で、私、現地の教会でこの合唱団のナマ讃美歌を聴いたことがあるんです。一緒に観た現地在住の妹に「この合唱団、NHK大河ドラマのテーマ曲を歌っているよ」と説明した記憶があります。

 徳川家康も、いろんな人が演じたけれど、やっぱりこのときの津川雅彦がドンピシャリだな~。江は岩下志麻、初は浜乃久里子、淀は小川真由美でしたね。今年のキャストに比べたらすごいコワモテ三姉妹・・・(笑)!

 

 信長・秀吉は、私的には『黄金の日々』(1978年)の高橋幸治&緒形拳コンビがベストです。2人が20代のときに同じ役を演じたという『太閤記』(1965年)は、1962年生まれの私にはまったく記憶にありません。『黄金の日々』を観ていた時、母親が『太閤記』が面白かったとさかんにしゃべっていたのは覚えているけど。

 

 

 

 2001年の『北条時宗』(栗山和樹作曲)と2010年の『龍馬伝』(佐藤直紀作曲)は、異国風の女性ボーカルがすごく斬新で、作曲家のクリエイター魂を感じて刺激されますね!仕事しているときにも、何度も聴きたくなります。

 

 

 

 さすが、当代きっての作曲家が名を連ねたオムニバス集だけあって、聴き応えがありました。1曲あたりの長さは2分ちょっとですが、ひとつの時代イメージを2分ちょっとに凝縮する作業であり、日本で一番制作費がかかっているであろうテレビドラマのメインテーマであり、番組制作者の要求もハンパじゃないと思います。歴代作曲家と比較されてアレコレ言われることもあるでしょう。

 そういうプレッシャーの中でスキルを試されるって、大いにやりがいがあるはず。1年間、自分の名前が日曜8時にお茶の間に、ピンでクレジットされるんですから、裏方仕事の多い音楽家にとってハレの舞台に違いありません。

 

 それは脚本家や演出家にとっても同じ。こういう歴史ある番組コンテンツって海外にはないと思うので、制作に関わる人は誇りにし、いつまでも大切に作ってほしいですね。

 なにせ、日本人に、大事な母国の歴史人物のイメージを固定させてしまう力があるんですから・・・!


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2011年の心構え

2011-01-12 15:58:55 | ニュービジネス協議会

 11日(火)は沼津で(社)静岡県ニュービジネス協議会東部部会の講演会&新年会。(財)企業経営研究所常務理事の中山勝さんに、2011年への心構えを説いていただきました。

 

 

 

 沼津へ向かう電車の中で週刊ダイヤモンドの特集記事『新聞・テレビ勝者なき消耗戦』を読みながら、新聞・テレビの2大メディアとも、人口減によって広告収入の減少が避けられない時代、肥大化した企業体質を転換させられるかどうかが生命線であると実感しました。

 

 

 

 

 人口の推移って本当に大事な指標ですね。中山さんのお話で、今、世界経済を動かしているのは先進国の8億人だといわれていますが、中国やインドが先進国の仲間入りを果たせば8億から25億になる。労働人口も消費人口も3倍以上になるわけです。

 

 

 それがいつごろかといえば、中国の人口のピークは2010年~20年、インドは2040年あたり。GDPの数値を合わせてみると、中国の場合、このまま年率15%成長が続けば2017年に一人あたりのGDPが(先進国の条件とされる)1万ドルを突破し、インドは年率10%成長で計算すると2035年に突破=先進国の仲間入りとなるそうです。

 

 

 あと数年後に迫った中国の先進国入りは、日本の社会を激変させるだろうし、すでに観光地や商業施設が中国人客に依存しているように、国内消費をもジワジワ変容させています。

 

 

 

 

 日本の企業はこれまで、強い産業(二次産業)は同業他社がやることを“me too”で何でも真似てシェアをかせぎ、そのためには品質を上げて価格を下げて、そのためにカイゼンをして量産する。

 弱い産業(一次・三次産業)は規制に守られ、護送船団方式できた。強さも弱さをひっくるめてここまで発展した日本は、ある意味、注目すべきビジネスモデルの国だったのかもしれませんが、その陰で進行していった日本病ともいうべき弊害―「敗者復活しにくい社会」「成功体験への依存」「横並び・先送り主義」は、中国・アジアの台頭と人口減少という大きな時代のうねりには通用しないし、「景気はいずれ上向いてくる」「新しいことをやるには、誰かがトライして見通しが立ちそうなら、me too」なんて甘い考えも通用しないと中山さん。

 

 

 その言葉は、ダイヤモンド誌面にあった「収益ダウンに加えて新たなプレーヤー(通信、IT)の参入というダブルパンチに見舞われつつも、新しい血を入れることをかたくなに拒否する新聞社やテレビ局」の姿に痛くふりかかるようでした。

 

 

 

 

