7月30日(土)はあいにくの雨天でしたが、夜、安倍川花火大会が無事開催されたようですね。昔、花火師の取材をしたことがあり、花火大会が一つでも中止になると、そういう方々の死活問題になると思って、全国各地の花火大会中止・自粛のニュースには心を痛めていましたが、各地で規模縮小ながら復活しているようで本当によかった・・・。
私はこの夜、呉服町のスペイン風居酒屋MANDOの『Heartで酌する盃の夜』に参加した後、ショットバー『Blue Label』でアイラ島&アイリッシュウイスキーを満喫しながら、花火の音だけを愉しみました。
『Heartで酌する盃の夜』では、杉錦の杉井均乃介さん、英君の望月裕祐さん、酒器専門の陶芸工房・京都今宵堂の上原夫妻をゲストに、MANDOご自慢の地産地消料理と日本酒を味わいました(料理のライ
ンナップはこちらをご参照ください)。
いただいた日本酒は、杉錦吟醸EXTRA、紫の英君(純米吟醸)、英君特別純米、杉錦山廃純米天保十三年、さつまいものお酒・はまこまち(杉錦)、英君純米新酒爆発にごり(篠田酒店提供)、又兵衛いわき郷(鈴木真弓提供)。・・・私は福島いわきの訪問時の話を少しさせていただきました(こちらをご参照ください)。
杉錦と英君は、日本酒義援金プロジェクトに参加しています。寄付金を上乗せした商品を造り手・売り手・飲み手が少しずつ負担しながら回すというもの。現在、全国で59の蔵元が参加し、小売店300店弱、飲食店400店余が協力し、920万円集まっているようです。
今宵堂さんが参加者全員に用意してくれたハート型の盃は『可盃(べくはい)』というタイプ。酒豪が多い四国や九州で主に作られた盃で、器の足(高台)がなく、テーブルの上にまっすぐに置けない。注がれたら“盃が乾くまで”呑み干さなければならないというわけです。
今宵堂さんではこの春の新作として “ずっと手放さないように、いつもあなたの手で支えていてほしい。そうしないと私の愛はこぼれて無くなってしまうから”というメッセージを込め、ラブラブな相手とさしつさされつのシーンで使えるよう作られたようです。今回は被災地に寄り添う思い、という意味でお持ちくださったと思います。
今宵堂のご主人は、お客さんがハート型のどの部分に口を付けて呑まれるのか、興味しんしんで観察されていました。ハートの割れ目だったり、とんがったおしりの部分だったり、サイドのカーブのところだったり人それぞれ。確かに性格がわかるかもしれませんね。
ワタシ的には、酒器は薄ければ薄いほどいいし、唇のカーブにフィットするようフチが外側に沿ったラッパ型がベターなんですが、この20数年、なかなかしっくりくる酒器に出会えません(男性運と同じ)。
『Blue Label』では、オーナーが現地調達してきたというボウモア、ミドルトン、バーボン(銘柄は失念してしまいました)を、大きなワイングラスにストレートでいただきました。
グラスを揺らすと、底の茶色い小さな溜まりからほんのりリッチな香り・・・。ボウモア(スコットランド・アイラ島)は海に面した蒸留所で、海に由来するヨード香が特徴なんですね。日本酒に例えるなら港町の酒。バランスがよくて呑みやすくて、勝手に「ウイスキー界の磯自慢だな~」とほくそ笑んでしまいました。
ミドルトン(アイルランド)は、ボウモアとは違う、荒削り感と味わい深さがあって、日本酒でいえば生酛か山廃純米酒。「これは杉錦に相違ない」とまたまた妄想してしまいました。
バーボンは、なんというのか、日本酒でいえば高知あたりのどっしりした辛口男酒って感じ。スコッチやアイリッシュとはまったく文化的背景が違うと思える酒でした。
そんな妄想が楽しめたのも、少量ながらもストレートで、大きなワイングラスで味わえたからだと思います。
日本酒のぐい飲みに慣れているせいか、小ぶりのサイズにナミナミ注いで早く呑み干さねば・・・とせっかちな呑み方になってしまっていたのですが、『Blue Label』では、まさかと思えるほどの大きなワイングラスに、熟成樽の研ぎ澄まされたエッセンスをほんの少量注いでもらって、ひと嗅ぎ・ひと口、じっくりと、妄想する時間とともに味わうことができました。なんていうのかな、酒器が、自分と酒との距離を縮め、しかも豊かにしてくれる見事な仲人役になってくれたようで、なんとも幸せな時間だった・・・。さすが静岡が世界に誇るショットバー、酒呑みの気持ちをわかっていらっしゃる!
器と酒との関係って、料理と酒の関係性に負けないくらい奥深いと思います。
最近は今宵堂さんのように陶芸の世界にも若いクリエイターが増えてきました。蔵元さんや料理人さんとも自由にコラボして、柔軟な発想で呑む愉しみを演出してほしいと思う一方、酒呑みの立場からいえば、純粋に、お酒が主役となるような=その酒の真価や実力・酒が生まれた土地と造り手が醸したメッセージを味わえるような器をぜひ創ってほしいと思います。
・・・究極は、杜氏が陶芸家になるしかない?
好みの酒器に多く出会えることも、楽しみの一つになりました。
ゆうべも揺れて、ビビりました。酒呑みには辛いご時世ですね。
私たちも静岡での夜、とても楽しませていただきました。
会の後に、又兵衛もじっくり呑ませていただきました。
支援するという意味で、今回の鈴木さんの思い、
とっても嬉しく美味しかったです。
「お酒が主役となるような」器、まさにですね。
器は、お酒を口に運ぶための道具であること、
忘れずにがんばっていきたいと思います。
たくさんの呑兵衛のみなさまに出会えることを願って。
ありがとうございました~。
京都へはちょくちょく行くので、工房にも寄らせていただきます。