15日(土)夜、静岡の異業種交流会「静岡ビジネスマン気楽勉強会」の新年会で、志田威さん(元JR東海専務)のお話をうかがいました。志田さんは鉄道の世界では知られた方ですが、一方で東海道史家として各方面で講演活動もされています。ご実家が、静岡市清水区蒲原 の国登録有形文化財『志田邸』なんですね。
志田邸は米・塩の商家で、後に醤油醸造も手掛けた旧家で、志田さんで8代目。住宅主屋は安政元年の大地震の翌年(安政2年=1855年)に建て直しされた蒲原町最古の建物です。志田さんご自身は東京にお住まいなので、志田邸は現在、市に委託され、地元のNPO法人東海道『蒲原宿』の会が管理しています。開館時間は火曜から日曜まで9時30分から16時30分。東海道ウォーキングを楽しまれる方にはお馴染みですね。
邸内には古文書類が多数保存されていて、併設の『東海道町民生活歴史館』(土日10時40分~14時50分開館)で閲覧できます。15日は志田さんからは、「お伊勢参りのため箱根の関所越えを申請する江戸日本橋の商人京屋八兵衛の通行手形」や「寺子屋で使われていた『女今川』という女子用の家庭科の教科書」のコピーを資料としていただき、大変興味深く拝見しました。
東海道は、ご存知の通り、徳川家康が関ヶ原の翌年1601年に早くも江戸(日本橋)~京(三条)の間に40か所ほど宿駅を設置し、53宿まで増やしました。1615年に大坂夏の陣で豊臣方が滅んだ後、大坂まで延長して最終的に57宿駅になりました。これを幕府の道中奉行が一括管理したのです。1635年に大名の参勤交代が義務付けられてから、10万石以上の大名は200人クラス、20万石以上は400人クラスの随行者を引き連れて往復したので、各宿駅は大わらわでしたが、経済的には大いに潤いました。
ちなみに日本橋から京都三条まで126里(492キロ)を、当時は12~15日間かけて歩きました。1604年には、一里(3952メートル)ごとに盛土をして巨木(エノキ、マツなど)を植えて距離の目安にした一里塚が設置されたので、旅人にとっては時間配分や駕籠代の計算に重宝したでしょうね
私は、『朝鮮通信使』のロケで九州対馬から日光まで、通信使が往来した海陸街道を一巡しましたが、歩きとなると、地元東海道すら(恥ずかしながら)一里も歩いたことはありません。
歴史を勉強するとき、有名な史実を本や資料で追いかけるだけでなく、電気や水道等の生活インフラをはじめ、交通や通信手段が完全アナログだった時代の日本人の日常の生活感覚、時間感覚を知ることがとても大事だと思うようになりました。
東京から京都まで移動に2週間もかかった時代、薩摩や長州や土佐の下級武士たちが京都や江戸を目指すことの重みを想像したら、今の政治家が“維新”を軽々に口にすることに違和感を感じてしまいます・・・。
とりあえず私の目標は、歴史街道に残る酒蔵を歩いて訪ねることかな。
なお、志田さんの講演会が20日(木)夜から、あざれあで開催されますので、興味があったらぜひいらしてください!
街道文化セミナー東海道57次の楽しみ方
◆日時 1月20日(木)18時~
◆会場 静岡県男女共同参画センターあざれあ
◆講師 志田 威氏(街道歴史研究家・東海道町民生活歴史館館長)
◆会費 1000円
◆問合せ 街道文化研究会 電話054‐385-3571(海野)
旧宿場や街道を散策すると、一里塚、関所、松並木のような街道施設や、旧道・資料館などに出会うことができます。昔からの名物を味わい、新たな発見も多々あると言うことで、近年「歴史街道ウォーキング」が盛んになってきました。歴史的背景や見どころ知識を持ってのウォーキングは、たんに足腰の鍛錬になるだけでなく、頭の体操になり、まさに最高の健康対策と言えましょう。
街道歴史研究会では、街道文化研究家で江戸時代の醤油工場を活用した資料館(東海道町民生活歴史館)の志田威館主を講師に、街道文化に関する解説・講演会を開催します。