 中山講話を取材しながら、漫然とですが、自分は地方の小さなメディアの隅っこに巣を作って必死に生きながらえるアリンコみたいな存在ながら、自分が属する業界と、自分が暮らす国の行く末に対する危機意識を、不感症にならず、ちゃんと痛みを持って感じていよう・・・と思いました。

 

 2011年、なかなか厳しい船出です。

 

 

 

 


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清々しいニュース

2011-01-08 10:39:40 | 吟醸王国しずおか

 新年第1週目は、2~4日まで原稿執筆、5日に東京取材、6日に原稿執筆、7日は打ち合わせ・・・と、ふだんとまったく変わらないワークローテーションで、なんとも味気ないお正月でした。「屠蘇酒」についてあれこれウンチクを紹介しても(こちらをご参照を)、この1週間で酒を飲めたのは1日だけ。しかも半分お仕事がらみの新年会だったので、名刺交換やら賀詞交歓やら酒についての素人解説やらで、飲んだ気がしませんでした(苦笑)。

 

 

 そんな中でも、親しい人から明るいニュースをもらって、清々しい新年出足となりました。

 

 まず尊敬する山本起也監督が、いよいよ初の劇映画のメガホンをとることになり、2月からクランクインというお知らせ!『カミハテ商店』というタイトルで、1年がかりで創り上げたシナリオだそうです。

 

 『朝鮮通信使』の制作時、一緒に飲んで酔って「絶対に巨匠になってねっ いや、あなたは絶対なるっ そのときは私、アノ監督と飲んだことあるんだ~って自慢するから」とクダをまいたことを思い出しました。酒席での戯言ではなく、ホントにそうなるかも、と思うと、ゾクゾクします。映画ファンのみなさま、山本起也の名前を映画メディアの中で見つけたら、ぜひ“先物買い”するつもりで注目してくださいねっ

 

 

 

 その山本監督と、吟醸王国しずおか制作の相談をしていた頃、引き合わせたことのある『喜久醉』の青島孝さん出演の、WOWOWドキュメンタリー『銘酒誕生物語 岐阜・静岡杜氏秘伝の技を訪ねて』。1月2日のオンエアをご覧になりましたか?

 私は昨日(7日)にやっと録画を観まして、提供した前杜氏の富山初雄さんや河村傳兵衛先生の写真がたくさん使われていて、『喜久醉』の価値を世に伝える一助になれたことを嬉しく思いました。時間にしたら30分弱ぐらいでしたが、青島さんの人となりをこれだけしっかり伝えたテレビ番組は初めてじゃないでしょうか。

 カメラに向かってまっすぐに、自分の酒造りの志を語る青島さんの姿はキラキラしていました。久しぶりに画面で拝見したナマ河村先生の泰然自若としたお姿も印象的でした。

  

 単なる銘柄宣伝ではなく、造り手の技や精神にスポットを当てたという意味で『吟醸王国しずおか』に似た構成だったので、青島さんは私にさかんに気を遣ってくださいましたが、それなりに時間をかけて丁寧に作った番組だったし、酒にこうして真摯に向き合うテレビ制作者がいたことを、心強くも思いました。

 

 「・・・それにひきかえ、地元静岡のテレビ局にこういう制作者はいないし、素人の私が苦労して作っているのに手を差し伸べてくれる局もない」と、ついつい愚痴ってしまいたくもなります。

 

 自分が企画した映画や番組が作れる環境にいる人は、妥協することなく、後世に残す価値あるものを作ってほしいと切に願います。これだけメディアが多様化してくると、真に価値あるものしか残らないって痛感します。映像のプロが作るコンテンツはこうだっ!ってものをぜひ残してください。

 なお、同番組は14日(金)18時から再放送されるようですから、ぜひチェックしてくださいね。

 

 

 

 もうひとつ嬉しいニュース。私のライターとしての成長をずっと見守ってくれた静岡新聞社の平野斗紀子さんが昨年退職されてフリーになられたことは、当ブログでも紹介しましたが、その平野さんが、吟醸王国HPに楽しいコラムを書いてくださいました。フリーエディター平野斗紀子として外に発信した原稿は初めてじゃないかな。

 

 しかも今年は自費で情報誌『Tamara Press』を発刊するというお知らせつき! 平野さんに誌名の意味を訊いたら、タマラ・プレスは東京五輪の女子砲丸投げ選手の名前で、昔、新聞社の上司にあだ名にされたとか。“最後はチカラわざでねじ伏せる”と解釈してください、とのことです。・・・なんだか怪力大女になってガッツポーズをとる平野さんが夢で出てきそうですが(笑)。

 

 平野さんのコラムは、なんというのか、プロの書き手らしいリズム感があって、さすが「地酒をもう一杯」の編集者らしい「もう一杯」に満ち溢れた、落語話のような楽しい体験談です。これを読んで、すっかりお正月のお屠蘇気分に浸ることができました。平野さん、ありがとうございました

 

 

 吟醸王国会員メッセージ『しずおか吟醸伝』、今月は私が“姉さん”と慕うパワフルな女傑が続々登場しますので、乞うご期待を


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